等間隔の柱が、時間を刻む——グラネ・ピラネージ・ロベールほか九点の回廊
外から見ると、廊下は柱の列になる
廊下を外から見ると、まったく違うものに見える。
見えるのは、柱が等間隔に並んだ面である。
十九世紀にインドで撮られた写真が、その典型だった。
台紙は62×43センチ。
写っているのは、石の柱がずらりと並ぶ廊である。
柱は太く、面には彫刻がある。
柱の間隔は、ほぼ等しい。
その等しさが、画面に静かな拍子を作る。
上には、水平の石の梁が渡る。
梁の上には、また別の建物の縁が見える。
人は一人も写っていない。
台紙の下の余白には、題が二つの言語で刷り込まれている。
この写真は、同じ場所を撮った別の一枚と対になる。
もう一枚は、柱の列の内側から撮ったものだった。
その一枚は、別の回で室内の例として取り上げた。
外から撮れば柱の列に、内から撮れば通路に見える。
同じ場所で、二通りの画面が作れる。

外から見た例は、ほかにもある。
十九世紀のイギリスで撮られた大聖堂の写真である。
画面は41.3×34.8センチ、台紙まで含めると71.1×55.9センチ。
写っているのは、聖堂に付属する門廊の外観である。
尖ったアーチが、二層になって並ぶ。
石の面は白く、細かい影が刻まれている。
手前には低い塀と、草の生えた地面がある。
木の枝が、画面の右下に伸びる。
人は写っていない。
館の記録によれば、湿板コロジオンの陰画から作った印画である。
その方式では、撮影の直前に薬を塗り、湿ったまま撮る。
暗室を現場へ持ち込む必要があった。
大きな建物を細かく写すために、それだけの手間がかかっている。

三点目は、二十世紀の水彩である。
紙は45.9×30.6センチ。
フランスの大聖堂の回廊を、斜め上から見た画面になっている。
アーチは黒と白の石を交互に積んでいる。
その縞が、画面の左から右へ規則正しく続く。
上には、赤い瓦の屋根が載る。
奥には、大きな建物の壁がそびえる。
手前の地面は緑がかった影に沈む。
館の記録では、作者は建築家でもある。
建築家が描いた回廊は、寸法の取り方が正確に見える。
アーチの高さと幅の比が、どれもそろっている。
ただし、それが実測に基づくかどうかは記録にない。

四点目は、実在しない建物の絵である。
十七世紀末の油彩で、全体は97.6×135センチ。
九点のなかでは、いちばん大きい。
画面には、巨大なアーチの並ぶ廃墟がある。
その手前に、太い円柱が四本立つ。
柱の上には、飾りのない冠板が載る。
館の記録は、それを古い様式の柱と書いている。
柱と廃墟は、実際には同じ場所にない。
画家が組み合わせて作った眺めである。
こうした絵を、建築の空想画と呼ぶ。
地面には、人が十数人いる。
赤や青の衣を着て、階段や日陰に散っている。
空は明るく、雲が薄い。
廃墟の向こうには、木立が見える。

描きかけの通路
最後の一点は、スケッチブックの一葉である。
紙は14.9×21.9センチ。
黒鉛だけで、ごく薄く描かれている。
見開きに、二つの図がある。
左には、丸いアーチの並ぶ何かの輪郭。
線は数本しかなく、形は決まっていない。
右には、四角い枠の中に人影が三つほど描かれる。
枠の上は、丸いアーチになっている。
その下に、鉛筆で書き込みがある。
題と年が書かれているらしい。
館の記録は、この紙を墓の前廊の図と書いている。
番号には「表」を意味する語が付いている。
つまり裏にも何かが描かれている可能性が高い。
一枚の紙が、表裏で二つの記録になる。

柱の数を、数えてみる
画面に入った柱やアーチの数を、数えてみたい。
数えられたのは、七点である。
最初の油彩では、天井の骨が十一本まで数えられた。
奥の三本ほどは、詰まりすぎて分けられない。
水彩の回廊では、アーチが八つ数えられる。
そのうち手前の四つは、はっきり見える。
奥の四つは、影に沈んで輪郭だけになる。
インドの写真では、太い柱が八本並んでいた。
いちばん手前の柱は画面に収まりきらず、上が切れている。
大聖堂の写真では、上下二層のアーチが数えられる。
下の層に五つ、上の層に六つ見える。
回廊の水彩では、縞のアーチが九つ並ぶ。
廃墟の油彩では、大きなアーチが三つと、円柱が四本。
牢獄の版画は、数えようとすると混乱する。
柱らしいものが何本かあるが、どれがどの層に属するか決められない。
数えられないことが、この版画の性質である。
七点で数えた結果、いちばん多いのは十一だった。
いちばん少ないのは三である。
画面に入る数は、見る位置で決まる。
近づけば数は減り、離れれば増える。
だから柱の数は、建物ではなく画面の情報である。