蛇は、曲がり方で説明する——プラクシテレス・ゴブラン・セイヤーほか九点
九点のうち蛇の姿があるのは五点で、まっすぐな一匹もいなかった。押さえられて折れ、身を守って巻き、地形に沿って曲がる。残る四点では蛇は失われ、紋章になり、姿勢の名になり、森の名になっている。曲がり方そのものが、状況の説明になっている。

若い神は、いない蛇に狙いをつけている
ブロンズの立像である。
高さは150センチある。
若い男の裸像で、体の表面は緑がかった色に変わっている。
右脚に体重をかけ、左へ体を傾けている。
腰がわずかにひねられ、肩の線が傾く。
頭は右へ回され、視線が下へ落ちる。
髪は細かく巻き、額の上でまとめられている。
左腕は肘を曲げ、前へ伸びている。
その手は、何かに触れようとして止まっている。
しかし、触れるべきものはそこにない。
右腕も途中で終わっている。
つまり両手のあいだには、何もない。
台座は薄く、四角い。
像の表面には、傷や欠けが残る。

館の記録では、この像には二つの呼び名がある。
蜥蜴を殺す者と、大蛇を殺す者である。
最初の名は、古代の著述家の記述から来ている。
その人は、ある彫刻家のブロンズについてこう書いた。
若いアポロンは、忍び寄ってくる蜥蜴に矢を向けているので、蜥蜴を殺す者と呼ばれる。
館の記録は、その一節を引いている。
そして、研究者たちは長くこの記述を、独特の姿勢と髪型を持つ像に結び付けてきた。
右脚で立ち、左へ傾く姿勢である。
より完全に残っている作例では、アポロンは左腕を木へ伸ばし、蜥蜴を狙っているように見えるという。
館の記録は、そう説明している。
つまり、この像の左手の先には、本来は木と蜥蜴があった。
いまはどちらもない。
九点のうち、蛇が完全に失われているのは、この一点である。
そして館の記録は、この像の位置づけも書いている。
この形の大きな青銅像として、現存する唯一の例だという。
石で写した作例は数多く残っているが、青銅は残りにくい。
溶かして別のものに作り替えられてしまうからである。
つまりこの像が残ったこと自体が、例外にあたる。
残った像から、失われた蜥蜴を推し量ることになる。
見えているものより、見えていないもののほうが多い。
制作の年も、紀元前350年から200年と幅で示されている。
百五十年の幅は、決めきれないという意味である。
蛇は、どこにいるか
この一点を出発点に、蛇の絵と像を九点数えていく。
蛇は、脚のない獣である。
細長く、曲がり、地を這う。
その形は、龍とよく似ている。
前の回で龍がうねる胴だけで成り立つことを見た。
蛇はその胴だけを持つ、実在する獣である。
だから蛇の絵では、うねりそのものが主題になりやすい。
先に言ってしまうと、九点のうち、蛇の姿があるのは五点である。
一点では蛇が失われ、一点では紋章になり、一点では姿勢の名になり、一点では土地の名になっている。
数えていくと、うねりという形が、獣から離れて広がっていくのが見える。
織物の中では、同じ神が蛇を射ている
二点目は、大きな綴織である。

