虎は、見ずに描かれてきた——牧谿・岸駒・フランツ・マルクほか九点
日本にも中国の多くの土地にも、虎は身近にいない。だから画家は絵から絵へ姿を写した。九点を数えると、骨格の正確な三点はいずれも欧州の画家の手による。そして一点では、虎は床の敷物になっている。縞の描き方は、思ったほど安定していない。

対になった二幅の、右に虎がいる
掛幅が二幅、並んで掛かっている。
どちらも絹の地が黒く沈み、描かれた形はかすかにしか見えない。
左の一幅には、渦を巻く雲と波がある。
その暗がりの中から、頭が一つ浮かび上がる。
角のようなものが後ろへ伸び、口が開いている。
体は細く、蛇のようにねじれて雲へ消える。
龍である。
右の一幅には、獣がうずくまっている。
体は太く、画面の幅いっぱいに広がる。
頭を下げ、前脚をなめている。
顔は横を向き、目が細く光る。
尾は手前で丸く巻いている。
縞は薄く、絹の暗さに沈んでいる。
虎である。

館の記録では、龍と虎は陰と陽という考え方に結び付いている。
対立しながら補い合う二つの力である。
龍は波と霞の重なる背景を占め、光る頭が暗がりから現れる。
対して虎は近くから見た姿で、体の量感が強調されている。
館の記録は、そう書き分けている。
そして、もとの禅の文脈では、この二幅は中央の像の両脇に掛けられていたらしいという。
さらに記録は、絹が数百年のあいだに暗くなったことにも触れている。
虎の舌と鼻にあった淡い赤みは、いまでは褪せているという。
つまり私たちが見ている暗さは、描かれたときの暗さではない。
この一対には、印も残っている。
館の記録によれば、二つの印は日本の将軍家のものだという。
一つは十四世紀から十五世紀の将軍、もう一つはその子か孫の代にあたる。
来歴の欄には、さらに十七世紀の将軍の名も並ぶ。
つまりこの虎は、中国で描かれ、日本へ渡り、代々の権力者の手を巡っている。
絹が暗くなった数百年は、その移動の年月でもある。
館の記録は、この画家の水墨が日本でたいへん好まれたとも書いている。
虎の絵が日本に多い理由の一端が、ここにある。
虎を、見ずに描く
この一対を出発点に、虎の絵を九点数えていく。
虎は、東アジアの絵にくり返し現れる獣である。
しかし日本にも、中国の多くの地域にも、身近にはいない。
だから多くの画家は、実物を見ずに虎を描いてきた。
見ずに描かれた虎と、見て描かれた虎は、姿がはっきり違う。
先に言ってしまうと、九点のうち、虎が生きて画面にいるのは六点である。
一点では敷物になり、一点では頭だけが描かれ、一点では狩りの標的になっている。
前の回で猿が人の役を引き受けることを見た。
虎は逆に、人から遠い獣として描かれる。
遠いからこそ、姿がゆがむ。
屏風いっぱいの、虎の親子
二点目は、大きな屏風である。

二隻の屏風が並ぶ。
一隻の幅は384.8センチ、高さは179.4センチある。
地は白く、大きな余白が残されている。
画面の下のほうに、灰色の岩が横たわる。
岩のあいだから、松の枝が伸びる。
右隻には、虎が三頭いる。
大きな一頭が岩の上で体を伸ばし、頭をこちらへ向けている。
その手前に、小さな二頭が並ぶ。
どちらも顔を上げ、口を開けている。
左隻にも、虎が二頭いる。
一頭は岩の上から下を見下ろす。
もう一頭は地面で体をひねっている。
毛は細い線で一本ずつ描かれている。
縞は茶色く、背から腹へ向かって流れる。
顔は丸く、目が大きく、鼻が短い。
館の記録では、作者は独学の画家である。
三十代に入るころには、京都の目の肥えた人々に求められる絵を描いていた。
その中には皇族もいたという。
残っている作品から判断すると、支持者たちは中国の故事の人物、梅、鶴、孔雀、鶏、そしてとりわけ虎を好んだ。
館の記録は、そう書いている。
つまり虎は、注文の多い主題だった。
そして作者は、狩野派と円山派と、中国の画家の様式を取り込んだという。
学んだのは様式であって、生きた虎ではない。
顔が猫に似ているのは、そのためかもしれない。
ただし、それは記録に書かれていない。
余白の使い方も見ておきたい。
画面の上半分は、ほとんど何も描かれていない。
紙の白がそのまま残されている。
虎は下三分の一に集められ、岩と松の周辺にかたまっている。
つまり広い空間の中で、虎は低い位置にいる。
屏風を立てて座って見れば、虎は目の高さより下にある。
見下ろす位置に猛獣を置くという構図が、ここでは選ばれている。
屏風の面と面の関係については、屏風の表と裏で扱った。
頭だけの虎が、こちらを見る
三点目では、虎が正面を向く。

