蛇は、曲がり方で説明する——プラクシテレス・ゴブラン・セイヤーほか九点
獅子の下で、蛇はねじれる
四点目は、小さなブロンズである。

黒く光る塊である。
高さは15.3センチしかない。
獅子が一頭、前脚を踏み出している。
頭を下げ、口を開けている。
たてがみは首のまわりで渦を巻く。
背の筋肉が盛り上がり、肩の骨が浮く。
その前脚の下に、細長い体がある。
蛇である。
体は前脚に押さえつけられ、二か所で折れ曲がる。
尾は獅子の後ろへ回り込み、台座の縁に沿って伸びる。
頭は獅子の口の下にある。
台座は楕円形で、緑の石の上に据えられている。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
この作者の別のブロンズは、虎の回で見た。
そちらでは虎が細長い爬虫類を食べていた。
こちらでは獅子が蛇を押さえている。
同じ作者が、大きな獣と細長い獣の組み合わせをくり返し作っている。
細長い体は、押さえられ、噛まれ、ねじれる形として使いやすい。
そして小さな像であることも効いている。
高さ15.3センチは、手のひらに載る大きさである。
机の上に置けば、上から見下ろすことになる。
見下ろせば、獅子の背中と、その下でねじれる蛇の体が同時に見える。
もし等身大なら、蛇は脚の陰に隠れてしまう。
小ささが、二頭の関係を見せている。
台座が楕円なのも、回して見ることを想定した形である。
枯葉の中に、蛇が隠れている
五点目では、蛇はほとんど見えない。

画面いっぱいに、枯葉が敷き詰められている。
葉は黄褐色で、縁が反り返っている。
一枚ずつ形が違い、重なり合っている。
葉脈が細い線で描かれている。
光は上から当たり、葉の縁に明るい線を作る。
そのあいだに、影が濃く落ちる。
画面の中ほど、やや左に、別の模様がある。
茶色と暗い赤褐色が、帯になって続いている。
その帯は、葉の重なりと同じ向きに走る。
輪郭を追うと、体が横切っていることが分かる。
蛇である。
頭がどこにあるのかは、すぐには分からない。
館の記録では、これは一冊の本のための習作である。
題には、動物界の隠す色という書名が入っている。
つまりこの一枚は、隠れることそのものを示すために描かれた。
蛇の模様と枯葉の模様が同じであることが、この絵の内容である。
前の回で見た虎の頭は、同じ画家の手による。
そちらでは、獣の顔が暗闇から大きく浮かび上がっていた。
こちらでは、獣が地面に溶けている。
同じ人が、見せることと隠すことの両方を描いている。
支持体の作りも見ておきたい。
厚紙に水彩で描き、それを板に貼り付けてある。
紙のままでは反るので、板で押さえたのだろう。
本の図版として写真に撮ることが前提だったからかもしれない。
ただし、それは記録に書かれていない。
書かれているのは、これが一冊の本のための習作だということである。
つまりこの一枚は、単独の作品として構想されていない。
論を示すための図として描かれている。
紋章の中で、蛇はとぐろを巻く
六点目は、写本の一葉である。

大きな一葉である。
59.3×42.7センチある。
上部には、赤い文字で見出しが書かれている。
その下に、五線と四角い音符が並ぶ。
左には、大きな頭文字がある。
青と桃色の枠に、金の縁取りが付く。
その内側に、人がひとり立っている。
長い衣をまとい、頭に光の輪がある。
手には巻物のようなものを持つ。
頭文字からは、飾りの蔓が上下へ伸びる。
蔓には青と赤の葉が付き、金の点が散る。
そして下の余白に、丸い紋章が三つ並ぶ。
左の紋章には、鳥がいる。
翼を広げた鷲である。
右の紋章には、細長いものが縦にうねっている。
とぐろを巻いた蛇である。
館の記録では、この二つはある一族の紋章である。
その一族は、この町を治めていた。
そして中央の下には、修道会の紋章が置かれている。
その修道会は十四世紀に興り、白い修道士と呼ばれたという。
この一葉は、一族の誰かが修道院へ贈った聖歌集の一冊に属していたらしい。
館の記録は、そう推測している。
つまりこの蛇は、獣ではなく家の名の代わりである。
聖人の名が絵の中に書かれる例については、聖人の名で扱った。
聖歌集という本の大きさも考えておきたい。
一葉が59.3×42.7センチある。
これは、離れた場所から複数の人が同時に読むための大きさである。
だから音符も文字も大きい。
その大きな紙の下の余白に、紋章が三つ置かれている。
歌う人の目には、歌詞の下にいつも紋章が入ることになる。
誰がこの本を贈ったかが、歌うたびに目に入る。
蛇はそのための印である。
翼のある蛇に、人がまたがる
七点目は、月世界の版画である。