壁一面ほどの大きさである。
328×393センチある。
縁には花と果実の帯が回る。
内側は森の風景である。
左には大きな木が立ち、幹が太い。
奥には岩山が重なり、空が明るい。
画面の中央、やや右に、男がひとり立つ。
赤い布をまとい、右腕を後ろへ引いている。
左手には弓を握っている。
その足もとに、獣が横たわる。
体は長く、幾重にもうねる。
鱗が細かく織り出されている。
頭は持ち上がり、口が開いている。
喉と胴に、矢が刺さっている。
手前には、大きな実がいくつも転がる。
館の記録では、この人物の姿勢は、いま矢を放ったところを示している。
右腕を引き、左手で弓を持つ形である。
そして、この勝利がその後の物語につながると記録は続ける。
さらに館は、色についても書いている。
織り手は青と黄の染料を混ぜて緑を作った。
その緑がのちに褪せ、実と葉が青く見えるようになったという。
つまり、いま見えている青は、もとの色ではない。
前の回の対幅で絹が暗くなっていたのと同じことが、ここでも起きている。
織物と作者の名の関係については、二つの名を持つ綴織で扱った。
蛇の体の長さも見ておきたい。
とぐろを含めれば、画面の横幅の三分の一ほどを占める。
人の背丈の何倍もある。
これは実在する蛇の寸法ではない。
物語に出てくる大蛇として、大きさが決められている。
そして鱗は、糸の色を変えることで表されている。
明るい糸と暗い糸を交互に織り込むと、丸みが出る。
織物では、線を引くのではなく、糸を替えて形を作る。
蛇のうねりは、糸の並びの向きとして現れている。
川の底から、蛇の頭がいくつも出る
三点目は、インドの一葉である。

横長の小さな図である。
上のほうは水色の空と、緑の木立である。
木立の下には、人が大勢並んでいる。
赤や黄や桃色の衣を着ている。
みな手を上げ、川のほうを見ている。
画面の下半分は、灰色の水面である。
その水の中に、白い獣がいる。
体は太く、幾重にもとぐろを巻く。
頭は一つではない。
大きく開いた頭巾のような形が、五つ六つ並んでいる。
そのそれぞれに、顔が付いている。
とぐろの上に、青い肌の人物が立っている。
片脚を上げ、踊るような姿勢をとる。
とぐろのまわりには、人が数人、水に浸かっている。
館の札は「男性」「女性」「蛇」「魔物」の四つに、この神の名が加わる。
つまり館は、この蛇を魔物として登録している。
九点のうち、蛇の頭が複数あるのは、この一点だけである。
そして画面の上下の分け方も見ておきたい。
上は陸で、人が並んで見物している。
下は水で、そこで出来事が起きている。
見る人と、見られる出来事が、水際できれいに分かれている。
岸の人々はみな同じ方向を向き、手を上げている。
つまり画面の中にも観客がいる。
蛇のとぐろは、その観客の視線が集まる場所に置かれている。
画面は20.3×26.7センチしかない。
小さな紙の中に、二十人を超える人と、頭のいくつもある蛇が収まっている。
獅子の下で、蛇はねじれる
四点目は、小さなブロンズである。

黒く光る塊である。
高さは15.3センチしかない。
獅子が一頭、前脚を踏み出している。
頭を下げ、口を開けている。
たてがみは首のまわりで渦を巻く。
背の筋肉が盛り上がり、肩の骨が浮く。
その前脚の下に、細長い体がある。
蛇である。
体は前脚に押さえつけられ、二か所で折れ曲がる。
尾は獅子の後ろへ回り込み、台座の縁に沿って伸びる。
頭は獅子の口の下にある。
台座は楕円形で、緑の石の上に据えられている。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
この作者の別のブロンズは、虎の回で見た。
そちらでは虎が細長い爬虫類を食べていた。
こちらでは獅子が蛇を押さえている。
同じ作者が、大きな獣と細長い獣の組み合わせをくり返し作っている。
細長い体は、押さえられ、噛まれ、ねじれる形として使いやすい。
そして小さな像であることも効いている。
高さ15.3センチは、手のひらに載る大きさである。
机の上に置けば、上から見下ろすことになる。
見下ろせば、獅子の背中と、その下でねじれる蛇の体が同時に見える。
もし等身大なら、蛇は脚の陰に隠れてしまう。
小ささが、二頭の関係を見せている。
台座が楕円なのも、回して見ることを想定した形である。
枯葉の中に、蛇が隠れている
五点目では、蛇はほとんど見えない。

