作品を知る

柳は、枝の向きだけで成り立つ——陳洪綬・一休宗純・コローほか九点

柳のそばに立つ無頼漢に扮する三代目大谷広右衛門
勝川春章《柳のそばに立つ無頼漢に扮する三代目大谷広右衛門》1777年。館の記録では、木版多色摺。画面は30.3×14.3センチ。番号はJP364。メトロポリタン美術館蔵。勝川春章《柳のそばに立つ無頼漢に扮する三代目大谷広右衛門》メトロポリタン美術館蔵

細長い縦の版画である。

30.3×14.3センチしかない。

男がひとり、立っている。

着物の裾をからげ、片足を前へ出す。

腰には刀を差している。

顔は横を向き、口を結んでいる。

眉が太く、目が大きい。

そして男の背後に、柳が立っている。

幹は細く、上へ伸びる。

枝は左右へ広がり、先が下へ垂れる。

葉は細く、緑で刷られている。

背景は塗られておらず、紙の色である。

つまり柳と男だけが画面にある。

館の記録では、この一枚は上演の月まで記されている。

三月の芝居である。

柳は春に芽吹くので、季節を示す役をしている。

九点のうち、柳が季節の合図として置かれているのは、この一点である。

背景を塗らないという作りも見ておきたい。

紙の色をそのまま残せば、色の版が一つ減る。

版画は色ごとに版木を彫るので、色を減らせば手間も費用も減る。

そのうえで、柳の緑と着物の色だけを刷る。

つまり残された白は、節約であり、同時に構図でもある。

白い地の上では、垂れた枝の輪郭がはっきり見える。

葉の一枚ずつまで、緑の点として数えられる。

柳のもとに、若者が座る

五点目は、写本の一葉である。

柳のもとに座る若者(一葉の挿絵)
ムハンマド・ユースフ《柳のもとに座る若者》1600年から1650年ごろ。館の記録では、紙にインクと金と彩色。図は15×9.6センチ。番号は1947.499。クリーヴランド美術館蔵。ムハンマド・ユースフ《柳のもとに座る若者(一葉の挿絵)》クリーヴランド美術館蔵

小さな図である。

15×9.6センチしかない。

画面の右に、木が立っている。

幹は細く、途中で二つに分かれる。

枝は上へ伸び、先が細かく分かれて垂れる。

葉は小さく、点として並ぶ。

その木の下に、若者が座っている。

膝を折り、体を斜めに向ける。

上着は長く、裾が地に広がる。

頭には布を巻いている。

手には小さなものを持つ。

地面は淡い色で、細かい草が描かれる。

まわりには、金の縁飾りが回る。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

つまり、この若者が誰かは書かれていない。

分かるのは、木の下に座っていることだけである。

先の一葉では、詩人が柳の幹の下に立っていた。

こちらでは、名のない若者が座っている。

柳の下に人を置くという構図が、二つの土地で共通している。

金の縁飾りも見ておきたい。

図の外側に、細い金の線が何重にも回る。

そのさらに外に、装飾の帯がある。

つまりこの小さな図は、何重もの枠に包まれている。

一葉の絵として、画帖に貼られていたのだろう。

枠が多いほど、中の図は貴重なものとして扱われる。

15×9.6センチの図を、33.5×21.9センチの紙が囲んでいる。

面積でいえば、図は紙の五分の一ほどしかない。

冬の柳は、裸で立つ

六点目は、川の風景である。

右手に三本の裸の柳、中央に村へ続く長い曲がりくねった木の橋のある川の風景
アウグスティン・ヒルシュフォーゲル《三本の裸の柳と木の橋のある川の風景》1546年。館の記録では、エッチング。図は13.9×21センチ。番号は1953.157。クリーヴランド美術館蔵。アウグスティン・ヒルシュフォーゲル《右手に三本の裸の柳、中央に村へ続く長い曲がりくねった木の橋のある川の風景》クリーヴランド美術館蔵

横長の小さな画面である。

13.9×21センチしかない。

線だけで刷られている。

画面の右手前に、木が三本立つ。

幹は太く、上のほうで切られている。

そこから、細い枝が上へ何本も伸びる。

葉は一枚も付いていない。

館の記録では、これは裸の柳である。

画面の中央には、長い木の橋がある。

橋は曲がりくねって、向こう岸へ続く。

その先には、村がある。

家の屋根と、教会の塔が見える。

手前には川が流れ、水面が細い横線で示される。

館の記録では、作者はある川を下って旅をしたあと、この一連の版を作ったらしい。

多くの建物、耕された畑、道は、人の営みとその跡を強調している。

しかしそれは、つねに特定の地形を言い表すためのものだという。

館の記録は、そう読んでいる。

つまりこの柳は、風景を測るための目印である。

枝を切られているのは、枝を使うためである。

垂れる枝を切り落とすと、柳は幹だけの棒になる。

九点のうち、柳が垂れていないのはこの一点と、次の一点である。

そして館の記録は、この作者の技法についても書いている。

エッチングを早くから用いた人で、ドイツで最初に銅の版を使った画家のひとりだという。

それまでは鉄の版が使われていた。

銅は柔らかく、細い線を長く引ける。

この画面の水面の横線や、遠くの家の輪郭は、その細さで描かれている。

材料が変わると、風景の遠さの表し方も変わる。

川辺の柳は、光の塊になる

七点目は、油彩である。

サント・カトリーヌ・レ・アラスの柳と農家
ジャン・バティスト・カミーユ・コロー《サント・カトリーヌ・レ・アラスの柳と農家》1871年。館の記録では、布に油彩。額なしで36.3×44.4センチ。番号は1916.1047。クリーヴランド美術館蔵。ジャン・バティスト・カミーユ・コロー《サント・カトリーヌ・レ・アラスの柳と農家》クリーヴランド美術館蔵

横長の小さな画面である。

36.3×44.4センチしかない。

画面の下には、静かな水が広がる。

水面は灰色で、わずかに光る。

その向こうに、岸がある。

岸には木が数本立つ。

幹は細く、上のほうに丸い葉の塊が乗る。

葉は細かい筆触で、光を含んで見える。

輪郭ははっきりしない。

木のあいだに、農家の屋根が見える。

空は白く、雲が薄く広がる。

館の記録では、静かな水と空、ふんわりした木、光を散らした葉が、この画家の様式を示している。

その様式が、広い人々の支持を得たという。

そしてこの絵は、ある町に滞在していた年に描かれた。

館の記録は、そう書いている。

この画家の灰色については、銀灰色で扱った。

ここでの柳は、垂れる枝を持たない。

塊としての葉があるだけである。

題がなければ、柳とは分からない。

そして題には、土地の名が入っている。

館の記録によれば、その町はパリから北へ百六十キロほどの場所である。

つまりこの絵は、特定の場所を描いている。

しかし画面から場所を特定できる手がかりは、ほとんどない。

水と、木と、屋根があるだけである。

題の地名と、画面の曖昧さが、そこで食い違っている。

館の記録は、この様式が広い支持を得たと書いている。

どこにでもありそうに見えることが、その支持の理由かもしれない。