蔓は、相手の形をなぞる——オキーフ・バーン=ジョーンズ・カメロンほか九点

縦長の小さな版画である。
黒い線が密に重なる。
画面の中央に、太い蔓がある。
蔓は柱に巻きつき、上へ登っている。
葉は大きく、掌のように五つに切れ込む。
その葉のあいだに、房が下がる。
粒が細かく重なり、丸い塊になる。
葡萄である。
蔓の下には、人がいる。
数人が集まり、器を持っている。
上のほうには、明るい光を放つ姿がある。
館の記録では、この一枚は書物の挿絵の初期の試し刷りである。
添えられる文章が刷られる前の状態だという。
そして、この図はある戯曲の第二幕の酒の歌に関わっている。
酒の神と、その産物をたたえる歌である。
作者は、刷った紙の上に手書きの覚え書きを残した。
これから加える予定の直しが書かれているという。
館の記録は、そう説明している。
さらに、この人が版画を始めたのは仕事の後半だったと付け加える。
しかし、すぐに版の扱いに熟達した。
繊細な質感と、劇的な明暗を並べるのがその特徴である。
輝く神と、酒を作り楽しむ者たちの対比が、ここに見えるという。
つまりこの蔓は、酒の材料として描かれている。
九点のうち、蔓に実が付いているのは、この一点だけである。
試し刷りという状態も見ておきたい。
版はまだ完成していない。
作者は刷った紙に、直す箇所を手書きで記している。
つまりこの一枚は、途中経過の記録である。
完成した版画では、その書き込みは消える。
蔓の線も、あとで加えられたり削られたりしただろう。
途中の状態が残ることは、版画ではしばしばある。
そして途中の紙のほうが、作り手の手つきをよく見せる。
紙の裏に、唐草が描かれる
八点目は、写本の一葉である。

屋内の場面である。
床には絨毯が敷かれている。
右に、女性が座っている。
手に一枚の紙を持っている。
左からは、年配の女性が若い人物を引いてくる。
その人物の目は、白い布で覆われている。
まわりには、女性が数人立っている。
柱には細かい装飾が施されている。
上部には、丸い天井の縁が見える。
館の記録では、これは奥向きの一室での場面である。
王女が求婚者を選ぶという物語を思わせるが、当時の宮廷の事情とも響き合うという。
作者は二か所に署名しており、年も記されている。
そして館は、その年の前後の出来事にも触れている。
一年に満たない前に、ある皇帝が目を奪われて退けられていた。
館の記録は、そう書いている。
そして題の後半には、裏面のことが記されている。
裏には、うねる唐草の文様がある。
つまりこの一葉は、表が物語で、裏が蔓の文様である。
見る人は、どちらか一方しか同時に見られない。
こうした一葉は、画帖に貼り込まれることが多い。
貼れば、裏は完全に隠れる。
つまり唐草の文様は、もともと見せるためのものではない。
紙の両面を使い切るための、余白の埋め方である。
館の記録は、表の場面については詳しく書いている。
裏の文様については、題に一語あるだけである。
記録の分量そのものが、表と裏の扱いの差を示している。
藤の字は、一族の名になる
最後の一点で、蔓は名前になる。

細長い縦の版画である。
32.5×14.9センチしかない。
男がひとり、立っている。
大きな袖の衣を重ね、裾が床に広がる。
腰には刀を差している。
頭には、黒い被り物を載せる。
顔は横を向き、口を結んでいる。
眉が太く、目が細い。
片手を胸の前に上げている。
衣には、大きな模様が染め抜かれている。
背景は塗られておらず、紙の色である。
館の記録では、この役者はある一族の武士に扮している。
その一族の名の頭に、藤の字が入っている。
しかし画面のどこにも、藤の花はない。
衣の模様も、藤ではない。
つまりこの藤は、家の名としてだけ画面に関わっている。
前の回で見た松の字と、同じ関わり方である。
そして同じ役者の別の一枚も、松の回で見た。
同じ人が、松の字を名に持ち、藤の字を持つ一族を演じている。
そして藤は、蔓のある木である。
自分では立たず、ほかの木に巻きついて高く伸びる。
その性質が家の名に選ばれた理由かどうかは、記録から言えない。
館の記録は、役者と役と、上演の年しか書いていない。
言えるのは、画面に藤がないことだけである。
九点のうち、藤の花が描かれているものは一点もない。
数えてみると
九点を並べ直す。
蔓が何かに巻きついているのは、四点である。
眠る人の腕、壁、岩、そして柱。
文様として面を埋めているのは、三点である。
皿の浮き彫り、写本の縁、そして紙の裏の唐草。
花だけが拡大されているのが一点、家の名になっているのが一点である。
もう一つ数えておく。
九点のうち、蔓そのものが線として見えるのは四点である。
素描の細い線、皿の浮き彫り、写本の金の線、そしてエッチングの太い蔓。
写真と油彩では、蔦は面としてしか見えない。
拡大された朝顔でも、蔓は隅に一本あるだけである。
一本ずつを追えるかどうかで、蔓の見え方は二つに分かれる。
線として見えるとき、蔓は動きを持つ。
面として見えるとき、蔓は覆いになる。
言えることと、言えないこと
言えるのは、蔓のある植物が「相手によって形を変える」ということである。
柱に巻けば螺旋になり、壁を覆えば面になり、岩に這えば塊になる。
九点のうち四点で、蔓の形は相手の形をなぞっていた。
木や草は、自分の形を持っている。
蔓は、持たない。
言えないのは、それが弱さだという話である。
眠る人々を絡め取っていたのは、蔓のほうである。
蔦の壁は、人の背後を埋め尽くしていた。
覆う側と覆われる側は、絵の中では入れ替わりうる。
最後に、はじめの一点へ戻る。
朝顔の花は、人の顔ほどに拡大されていた。
しかし蔓は、細いまま隅にある。
拡大されたのは、支えられている側だけである。
支えている蔓は、そのままの太さで残された。
九点を数え終えて残るのは、その拡大されなかった一本のほうである。








