美術史・技法

旅を売るという商売——歌川広重《東海道五十三次》

同じ宿場を、二度描く

まず、同じ宿場の二枚を並べてみたい。

東海道五十三次之内 原 朝之富士
歌川広重《東海道五十三次之内 原 朝之富士》1833〜1834年ごろ。木版摺、紙に墨と色。縦24.1センチ、横35.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。歌川広重《東海道五十三次之内 原 朝之富士》メトロポリタン美術館蔵

原は、駿河の海沿いにあった宿場である。

画面の右に富士がそびえる。雪をかぶった山頂が大きい。

注目してほしいのは、山頂の位置である。

画面の上の縁を越えている。枠の外へ、峰が突き出している。

版画には通常、四辺に枠線が引かれる。その線を破っているのだ。

高さを示すための工夫である。枠に収めないことで、山が異常に高く見える。

その手前は湿地で、細い葦が一面に生えている。

道を三人が歩いている。笠をかぶった二人と、緑の荷を担ぐ供の者。

歩く人の小ささが、山の大きさを支えている。

東海道 十四 原
歌川広重《東海道 十四 原》1847〜1852年。木版摺、紙に墨と色。縦22.2センチ、横34.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。隷書体の題字を用いた組の一枚。歌川広重《東海道 十四 原》メトロポリタン美術館蔵

同じ原の宿を、十数年後に描いた一枚である。

構図がまるで違う。

富士は画面の中央に置かれ、枠の内側に収まっている。

裾には青緑の山並みが重なり、その下に黄土色の平地が広がる。

平地には松が点々と生え、小さな家が並ぶ。

そして、人がいない。

旅人の姿が描かれていない。

前の一枚が「旅の道中」を描いたのに対し、
こちらは「土地の眺め」を描いている。

同じ宿場でも、選ぶ主題が変わっている。

枠の扱いも対照的である。

前の一枚は枠を破り、後の一枚は枠を守っている。

破る方は驚きを、守る方は落ち着きを与える。

同じ山を描いて、印象を正反対にできるということだ。

十数年のあいだに、買う人の好みが変わったのかもしれない。

あるいは版元の方針の違いかもしれない。断定はできない。

寸法が、少し小さくなっている

寸法も比べてほしい。

最初の組は縦24.1センチ、後の組は縦22.2センチである。

横も35.9センチから34.9センチへ縮んでいる。

わずかな差だが、紙代と版木の面積に直結する。

売れる主題を、より安く作る。再版の商売としては当然の判断だろう。

紙の判型と原価の関係は別のコラムで扱った。

海の見える宿

東海道 十九 江尻
歌川広重《東海道 十九 江尻》1847〜1852年。木版摺、紙に墨と色。縦22.2センチ、横34.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。隷書体の題字を用いた組の一枚。歌川広重《東海道 十九 江尻》メトロポリタン美術館蔵

江尻は、駿河湾に面した宿場である。

画面の中央に富士。その手前に湾が広がる。

湾には白い帆が三つ。帆船が停泊している。

手前は松並木で、細い針葉が横一列に連なる。

空は上部が桃色、下が青。刷りぼかしで階調が作られている。

ここでも人物は小さく、ほとんど省かれている。

隷書体の組は、全体にこうした静かな眺めが多い。

旅の苦労ではなく、土地の景色を売る組だったと考えられる。

刷りぼかしの技法にも触れておきたい。

版木に絵具を置くとき、片側を薄く伸ばして摺る。

そうすると、境目のない階調が紙に出る。

空の色が上から下へ変わっていくのは、この技法による。

摺師の手加減で仕上がりが変わるため、同じ図でも一枚ずつ違う。

風景版画が成立したのは、この技法が広まってからである。

もう一つ、藍の話もしておきたい。

19世紀の前半、輸入の化学顔料が安く入るようになった。

深い青が使えるようになり、水と空の表現が変わった。

東海道の組が売れた時期は、この材料の変化と重なっている。

技術と材料が揃ったところに、旅の流行が来たことになる。

街道の商売そのものを描く

一方で、道の商いを主題にした一枚もある。

東海道五十三次之内 草津 名物立場
歌川広重《東海道五十三次之内 草津 名物立場》1833〜1834年ごろ。木版摺、紙に墨と色。縦24.1センチ、横35.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。歌川広重《東海道五十三次之内 草津 名物立場》メトロポリタン美術館蔵

画面の上半分に、大きな茶屋が建っている。

瓦屋根の下、開け放した座敷に客が並んでいる。膳を前に休んでいる。

軒には看板と暖簾が下がる。「名物」の文字が読める。

草津の名物は餅だった。街道の茶屋は、土地の食べ物を売る場所である。

そして手前を、駕籠が走っている。

四人の男が担ぎ、二人が前後で棒を押している。全員が上半身裸である。

駕籠の屋根は緑。中の客は見えない。

走る駕籠と、休む客。街道の二つの速度が同じ画面にある。

これは風景画ではない。街道という産業の絵である。

宿場は、人足と馬を常備する義務を負っていた。

旅人が金を払い、荷を担ぐ人がそれを受け取る。その循環が描かれている。

裸で走る男たちの描き方にも注目したい。

背中と腕の輪郭は太い線で、筋肉の凹凸はほとんど描かれない。

姿勢だけで速さを示している。

前の二人は身を低くし、後ろの二人は棒を押し上げる。

体の傾きが揃っているため、四人が一つの動きとして見える。

労働の場面を、群れの形で描く方法である。

茶屋の内部も細かい。

膳の上の器、煙草盆、衝立、そして給仕の女性の姿。

数センチの中に、店の商いが一通り描き込まれている。

宿場の絵は、こうした細部を眺めるための絵でもあった。

拡大して見られる現在のほうが、当時より細部が見えているかもしれない。

文字を添えて、別の客に売る

版画は、主題だけでなく客層も変えて売られた。

東海道五十三次 三島
歌川広重《東海道五十三次 三島》1838年ごろ。木版摺、紙に墨と色。縦21.6センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狂歌を添えた組の一枚。歌川広重《東海道五十三次 三島》メトロポリタン美術館蔵

寸法を見てほしい。縦21.6センチ、横16.5センチ。

これまでの横長とは違い、ほぼ正方形に近い小型である。

雪の宿場が描かれている。

茅葺きの家が三棟並び、屋根に雪が積もる。

前を流れる川に橋が架かり、水は青緑。

木々は枝先まで白く、雪をかぶっている。

右上に題名。その左に、細かい文字が四行入っている。

狂歌である。滑稽な短歌を添えた組の一枚だという。

同じ宿場の絵に、文芸の趣向を足している。

俳諧や狂歌を楽しむ人たちに向けた商品である。

判型を小さくして値を下げ、文字で付加価値を付ける。

売り方の工夫として、よくできている。

雪の描き方も見ておきたい。

屋根と木の雪は、紙の白を残して作られている。

白い絵具を置いたのではない。摺らない部分が雪になる。

そのため、雪の輪郭は版木の彫りで決まる。

彫師が雪の形を彫っていることになる。

版画の雪は、絵師と彫師の共同作業の産物である。