等間隔の柱が、時間を刻む——グラネ・ピラネージ・ロベールほか九点の回廊
光は、必ず片側から来る
回廊の片側は、たいてい開いている。
だから光は、必ず片側から入る。
九点で、光の来る側を読みたい。
読めたのは八点だった。
左から来るものが三点。
右から来るものが三点。
正面から、つまり奥から来るものが二点ある。
奥から来る二点は、いずれも廊下の中から描かれていた。
突き当たりが明るく、手前が暗い。
この配置だと、見る人は奥へ引かれる。
暗い所から明るい所を見る形になるからである。
左右から光が入る場合は、床に縞ができる。
柱の影が、等間隔に落ちるためである。
水彩の回廊では、その縞がはっきり描かれていた。
明るい帯と暗い帯が、交互に八つほど並ぶ。
縞は、柱の間隔をもう一度なぞっている。
つまり同じ規則が、柱と影の二重で示される。
光の向きが読めなかった一点は、牢獄の版画だった。
天井が高すぎて、どこから光が来るか分からない。
明るい面と暗い面はあるが、規則がない。
回廊の絵は、思ったより小さい
寸法の欄を並べて、気づいたことがある。
九点のうち六点が、五十センチに満たない。
いちばん小さいのは14.9×21.9センチの素描。
次が18.3×25.1センチの水彩である。
大きいのは、廃墟の油彩と二枚の写真だけだった。
回廊は、実物なら数十メートルある建築である。
それを二十センチの紙に収めている。
縮尺で言えば、百分の一より小さい。
小さな紙に長い空間を入れられるのは、繰り返しがあるからだろう。
同じ形を並べれば、少ない面積で長さを示せる。
反対に、部屋の絵では繰り返しが使えない。
だから部屋は、実物に近い比率で描かれることが多い。
これは今回の九点と、前に見た室内の九点を比べての印象である。
数として確かめたわけではない。
確かめるには、両方の寸法を全部並べる必要がある。
いまは、そういう傾向がありそうだ、と書くにとどめたい。
数え直す
九点を並べ直したい。
廊下の中から描いたものが、四点。
外から見たものが、五点。
人が描かれているのは、六点だった。
人がいないのは、写真二点と水彩一点である。
いずれも、建物そのものを記録する目的が強い。
柱やアーチが等間隔に並ぶのは、八点。
間隔が崩れているのは、牢獄の版画だけである。
そして、実在しない場所を描いたものが二点あった。
牢獄と、廃墟に柱を組み合わせた油彩である。
手を加えたことが記録に明記されているものが、もう一点ある。
柱を古びさせ、兵士を描き足した二部作である。
九点のうち三点は、見たままではない。
誰が、そこを歩いているか
人が描かれた六点で、その人が誰かを見たい。
はっきり分かるのは、二点だけだった。
黒い衣の修道士と、褐色の衣の修道士である。
いずれも回廊のある建物に属する人である。
残る四点では、人は誰とも決められない。
牢獄の版画の人影は、囚人か番人か分からない。
廃墟の油彩の人々は、赤や青の衣を着ているだけである。
二部作の人々も、集まっている理由が画面からは読めない。
素描の人影に至っては、輪郭しかない。
回廊は、誰でも通れる場所である。
だから、そこにいる人の身分は決めにくい。
部屋なら、家具や道具から住人が推せる。
廊下には、置かれた物がほとんどない。
物がないから、人の説明もできない。
館の記録も、人については書かない。
書かれるのは、場所の名だけである。
修道士と分かるのは、題にそう書いてあるからである。
画面の黒い衣だけでは、そこまで決められない。
題が、画面の読み方を先に決めている。
等間隔が、時間を作る
数えた結果から、一つのことが言えそうである。
廊下の絵は、等間隔の繰り返しでできている。
柱、アーチ、天井の骨、床の影。
いずれも、同じ形が同じ間隔で並ぶ。
その繰り返しが、画面に時間を持ち込む。
人が歩けば、柱が一本ずつ過ぎていく。
一本、二本と数えることが、そのまま時間を数えることになる。
絵は動かないが、繰り返しは数えられる。
数えられるものがあると、見る人はそこを歩いた気になる。
これは、部屋の絵にはない働きである。
部屋は四方が閉じているので、繰り返しが起きにくい。
廊下だけが、同じ形を並べ続けられる。
そして繰り返しが崩れると、空間は不安になる。
牢獄の版画が落ち着かないのは、そのためだと考えられる。
柱の間隔も、階段の向きも、そろっていない。
規則を壊すことで、その規則の強さが分かる。
記録は、長さを書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、描かれた廊下の長さは書かれていない。
書かれるのは、作品そのものの寸法である。
いちばん大きいのは97.6×135センチの油彩。
いちばん小さいのは14.9×21.9センチの素描。
その差はおよそ四十倍である。
だが、描かれた廊下の長さは、どちらも分からない。
一つだけ、長さの数字が記録に出てくる例があった。
洞窟の絵についての記述である。
館は、その洞窟が六百メートルを超えると書いている。
これは絵から測ったのではなく、実際の場所の数値である。
館は、絵の外の知識を注記として添えている。
そういう注記は、あるものとないものがある。
今回の九点では、一点だけだった。
残る八点では、通路の長さを知る手がかりがない。
画面に写っている柱の数を数えるしかない。
数えられるのは、画面に入った範囲だけである。
廊下は、たいてい画面の外へ続いている。
続いている先は、記録にも画像にも残らない。










