柳は、枝の向きだけで成り立つ——陳洪綬・一休宗純・コローほか九点

細長い縦の版画である。
30.3×14.3センチしかない。
男がひとり、立っている。
着物の裾をからげ、片足を前へ出す。
腰には刀を差している。
顔は横を向き、口を結んでいる。
眉が太く、目が大きい。
そして男の背後に、柳が立っている。
幹は細く、上へ伸びる。
枝は左右へ広がり、先が下へ垂れる。
葉は細く、緑で刷られている。
背景は塗られておらず、紙の色である。
つまり柳と男だけが画面にある。
館の記録では、この一枚は上演の月まで記されている。
三月の芝居である。
柳は春に芽吹くので、季節を示す役をしている。
九点のうち、柳が季節の合図として置かれているのは、この一点である。
背景を塗らないという作りも見ておきたい。
紙の色をそのまま残せば、色の版が一つ減る。
版画は色ごとに版木を彫るので、色を減らせば手間も費用も減る。
そのうえで、柳の緑と着物の色だけを刷る。
つまり残された白は、節約であり、同時に構図でもある。
白い地の上では、垂れた枝の輪郭がはっきり見える。
葉の一枚ずつまで、緑の点として数えられる。
柳のもとに、若者が座る
五点目は、写本の一葉である。

小さな図である。
15×9.6センチしかない。
画面の右に、木が立っている。
幹は細く、途中で二つに分かれる。
枝は上へ伸び、先が細かく分かれて垂れる。
葉は小さく、点として並ぶ。
その木の下に、若者が座っている。
膝を折り、体を斜めに向ける。
上着は長く、裾が地に広がる。
頭には布を巻いている。
手には小さなものを持つ。
地面は淡い色で、細かい草が描かれる。
まわりには、金の縁飾りが回る。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
つまり、この若者が誰かは書かれていない。
分かるのは、木の下に座っていることだけである。
先の一葉では、詩人が柳の幹の下に立っていた。
こちらでは、名のない若者が座っている。
柳の下に人を置くという構図が、二つの土地で共通している。
金の縁飾りも見ておきたい。
図の外側に、細い金の線が何重にも回る。
そのさらに外に、装飾の帯がある。
つまりこの小さな図は、何重もの枠に包まれている。
一葉の絵として、画帖に貼られていたのだろう。
枠が多いほど、中の図は貴重なものとして扱われる。
15×9.6センチの図を、33.5×21.9センチの紙が囲んでいる。
面積でいえば、図は紙の五分の一ほどしかない。
冬の柳は、裸で立つ
六点目は、川の風景である。

横長の小さな画面である。
13.9×21センチしかない。
線だけで刷られている。
画面の右手前に、木が三本立つ。
幹は太く、上のほうで切られている。
そこから、細い枝が上へ何本も伸びる。
葉は一枚も付いていない。
館の記録では、これは裸の柳である。
画面の中央には、長い木の橋がある。
橋は曲がりくねって、向こう岸へ続く。
その先には、村がある。
家の屋根と、教会の塔が見える。
手前には川が流れ、水面が細い横線で示される。
館の記録では、作者はある川を下って旅をしたあと、この一連の版を作ったらしい。
多くの建物、耕された畑、道は、人の営みとその跡を強調している。
しかしそれは、つねに特定の地形を言い表すためのものだという。
館の記録は、そう読んでいる。
つまりこの柳は、風景を測るための目印である。
枝を切られているのは、枝を使うためである。
垂れる枝を切り落とすと、柳は幹だけの棒になる。
九点のうち、柳が垂れていないのはこの一点と、次の一点である。
そして館の記録は、この作者の技法についても書いている。
エッチングを早くから用いた人で、ドイツで最初に銅の版を使った画家のひとりだという。
それまでは鉄の版が使われていた。
銅は柔らかく、細い線を長く引ける。
この画面の水面の横線や、遠くの家の輪郭は、その細さで描かれている。
材料が変わると、風景の遠さの表し方も変わる。
川辺の柳は、光の塊になる
七点目は、油彩である。

横長の小さな画面である。
36.3×44.4センチしかない。
画面の下には、静かな水が広がる。
水面は灰色で、わずかに光る。
その向こうに、岸がある。
岸には木が数本立つ。
幹は細く、上のほうに丸い葉の塊が乗る。
葉は細かい筆触で、光を含んで見える。
輪郭ははっきりしない。
木のあいだに、農家の屋根が見える。
空は白く、雲が薄く広がる。
館の記録では、静かな水と空、ふんわりした木、光を散らした葉が、この画家の様式を示している。
その様式が、広い人々の支持を得たという。
そしてこの絵は、ある町に滞在していた年に描かれた。
館の記録は、そう書いている。
この画家の灰色については、銀灰色で扱った。
ここでの柳は、垂れる枝を持たない。
塊としての葉があるだけである。
題がなければ、柳とは分からない。
そして題には、土地の名が入っている。
館の記録によれば、その町はパリから北へ百六十キロほどの場所である。
つまりこの絵は、特定の場所を描いている。
しかし画面から場所を特定できる手がかりは、ほとんどない。
水と、木と、屋根があるだけである。
題の地名と、画面の曖昧さが、そこで食い違っている。
館の記録は、この様式が広い支持を得たと書いている。
どこにでもありそうに見えることが、その支持の理由かもしれない。