暗い背景から、虎の頭が現れる。
首から下は描かれていない。
顔は正面をやや外れ、右を向いている。
目は二つとも見開かれ、黒い瞳の縁が金色に光る。
額から鼻筋にかけて、白と黒の縞が対になって並ぶ。
鼻先は桃色で、湿っているように光る。
口のまわりの毛は白く、外へ広がる。
頬の毛は長く、ひげが数本、細く伸びる。
顎の下は暗く沈む。
画面の下のほうには、緑の草が数本立っている。
草の高さは、顎のあたりまでしかない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
見えるのは、この頭が実物を見て描かれたらしいということである。
耳の内側の毛の生え方、目の縁の膨らみ、鼻の湿り。
いずれも、伝聞では描けない細部である。
九点のうち、虎の顔がこれほど大きく描かれているのは、この一点だけである。
そして首から下がないことには、効果がある。
体の大きさが分からないので、脅威の度合いも測れない。
草の高さから推し量れば、地面に伏せているようにも見える。
立っているようにも見える。
その曖昧さが、こちらを見る目の強さを増している。
背景が真っ暗なのも同じ働きをする。
どこにいるのか分からない獣が、こちらを見ている。
岩の上で、虎は休む
四点目は、横たわる虎である。

横長の小さな画面である。
20.3×38.1センチしかない。
地面は茶色く、奥に灰色の岩がある。
その手前に、虎が一頭横たわっている。
体は左を向き、前脚を前へ投げ出している。
頭は上げられ、顔がこちらを向く。
背から腰にかけて、黒い縞がはっきりと並ぶ。
腹は白く、脚の内側も白い。
後ろ脚は体の下に折りたたまれている。
尾は左へ長く伸び、先が上へ跳ねる。
耳は小さく、頭に張り付いている。
背景の空は灰色で、雲が低く垂れる。
館の記録は、題と材料と寸法だけを書いている。
見えるのは、体の作りが正確なことである。
肩の骨の位置、前脚の太さ、腹の落ち方。
先の屏風の虎と比べると、骨格の描き方がまるで違う。
同じ獣を描きながら、見た者と見ていない者では、脚の付け根の描き方が変わる。
画面の小ささも見ておきたい。
横38.1センチは、腕の長さの半分ほどである。
その中に、体を伸ばした虎が横向きに収まっている。
余白はほとんどない。
尾の先は画面の左端に触れ、鼻先は右へ寄る。
つまり虎の体が、画面の寸法をそのまま決めている。
対して屏風では、画面のほうが虎よりはるかに大きかった。
同じ獣でも、器のほうを合わせるか、獣のほうを合わせるかで作りが変わる。
虎は、木版で断片になる
五点目では、虎の形が壊れる。

