蛇は、曲がり方で説明する——プラクシテレス・ゴブラン・セイヤーほか九点

画面の下半分は、密生した草と低木である。
葉は細長く、先が尖っている。
その上、画面の中央に、二つの生きものが浮かんでいる。
左のものは、細長い体を持つ。
体は蛇のようにうねり、背に大きな翼が生えている。
翼は蝙蝠のように骨が透けている。
その背に、人がひとりまたがっている。
短い衣をまとい、槍を高く構えている。
右のものは、丸く膨らんだ体を持つ。
体からは無数の棘が放射状に出ている。
その棘のあいだから、細長い首と頭が伸びる。
二つの生きものは、宙で向かい合っている。
館の記録では、この十枚組は月世界への想像の旅を描いたものである。
前の回でも、この組の別の一枚を見た。
そちらでは、太鼓の音でガチョウが呼び集められていた。
この一枚では、翼のある蛇が乗りものになっている。
つまり月の住人は、蛇に乗って移動することになっている。
館の記録は、こうした描写が遠い土地への正確でない想像に基づくと注意を促している。
蛇は、体のひねりの名になる
八点目には、蛇がいない。

小さなブロンズ像である。
高さは25.6センチしかない。
女性の立像で、体はほとんど覆われていない。
布が片方の腕から腰へ流れている。
右脚に体重をかけ、左脚を軽く曲げている。
腰は右へ、肩は左へずれている。
首は右へ回され、顔が下を向く。
髪は結い上げられ、後ろで束ねられている。
腕は胸の前で交差する。
台座は円柱形で、石の模様が付く。
体の軸は、下から上へ向かってねじれていく。
館の記録では、この像の大きさは私的で親密な場所に置かれたことを示す。
そして、蛇のような構成が、いろいろな角度から近くで見ることを促しただろうという。
館の記録は、その言葉を使っている。
つまり、この姿勢の名に蛇の語が入っている。
画面にも、像にも、蛇はいない。
あるのは、体のねじれだけである。
さらに館は、この作者がこうした小像を手に取り、触れて味わうものとして作ったと書いている。
滑らかで優美な形を、指で確かめるためである。
森の名にも、蛇の語が入る
最後の一点は、素描である。

横長の紙に、森が描かれている。
線はすべて褐色のインクである。
画面の右半分を、大きな樫の木が占める。
幹は太く、途中で二つに分かれる。
枝は横へ広がり、葉が細かい塊になる。
左には低い斜面があり、岩が転がる。
その手前に、細い木が数本立つ。
いちばん明るいところには、線が引かれていない。
紙の白がそのまま残されている。
暗いところには、同じ向きの線が密に重ねられている。
左下には、地名と日付が書き込まれている。
館の記録では、作者はローマで学ぶための奨学を得てイタリアへ渡った。
滞在は三年ほどで、そのあいだに風景画についての考えを固めたという。
そして、師と同じように、ある山村のまわりの一帯に心を引かれた。
その一帯の名が、この題になっている。
作者は何度もそこへ通い、とりわけこの樫の森に打たれたと記録は書く。
素描の左下には、場所と日付が記されている。
館の記録によれば、それは六月の二日である。
さらに記録は、線の使い方についても書いている。
明るいところは輪郭だけを残し、紙の白がその場の澄んだ空気を伝える。
暗いところは、しっかりした平行の線で影を作る。
その対比が、風景を浮き立たせているという。
そしてこの土地の名には、蛇を意味する語が含まれている。
森の名であって、獣の名ではない。
九点のうち、蛇が地名になっているのは、この一点である。
数えてみると
九点を並べ直す。
蛇の姿があるのは、五点である。
矢を受ける一匹、川底の一匹、獅子に押さえられた一匹、枯葉の中の一匹、そして翼のある一匹。
姿がないのは、四点である。
失われた蜥蜴、家の紋章、体のひねりの名、そして森の名。
もう一つ数えておく。
姿のある五点のうち、蛇がまっすぐな形をしているものは一点もない。
すべて、二か所以上で折れ曲がっている。
とぐろを巻くもの、押さえられてねじれるもの、宙でうねるもの。
そして枯葉の中の一匹だけが、緩やかな曲線を描いている。
隠れるためには、鋭く曲がらないほうがよい。
言えることと、言えないこと
言えるのは、蛇が「曲がり方」で描き分けられているということである。
龍のうねりが装飾の線だったのに対し、蛇の曲がりには理由がある。
押さえられて曲がる、巻いて身を守る、地形に沿って曲がる。
九点のうち四点で、曲がり方が状況を説明している。
言えないのは、姿のない四点が例外だという話である。
紋章の蛇も、姿勢の名も、森の名も、いずれも曲がる形を指している。
うねる線があるところに、人はこの獣の名を置いてきた。
蛇という語は、生きものの名でありながら、形の名でもある。
最後に、はじめの一点へ戻る。
若い神は、いない蜥蜴に向かって手を伸ばしていた。
伸ばした手の先には、空気しかない。
それでも姿勢だけが残り、狙っていることは分かる。
獣が消えても、狙う形は残る。
九点を数え終えて残るのは、その残された手のほうである。








