美術史・技法

等間隔の柱が、時間を刻む——グラネ・ピラネージ・ロベールほか九点の回廊

外から見ると、廊下は柱の列になる

廊下を外から見ると、まったく違うものに見える。

見えるのは、柱が等間隔に並んだ面である。

十九世紀にインドで撮られた写真が、その典型だった。

台紙は62×43センチ。

写っているのは、石の柱がずらりと並ぶ廊である。

柱は太く、面には彫刻がある。

柱の間隔は、ほぼ等しい。

その等しさが、画面に静かな拍子を作る。

上には、水平の石の梁が渡る。

梁の上には、また別の建物の縁が見える。

人は一人も写っていない。

台紙の下の余白には、題が二つの言語で刷り込まれている。

この写真は、同じ場所を撮った別の一枚と対になる。

もう一枚は、柱の列の内側から撮ったものだった。

その一枚は、別の回で室内の例として取り上げた

外から撮れば柱の列に、内から撮れば通路に見える。

同じ場所で、二通りの画面が作れる。

デリー、ピルティ・ラージの列柱廊
ルイ=テオフィル・マリー・ルスレ《デリー、ピルティ・ラージの列柱廊》1865〜68年撮影、1869〜70年刊。館の記録では、ガラス原板からのアルビュメン・プリント。台紙は62×43センチ。番号は2022.58.18。クリーヴランド美術館蔵。ルイ=テオフィル・マリー・ルスレ《デリー、ピルティ・ラージの列柱廊》クリーヴランド美術館蔵

外から見た例は、ほかにもある。

十九世紀のイギリスで撮られた大聖堂の写真である。

画面は41.3×34.8センチ、台紙まで含めると71.1×55.9センチ。

写っているのは、聖堂に付属する門廊の外観である。

尖ったアーチが、二層になって並ぶ。

石の面は白く、細かい影が刻まれている。

手前には低い塀と、草の生えた地面がある。

木の枝が、画面の右下に伸びる。

人は写っていない。

館の記録によれば、湿板コロジオンの陰画から作った印画である。

その方式では、撮影の直前に薬を塗り、湿ったまま撮る。

暗室を現場へ持ち込む必要があった。

大きな建物を細かく写すために、それだけの手間がかかっている。

リンカン大聖堂:ガリラヤ門廊
ロジャー・フェントン《リンカン大聖堂:ガリラヤ門廊》1857年頃。館の記録では、湿板コロジオンの陰画から作った鶏卵紙印画。画面41.3×34.8センチ。台紙を含めて71.1×55.9センチ。番号は1988.85。クリーヴランド美術館蔵。ロジャー・フェントン《リンカン大聖堂:ガリラヤ門廊》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、二十世紀の水彩である。

紙は45.9×30.6センチ。

フランスの大聖堂の回廊を、斜め上から見た画面になっている。

アーチは黒と白の石を交互に積んでいる。

その縞が、画面の左から右へ規則正しく続く。

上には、赤い瓦の屋根が載る。

奥には、大きな建物の壁がそびえる。

手前の地面は緑がかった影に沈む。

館の記録では、作者は建築家でもある。

建築家が描いた回廊は、寸法の取り方が正確に見える。

アーチの高さと幅の比が、どれもそろっている。

ただし、それが実測に基づくかどうかは記録にない。

ル・ピュイ大聖堂の回廊
キャス・ギルバート《ル・ピュイ大聖堂の回廊》1929年。館の記録では、紙に水彩、鉛筆、木炭。紙は45.9×30.6センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。キャス・ギルバート《ル・ピュイ大聖堂の回廊》スミソニアン協会蔵

四点目は、実在しない建物の絵である。

十七世紀末の油彩で、全体は97.6×135センチ。

九点のなかでは、いちばん大きい。

画面には、巨大なアーチの並ぶ廃墟がある。

その手前に、太い円柱が四本立つ。

柱の上には、飾りのない冠板が載る。

館の記録は、それを古い様式の柱と書いている。

柱と廃墟は、実際には同じ場所にない。

画家が組み合わせて作った眺めである。

こうした絵を、建築の空想画と呼ぶ。

地面には、人が十数人いる。

赤や青の衣を着て、階段や日陰に散っている。

空は明るく、雲が薄い。

廃墟の向こうには、木立が見える。

ドーリア式列柱のあるコンスタンティヌスのバシリカ
ニッコロ・コダッツィ《ドーリア式列柱のあるコンスタンティヌスのバシリカ》1685〜90年。館の記録では、油彩・カンヴァス。全体97.6×135センチ。額を含めて114.9×151.1×5.1センチ。番号は2010.93.42。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ニッコロ・コダッツィ《ドーリア式列柱のあるコンスタンティヌスのバシリカ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

描きかけの通路

最後の一点は、スケッチブックの一葉である。

紙は14.9×21.9センチ。

黒鉛だけで、ごく薄く描かれている。

見開きに、二つの図がある。

左には、丸いアーチの並ぶ何かの輪郭。

線は数本しかなく、形は決まっていない。

右には、四角い枠の中に人影が三つほど描かれる。

枠の上は、丸いアーチになっている。

その下に、鉛筆で書き込みがある。

題と年が書かれているらしい。

館の記録は、この紙を墓の前廊の図と書いている。

番号には「表」を意味する語が付いている。

つまり裏にも何かが描かれている可能性が高い。

一枚の紙が、表裏で二つの記録になる。

ラケルの墓の前廊(スケッチブックより)
メアリー・ニューボールド・サージェント《ラケルの墓の前廊(スケッチブックより)》1904年。館の記録では、紙に黒鉛。14.9×21.9センチ。番号は50.130.151t表。メトロポリタン美術館蔵。メアリー・ニューボールド・サージェント《ラケルの墓の前廊(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

柱の数を、数えてみる

画面に入った柱やアーチの数を、数えてみたい。

数えられたのは、七点である。

最初の油彩では、天井の骨が十一本まで数えられた。

奥の三本ほどは、詰まりすぎて分けられない。

水彩の回廊では、アーチが八つ数えられる。

そのうち手前の四つは、はっきり見える。

奥の四つは、影に沈んで輪郭だけになる。

インドの写真では、太い柱が八本並んでいた。

いちばん手前の柱は画面に収まりきらず、上が切れている。

大聖堂の写真では、上下二層のアーチが数えられる。

下の層に五つ、上の層に六つ見える。

回廊の水彩では、縞のアーチが九つ並ぶ。

廃墟の油彩では、大きなアーチが三つと、円柱が四本。

牢獄の版画は、数えようとすると混乱する。

柱らしいものが何本かあるが、どれがどの層に属するか決められない。

数えられないことが、この版画の性質である。

七点で数えた結果、いちばん多いのは十一だった。

いちばん少ないのは三である。

画面に入る数は、見る位置で決まる。

近づけば数は減り、離れれば増える。

だから柱の数は、建物ではなく画面の情報である。