白と黒だけの木版である。
画面は形の断片で埋まっている。
太い曲線、細い縞、丸い渦。
その中に、虎の顔がある。
左上に、開いた口と歯が並ぶ。
目は丸く、白く抜かれている。
体は右へ伸びるが、輪郭が途中で切れる。
縞は体に沿わず、画面全体に散っている。
背景と体の境目がはっきりしない。
右下には、別の生きものらしい形がうずくまる。
館の記録では、作者はミュンヘンの画家たちの仲間だった。
その人たちと同じように、動物を描くことに集中したという。
動物は、喜びに満ちた再生を象徴していた。
しかしこの虎は、跳ねる馬たちよりも喜びが少なく、脅かすようだと記録は書く。
歯を食いしばり、後ろで身をすくめる獣のほうへ目を向けている。
そして館は、作者の最期にも触れている。
進んで軍に入り、1916年3月4日に戦地で世を去った。
その死は、同じ土地の画家たちに深い影響を与えたという。
地上の楽園という彼らの構想は、急速に消えていった。
館の記録は、そう結んでいる。
木版という技法も、この壊れ方に関わっている。
板を彫って刷るので、線は太くなり、細かい階調は作れない。
黒か白かのどちらかしかない。
その二択の中で、縞という模様を扱うと、模様が形から離れていく。
黒い縞と黒い背景が、区別できなくなる。
つまりこの虎は、技法の性質によって断片になっている。
見て描いたか、見ずに描いたかとは、別の理由である。
虎は、追い立てられる
六点目は、狩りの図である。

赤い枠に囲まれた、ほぼ正方形の図である。
画面のほとんどが、緑と茶の丘で埋められている。
丘には木立が点々と生え、細い道が曲がりくねる。
その中に、人と獣が小さく散らばっている。
中央に、四角い囲いがある。
そこに人が数人座っている。
まわりから、獣が追い立てられてくる。
黒い獣、茶色の獣、角のある獣。
左のほうには、火花を散らす道具を持つ人がいる。
そして丘の上のほうに、縞のある獣が一頭いる。
虎である。
大きさは指の先ほどしかない。
館の記録では、狩りはこの地方の貴族の好んだ遊びだった。
ほかのインドの絵よりずっと大きく作られることが多く、狩りの華やぎを称えるものだったという。
裏には作者の名と、参加者の名が書かれている。
そして獣の種類も挙げられている。
虎、熊、猪、鹿、牡鹿、羚羊。
召使いたちが花火を鳴らして獣を追い、中央の射座へ向かわせる。
そこで王族が獲物を待っている。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの図では、虎はほかの獣と並ぶ一種にすぎない。
九点のうち、虎がもっとも小さく描かれているのはこの一点である。
そして館は、裏の書き込みについても細かく記している。
作者の名が裏に署名されているのは、インドの絵ではまれなことだという。
名前は、ジーヴァの子ジュガルシと読める。
さらに、赤いインクの番号と、値段らしい数字も書かれている。
つまりこの一枚は、絵として売られたときの記録まで残している。
表には狩りの一行が、裏には作者の名と番号と値段がある。
虎はその表側の、丘の上の一点である。
虎は、獲物をくわえる
七点目は、ブロンズである。

黒く光る小さな塊である。
虎が腹ばいになり、前脚で何かを押さえている。
押さえられているのは、細長い獣である。
体は蛇のように長く、脚が短い。
口が細く前へ伸びている。
虎は頭を下げ、その体に噛みついている。
背中の筋肉が盛り上がり、肩の骨が浮く。
後ろ脚は畳まれ、尾が体の右へ回り込む。
台座は平らで、縁が波打っている。
全体で20.4センチ四方しかない。
館の記録では、この細長い獣は南アジアの大きな爬虫類である。
鰐に近く、姿もよく似ているという。
館の記録は、それだけを書いている。
九点のうち、虎が何かを食べている場面は、この一点だけである。
そして二頭の獣は、体の作りがまるで違う。
虎は毛の塊で、面が丸く、光を柔らかく返す。
爬虫類のほうは鱗で覆われ、稜が立ち、光が鋭く走る。
同じブロンズという材料で、二つの表面が作り分けられている。
台座を含めて20センチ四方だから、机の上に置ける大きさである。
近づいて、上から見下ろす形になる。
見下ろす位置から、獣が獣を襲う場面を眺めることになる。
川の向こうに、虎撃ちがいる
八点目は、風景の中の狩りである。

