美術史・技法

色を、塗らずに入れる——ルイス・C・ティファニーのガラス

図案には、時間が書き込まれていた

工房の仕事の性格が分かる資料が、一点だけ公開されている。

七宝「プラム」鉢の図案
ルイス・カムフォート・ティファニー《七宝「プラム」鉢の図案》1898〜1899年。紙に水彩・黒鉛。縦29.1センチ、横40.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ルイス・カムフォート・ティファニー《七宝「プラム」鉢の図案》メトロポリタン美術館蔵

横長の紙に、鉢が一つ描かれている。

鉢の上半分は、青紫の実と緑の葉で覆われている。実は丸く、房になって垂れる。

地の部分は褐色で、水彩の刷毛跡が残る。

注目したいのは、絵のまわりの書き込みである。

左側に、部位ごとの指定が並ぶ。枝、茎、葉、そして地の色。

右上には数字の列。そして右側に、大きく「50 hours」と書かれている。

50時間。工程にかかる見積りである。

これは作品の下絵ではなく、製造の指示書である。

自然を写す仕事が、色番と工数の表になっている。

この図案は七宝の鉢のためのものである。ガラスではなく金属に釉薬を焼き付ける技法だ。

工房はガラスだけでなく、七宝、陶器、宝飾、照明も手がけていた。

主題は共通している。植物と昆虫、そして水である。

図案の実は青紫で塗られ、葉は緑を三段に分けて塗り分けてある。

紙の上でここまで決めておけば、あとは工程に渡せる。

一点物のガラスと、指示書で作る七宝が、同じ工房に同居していた。

誰が作ったのか

ここから、帰属の話になる。

工房には、ガラスを吹く職人、色を調合する技術者、図案を描く意匠家がいた。

作品に付く名前は、工房の主の名前である。

これは19世紀の工房や版元と同じ仕組みである。

浮世絵が絵師・彫師・摺師・版元の共同作業だったのと、構造は変わらない。

一人の手に帰せない仕事に一人の名を付けると、あとで問題が起きる。

帰属が揺れる例は別のコラムで扱った。

ガラスの場合、揺れは「誰が」ではなく「どこまでが意匠か」に出る。

花瓶
ルイス・カムフォート・ティファニー《花瓶》1893〜1896年。ファヴリル・ガラス。高さ20.6センチ、幅17.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。ルイス・カムフォート・ティファニー《花瓶》メトロポリタン美術館蔵

洋梨のような形の器である。

黄緑と暗い青紫の帯が、口から下へ炎のように伸びている。

口の内側だけが明るい青緑で、そこに光がたまる。

この色の伸び方は、意匠家が紙に描けるものではない。

熔けたガラスが動いた結果である。

図案で決められるのは配置と色の種類まで。最後の形は材料が決める。

だから「作者は誰か」という問いには、二段の答えが必要になる。

意匠の作者と、成形の担い手である。

工房の名で売る仕組みは、その二段をひとまとめにする仕組みでもあった。

近代の工芸を見るときは、この畳み込みを一度開いてみるとよい。

白黒写真で残っている八点

もう一つ、見る側の条件を書いておきたい。

当サイトで公開している39点のうち、8点は白黒の写真である。

古い記録用の写真がそのまま提供されているものだ。

ガラスの見どころは色と光沢である。それが写っていない画像もある、ということになる。

花瓶
ルイス・カムフォート・ティファニー《花瓶》1893〜1896年。ファヴリル・ガラス。高さ14.3センチ、径7.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。ルイス・カムフォート・ティファニー《花瓶》メトロポリタン美術館蔵

こちらは色の記録が残っている一点である。

球形の胴に細い首が長く伸びる。首から胴へ、赤・青緑・黄・紫の帯が渦を巻く。

色の境目が引き伸ばされ、大理石の縞のようになっている。

同じ形の器が白黒で残っていたら、これは灰色の縞に見えるだけである。

色の記録が残るかどうかで、同じ作品の意味が変わる。

ガラスや七宝のように、色そのものが主題である品ではとくにそうなる。

公開画像の質は、鑑賞の内容を左右する。

とはいえ、白黒の8点にも読めることはある。

形の輪郭、口縁の歪み、光沢の強さ、反射の割れ方。

色を除いた情報は、かえって見やすい。

白黒写真を先に見て、そのあとで色のある一点を見ると、形の設計が浮かんでくる。

手元にある画像の限界を知っておくと、見方を選べるようになる。

美術館が画像を手放した経緯は別のコラムで扱う。

材料に、仕事をさせる

まとめておきたい。

このガラスは、自然の形を写した工芸ではない。

自然と同じ振る舞いをする材料を作り、その振る舞いに仕上げを任せた工芸である。

だから一点ごとに違う。だから図案には工数しか書けない。

そして、それが商品として値札を付けて売られた。

美術と製造の境目に置かれた仕事である。

この境目は、今も動いている。

工房で作られた家具や器が美術館に入る理由については、
別のコラムで改めて考えたい。

一点物と量産品のあいだに線を引くのは、思ったほど簡単ではない。

このガラスは、その難しさを最初から抱えている。

一点ごとに違うが、番号を振って売られた。手仕事だが、工数が決められていた。

矛盾ではなく、19世紀末の工芸の実際の形である。

暮らしへ——手元のガラスを、光にかざす

最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。

家にあるガラスの器を、窓の光にかざしてみてほしい。

見るところは三つある。

まず、色が中にあるか、表面にあるか。指で触って段差があれば表面である。

絵付けなら、模様の縁がわずかに盛り上がっている。

中に入っている色なら、表面はどこも同じ滑らかさである。

次に、気泡の並び方。吹いた器では、気泡が動いた方向に伸びる。

最後に、厚みの差。厚い部分と薄い部分で色の濃さが変わる。

もう一つ。器に水を入れて、もう一度見てほしい。

水は屈折率がガラスに近い。だから水を入れると、模様の見え方が変わる。

花器として作られたものは、水が入った状態で完成する。

美術館の棚にある空の器は、本来の姿の半分かもしれない。

高価な器は要らない。安いコップでも、この四つは観察できる。

飾るときは、ガラスは光の入る側に置く。壁際より窓辺のほうが働く。

置き場所と光の話はこちらのコラムにまとめた。

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