画面いっぱいに、枯葉が敷き詰められている。
葉は黄褐色で、縁が反り返っている。
一枚ずつ形が違い、重なり合っている。
葉脈が細い線で描かれている。
光は上から当たり、葉の縁に明るい線を作る。
そのあいだに、影が濃く落ちる。
画面の中ほど、やや左に、別の模様がある。
茶色と暗い赤褐色が、帯になって続いている。
その帯は、葉の重なりと同じ向きに走る。
輪郭を追うと、体が横切っていることが分かる。
蛇である。
頭がどこにあるのかは、すぐには分からない。
館の記録では、これは一冊の本のための習作である。
題には、動物界の隠す色という書名が入っている。
つまりこの一枚は、隠れることそのものを示すために描かれた。
蛇の模様と枯葉の模様が同じであることが、この絵の内容である。
前の回で見た虎の頭は、同じ画家の手による。
そちらでは、獣の顔が暗闇から大きく浮かび上がっていた。
こちらでは、獣が地面に溶けている。
同じ人が、見せることと隠すことの両方を描いている。
支持体の作りも見ておきたい。
厚紙に水彩で描き、それを板に貼り付けてある。
紙のままでは反るので、板で押さえたのだろう。
本の図版として写真に撮ることが前提だったからかもしれない。
ただし、それは記録に書かれていない。
書かれているのは、これが一冊の本のための習作だということである。
つまりこの一枚は、単独の作品として構想されていない。
論を示すための図として描かれている。
紋章の中で、蛇はとぐろを巻く
六点目は、写本の一葉である。

大きな一葉である。
59.3×42.7センチある。
上部には、赤い文字で見出しが書かれている。
その下に、五線と四角い音符が並ぶ。
左には、大きな頭文字がある。
青と桃色の枠に、金の縁取りが付く。
その内側に、人がひとり立っている。
長い衣をまとい、頭に光の輪がある。
手には巻物のようなものを持つ。
頭文字からは、飾りの蔓が上下へ伸びる。
蔓には青と赤の葉が付き、金の点が散る。
そして下の余白に、丸い紋章が三つ並ぶ。
左の紋章には、鳥がいる。
翼を広げた鷲である。
右の紋章には、細長いものが縦にうねっている。
とぐろを巻いた蛇である。
館の記録では、この二つはある一族の紋章である。
その一族は、この町を治めていた。
そして中央の下には、修道会の紋章が置かれている。
その修道会は十四世紀に興り、白い修道士と呼ばれたという。
この一葉は、一族の誰かが修道院へ贈った聖歌集の一冊に属していたらしい。
館の記録は、そう推測している。
つまりこの蛇は、獣ではなく家の名の代わりである。
聖人の名が絵の中に書かれる例については、聖人の名で扱った。
聖歌集という本の大きさも考えておきたい。
一葉が59.3×42.7センチある。
これは、離れた場所から複数の人が同時に読むための大きさである。
だから音符も文字も大きい。
その大きな紙の下の余白に、紋章が三つ置かれている。
歌う人の目には、歌詞の下にいつも紋章が入ることになる。
誰がこの本を贈ったかが、歌うたびに目に入る。
蛇はそのための印である。
翼のある蛇に、人がまたがる
七点目は、月世界の版画である。

画面の下半分は、密生した草と低木である。
葉は細長く、先が尖っている。
その上、画面の中央に、二つの生きものが浮かんでいる。
左のものは、細長い体を持つ。
体は蛇のようにうねり、背に大きな翼が生えている。
翼は蝙蝠のように骨が透けている。
その背に、人がひとりまたがっている。
短い衣をまとい、槍を高く構えている。
右のものは、丸く膨らんだ体を持つ。
体からは無数の棘が放射状に出ている。
その棘のあいだから、細長い首と頭が伸びる。
二つの生きものは、宙で向かい合っている。
館の記録では、この十枚組は月世界への想像の旅を描いたものである。
前の回でも、この組の別の一枚を見た。
そちらでは、太鼓の音でガチョウが呼び集められていた。
この一枚では、翼のある蛇が乗りものになっている。
つまり月の住人は、蛇に乗って移動することになっている。
館の記録は、こうした描写が遠い土地への正確でない想像に基づくと注意を促している。
蛇は、体のひねりの名になる
八点目には、蛇がいない。

