色を、塗らずに入れる——ルイス・C・ティファニーのガラス
この器は、商品だった
作り方の話を続ける前に、性格を確かめておきたい。

これは器の全体ではない。底に残った札を写した画像である。
赤い枠の札に、手書きの価格と「Sold.」の文字。
その下に印刷された帯があり、「TIFFANY FAVRILE GLASS」と読める。
さらに下に、大きな数字で「1381」。
売り物である。値が付き、番号が振られ、売れた記録が貼られている。
番号の意味も考えておきたい。四桁の数字が振られているということは、
少なくとも千点以上の在庫を管理する仕組みがあったことになる。
一点物を千点単位で扱う。矛盾しているように見えるが、工房の実態はそれである。
ファヴリルという語も、工房が商品名として使ったものだ。
美術館に入っているガラスが、店で売られた品だったということである。
この札が残っていること自体が珍しい。
普通、買った人は底の紙を剥がす。値札を付けたまま飾る人は少ない。
剥がされなかったのは、買った人が「資料」として扱ったからだろう。
そしてもう一つ。所蔵館がその面を撮影して公開しているという点も重要である。
器の姿より札を選んで撮った判断が、この一点の性格を示している。
1896年、新品が美術館に入る
所蔵館の受け入れ記録を並べると、もう一つ分かることがある。
当サイトで公開している39点のうち、大半が同じ一行を持つ。
「H・O・ハヴマイヤーの寄贈、1896年」。
制作年は1893年から96年である。作られてから数年で美術館に入っている。
これは当時としては、かなり早い。
美術館は普通、評価が定まったものを受け入れる。新品の商品ではない。
寄贈者は、砂糖の精製で財を築いた実業家である。
夫人とともに集めた印象派の絵画で知られる収集家でもある。
その収集には、アメリカ人画家メアリー・カサットの助言があったと伝えられる。
女性画家が置かれた条件については別のコラムで扱った。
同じ人物が、パリの新しい絵と、ニューヨークの新しいガラスを同時に買っていた。
「新しいものを美術館に入れる」という趣味の持ち主だったのだろう。
美術館の側の判断も見ておきたい。
当時、応用美術・装飾美術を集める部門を持つ館は増えていた。
万国博覧会を通じて、工芸品を国の産業として見せる考え方が広まっていたからである。
だから新品のガラスは、絵画とは別の枠で入りやすかったとも言える。
ただし当サイトの公開記録から言えるのは、受け入れの年と寄贈者までである。
館内でどの部門がどう判断したかは、公開記録では追えない。
小さいものが多い理由
寸法を確かめると、傾向が出る。

高さ9.2センチ。掌に収まる。
胴はねじれた縦の稜を持ち、口は小さく開いている。
色は琥珀色を基調に、紫と青緑の虹色が斜めに走る。
ガラスの中には細かい気泡と金色の粒が散っている。
小品にもかかわらず、模様の作りは大型品と同じである。
39点の寸法を並べてみると、10センチ前後のものが多い。
最小は高さ5.1センチ。最大は56センチだが、それは例外に近い。
小さいものが多い理由は二つ考えられる。
一つは値段。もう一つは、机の上や棚に置く需要である。
19世紀末の都市の住宅では、大きな装飾品を置く場所が限られていた。
小さくても手仕事の質が分かるもの。それが売れ筋だったのだろう。

こちらは丸い胴の器である。
黄土色と暗褐色が縦に流れ、その上を淡い虹色の膜が覆っている。
胴の中ほどに、緑がかった小さな渦の列が並ぶ。
石の断面のような見え方をしている。瑪瑙に近い。
自然を写すといっても、対象は花や葉だけではない。
鉱物の断面や、地層の縞も含まれている。
この時代、鉱物や貝や昆虫の図版が広く流通していた。
顕微鏡写真も出回りはじめていた。自然の「細部」が図像として身近になった時期である。
工房が写そうとしたのは、風景よりむしろ、そうした細部の質感だったと思われる。
虹色はどこから来たのか
この光沢について、一つの説明がよく引かれる。
古代のガラスである。
土に埋まっていたガラスは、表面が腐食して薄い層になる。
その層が光を干渉させ、虹色に光る。
工房の主は、その色を新品で出そうとしたと説明されることが多い。
技術としては、熱いガラスに金属の化合物を吹き付けて薄膜を作る。
つまり虹色は、ガラスの色ではない。表面の膜が起こす現象である。

この一点では、その効果がよく見える。
上半分は緑と灰白の斑で、苔の生えた石のようである。
下半分は黄と緑が層になり、細い縦筋が孔雀の羽根のように並ぶ。
全体に薄い桃色の光沢がかかる。
古いものに見せるための技術で、新しい商品を作っている。
ここに、この工房の考え方がよく出ている。
新しさを新しさとして売るのではない。時間の跡を作って売る。
摩耗、腐食、苔、水の濁り。どれも時間が作る模様である。
19世紀末の趣味が、なぜ古いものに向かったのかは別の主題になる。
少なくともこのガラスは、新品として時間を含んでいる。