作品を知る

柳は、枝の向きだけで成り立つ——陳洪綬・一休宗純・コローほか九点

鉛筆の風景に、柳が添えられる

八点目は、素描である。

孤独な塔(柳と舟のある川辺の城)
メアリー・アルサ・ニムズ《孤独な塔》1800年代。館の記録では、鉛筆。番号は1934.120。クリーヴランド美術館蔵。メアリー・アルサ・ニムズ《孤独な塔(柳と舟のある川辺の城)》クリーヴランド美術館蔵

白い紙に、鉛筆だけで描かれている。

画面の右に、高い塔が立つ。

塔は四角く、上に狭間が並ぶ。

その下には、城のような建物が続く。

建物の壁には、窓が小さく開く。

左には、水が広がる。

水面には、小さな舟が一艘浮かぶ。

舟には人が乗っているらしい。

そして水辺に、木が数本立つ。

幹は細く、枝が下へ垂れる。

葉は短い線の集まりで示される。

柳である。

線は細く、濃淡がほとんどない。

館の記録は、題と材料しか書いていない。

寸法の欄は空である。

つまり、この紙の大きさは記録されていない。

女性の画家の仕事については、女性が描いていたで扱った。

九点のうち、寸法が記録されていないのは、この一点だけである。

題も、二通りに記されている。

孤独な塔という短い題と、括弧に入れた説明である。

括弧の中には、城と川と柳と舟が並ぶ。

つまり短い題は詩のようで、括弧の中は画面の中身の一覧である。

館の記録は、その両方を残している。

どちらが作者の付けた題かは書かれていない。

鉛筆だけで描かれているので、明暗の幅は狭い。

その狭さの中で、塔と木と水が描き分けられている。

柳は、人の名になる

最後の一点で、柳は名前になる。

モンションシャ(しなう柳)、偉大な首長の妻
ジョージ・カトリン《モンションシャ(しなう柳)、偉大な首長の妻》1832年。館の記録では、油彩・カンヴァス。画面は73.7×60.9センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。ジョージ・カトリン《モンションシャ(しなう柳)、偉大な首長の妻》スミソニアン協会蔵

胸から上を描いた肖像である。

背景は淡い灰色で、何も描かれていない。

女性が正面を向き、こちらを見ている。

髪は中央で分けられ、左右へなでつけられている。

顔は丸く、頬に赤みがある。

首には、玉をつないだ飾りが幾重にも掛かる。

肩には、模様のある衣が掛かっている。

衣の縁には、細かい飾りが並ぶ。

手は描かれていない。

館の記録では、題はこの人の名である。

その名は、しなう柳という意味だと記録は添えている。

つまり、柳の垂れる性質が、人の名になっている。

画面のどこにも、木はない。

前の回までに、鷹の名を持つ人と、石の貝の名を持つ人の肖像を見た。

いずれも同じ画家、あるいは同じ企ての中の絵である。

生きものや草木の名を、人の名として記録すること。

その仕事が、この一連の肖像を作っている。

背景を塗らないことも、その仕事に合っている。

場所を描かなければ、記録としての焦点は人に絞られる。

顔と、髪と、飾りと、衣。

それらが同じ条件で並べられる。

つまりこの一連は、比べるために作られている。

比べる図では、背景は邪魔になる。

先に見た植物図譜が白い紙を使うのと、同じ理屈である。

数えてみると

九点を並べ直す。

柳の枝が垂れているのは、六点である。

詩人の背後の幹、書に添えた枝、烏のとまる枝、役者の背後、若者の頭上、そして塔のそばの水辺。

垂れていないのは、二点である。

枝を切られた三本と、光の塊になった木。

そして一点では、柳の語が人の名になっている。

もう一つ数えておく。

九点のうち、柳の下に人がいるのは四点である。

立つ人、座る若者、役者、そして舟の人。

柳は、人を置く場所としてよく使われている。

垂れた枝が屋根のようになるからだろう。

ただし、それを記録に書いた館は一つもない。

もう一つ、水のそばにある点も数えておく。

九点のうち、水が描かれているのは四点である。

橋のある川、農家の前の水、塔のそばの水、そして役者の背後にはない。

柳は水辺に生える木だから、これは不思議ではない。

不思議なのは、東アジアの三点に水がないことである。

幹だけ、枝だけ、烏だけが描かれている。

水を省いても、垂れた枝があれば柳になる。

言えることと、言えないこと

言えるのは、柳が「垂れることで見分けられる木」だということである。

垂れていない二点では、題がなければ柳と分からない。

枝を切られた三本は、幹だけの棒に見える。

光の塊になった木は、丸い葉の集まりでしかない。

つまり柳という木は、枝の向きだけで成り立っている。

言えないのは、垂れた枝がつねに悲しみを表すという話である。

九点のうち、そう読める記録は一つもない。

書に添えられた枝は、燕の飛ぶ場所だった。

役者の背後の柳は、三月という季節の合図だった。

人の名になった柳は、しなうという性質だけを取り出していた。

しなうことは、折れないことでもある。

雪にたわむ竹と、同じ性質である。

垂れる姿を弱さと読むか、強さと読むかは、見る人の側にある。

九点の記録は、そのどちらも書いていない。

最後に、はじめの一葉へ戻る。

太い幹が画面を貫き、細い枝が下まで垂れていた。

その根元に立つ人は、幹の太さほどの大きさしかない。

木の名を自分の呼び名にした人が、その木の下で小さく描かれている。

名前のほうが、体より大きくなっている。

九点を数え終えて残るのは、その大きさの逆転のほうである。

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