小さなブロンズ像である。
高さは25.6センチしかない。
女性の立像で、体はほとんど覆われていない。
布が片方の腕から腰へ流れている。
右脚に体重をかけ、左脚を軽く曲げている。
腰は右へ、肩は左へずれている。
首は右へ回され、顔が下を向く。
髪は結い上げられ、後ろで束ねられている。
腕は胸の前で交差する。
台座は円柱形で、石の模様が付く。
体の軸は、下から上へ向かってねじれていく。
館の記録では、この像の大きさは私的で親密な場所に置かれたことを示す。
そして、蛇のような構成が、いろいろな角度から近くで見ることを促しただろうという。
館の記録は、その言葉を使っている。
つまり、この姿勢の名に蛇の語が入っている。
画面にも、像にも、蛇はいない。
あるのは、体のねじれだけである。
さらに館は、この作者がこうした小像を手に取り、触れて味わうものとして作ったと書いている。
滑らかで優美な形を、指で確かめるためである。
森の名にも、蛇の語が入る
最後の一点は、素描である。

横長の紙に、森が描かれている。
線はすべて褐色のインクである。
画面の右半分を、大きな樫の木が占める。
幹は太く、途中で二つに分かれる。
枝は横へ広がり、葉が細かい塊になる。
左には低い斜面があり、岩が転がる。
その手前に、細い木が数本立つ。
いちばん明るいところには、線が引かれていない。
紙の白がそのまま残されている。
暗いところには、同じ向きの線が密に重ねられている。
左下には、地名と日付が書き込まれている。
館の記録では、作者はローマで学ぶための奨学を得てイタリアへ渡った。
滞在は三年ほどで、そのあいだに風景画についての考えを固めたという。
そして、師と同じように、ある山村のまわりの一帯に心を引かれた。
その一帯の名が、この題になっている。
作者は何度もそこへ通い、とりわけこの樫の森に打たれたと記録は書く。
素描の左下には、場所と日付が記されている。
館の記録によれば、それは六月の二日である。
さらに記録は、線の使い方についても書いている。
明るいところは輪郭だけを残し、紙の白がその場の澄んだ空気を伝える。
暗いところは、しっかりした平行の線で影を作る。
その対比が、風景を浮き立たせているという。
そしてこの土地の名には、蛇を意味する語が含まれている。
森の名であって、獣の名ではない。
九点のうち、蛇が地名になっているのは、この一点である。
数えてみると
九点を並べ直す。
蛇の姿があるのは、五点である。
矢を受ける一匹、川底の一匹、獅子に押さえられた一匹、枯葉の中の一匹、そして翼のある一匹。
姿がないのは、四点である。
失われた蜥蜴、家の紋章、体のひねりの名、そして森の名。
もう一つ数えておく。
姿のある五点のうち、蛇がまっすぐな形をしているものは一点もない。
すべて、二か所以上で折れ曲がっている。
とぐろを巻くもの、押さえられてねじれるもの、宙でうねるもの。
そして枯葉の中の一匹だけが、緩やかな曲線を描いている。
隠れるためには、鋭く曲がらないほうがよい。
言えることと、言えないこと
言えるのは、蛇が「曲がり方」で描き分けられているということである。
龍のうねりが装飾の線だったのに対し、蛇の曲がりには理由がある。
押さえられて曲がる、巻いて身を守る、地形に沿って曲がる。
九点のうち四点で、曲がり方が状況を説明している。
言えないのは、姿のない四点が例外だという話である。
紋章の蛇も、姿勢の名も、森の名も、いずれも曲がる形を指している。
うねる線があるところに、人はこの獣の名を置いてきた。
蛇という語は、生きものの名でありながら、形の名でもある。
最後に、はじめの一点へ戻る。
若い神は、いない蜥蜴に向かって手を伸ばしていた。
伸ばした手の先には、空気しかない。
それでも姿勢だけが残り、狙っていることは分かる。
獣が消えても、狙う形は残る。
九点を数え終えて残るのは、その残された手のほうである。