明るい水色の川が、画面の中央を横に流れる。
左には、濃い緑の木立が壁のように立つ。
右奥には、細い椰子の木が数本伸びる。
木立から川へ、細長い幹が一本、斜めに渡されている。
橋である。
その手前、川の上に小さな舟が浮かぶ。
舟には人が二人乗り、片方が銃を構えている。
そして右の岸、水際に、獣が二頭いる。
体は茶色く、縞があるように見える。
一頭は水を飲むように頭を下げている。
もう一頭はその後ろに立つ。
大きさは、舟の人より小さく描かれている。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
制作の年は1854年から1869年のあいだと、幅で示されている。
この画家の題の付け方については、題と場所で扱った。
題には「虎撃ち」とあるが、まだ撃たれていない。
構えたところで、画面は止まっている。
そして支持体が変わっている。
館の記録では、カード紙に油彩で描き、それを厚紙に貼り付けている。
布でも板でもない。
紙に油を含ませた絵の具を置くと、下地が吸い込んで沈む。
この画面の色が全体に平らに見えるのは、そのためかもしれない。
椰子の緑も、水の青も、厚みを持たずに広がっている。
平らな色の中では、虎の縞も目立たない。
支持体の選び方が、獣の見え方まで決めている。
虎は、床に敷かれる
最後の一点は写真である。

屋外に近い広間である。
背後に柱と壁があり、ガラス戸が並ぶ。
その前に、人が十数人集まっている。
椅子に座る者、後ろに立つ者。
男は上着に帽子、女は長い裾の服を着ている。
みなくつろいだ姿勢で、こちらを向いている。
そして床の手前に、敷物が広げられている。
敷物には、頭が付いている。
口を開け、牙が見える。
四肢が左右に広がり、平らに伸びている。
虎の毛皮である。
その上に、白い犬が一頭寝そべっている。
館の記録では、1887年にこの写真家は英国のインド軍の総司令官つきの写真家に任じられた。
写っているのは、その人の家族と友人たちである。
左から三番目に座っているのが、その司令官だという。
一行はその一週間、公式の行事を終えたところだった。
女王の即位五十年を祝う仮装の舞踏会も含まれていた。
その舞踏会が、司令官の家に増築された広間の開きの会だった。
翌日、司令官は勲位を受けた。
館の記録は、そう書いている。
そして虎の毛皮について、こう続ける。
これは英国側の大物狩りの成果を示している。
敷物として使うことは、この遊びに対する英国人の態度を示す。
インドの人々にとって虎は王の力を意味していたが、そこには大きな違いがあるという。
館の記録は、そこまで書いている。
同じ写真家の別の一枚は、牛の回で見た。
そちらでは、軍の牛が隊列を組んでいた。
こちらでは、獣が床に広げられている。
数えてみると
九点を並べ直す。
虎が生きて画面にいるのは、六点である。
対幅の一頭、屏風の五頭、正面の頭、横たわる一頭、ブロンズの一頭、狩りの図の一頭。
川辺の二頭を加えれば七点になるが、そこでは撃たれる直前である。
死んでいるのは、写真の毛皮の一点だけである。
もう一つ数えておく。
九点のうち、虎の縞がはっきりと体に沿って描かれているのは三点である。
横たわる一頭、正面の頭、そして屏風の五頭。
木版では縞は体を離れ、画面全体に散っていた。
対幅では絹が暗くなり、縞はほとんど見えない。
狩りの図では小さすぎて、縞かどうかも定かでない。
縞という特徴は、思ったほど安定して描かれていない。
言えることと、言えないこと
言えるのは、虎が「見たか見ていないか」で描き方の分かれる獣だということである。
骨格が正確な三点は、いずれもヨーロッパの画家の手による。
十九世紀のヨーロッパには、動物園と巡回の見世物があった。
見る機会が増えたことが、脚の付け根の描き方に出ている。
言えないのは、見ていない絵が劣るという話である。
屏風の五頭は、白い余白の中で堂々と体を伸ばしていた。
対幅の一頭は、龍と対をなす力として暗がりに置かれていた。
正確さとは別の役目が、そこには与えられている。
最後に、写真の一点へ戻る。
床に広げられた毛皮には、頭が付いたままだった。
口を開け、牙を見せている。
生きているときの構えを保ったまま、平らにされている。
その上で、犬が眠っている。
九点を数え終えて残るのは、その二つの獣の重なりのほうである。


