作品を知る

番号が、一つ違いで並んでいる——ベンティヴォリオ夫妻ほか対の肖像

背景の作りが、対応している

対の肖像を見分けるとき、寸法のほかに手がかりがある。

背景の作りである。

九点のうち、四組すべてで、背景が対応している。

ベンティヴォリオの二点は、左に緑の幕、右に町並み。

まったく同じ作りである。

スキナーの二点は、要素が入れ替わっている。

一方は左に緑の幕と右に柱、他方は右に赤い幕と左に窓。

チャンドラーの二点は、内容が対になっている。

一方に戦場、他方に書棚。

そしてレンブラントの二点は、どちらも暗い背景である。

対応しているとも、していないとも言える。

背景の作りは、注文の仕方を映している。

同時に二枚を注文すれば、画家は二枚をまとめて設計する。

別々に注文すれば、そうはならない。

つまり、背景が対応しているかどうかも、対を見分ける材料になる。

ただし、これは見た目からの判断である。

館の記録には、背景の説明は書かれていない。

男は左、女は右

対の肖像の並べ方には、慣習がある。

男性を向かって左、女性を向かって右に置く。

そうすると、真横から描かれた肖像では、二人が向かい合う。

ベンティヴォリオの二点は、まさにその形である。

男性が右を向き、女性が左を向いている。

この慣習は、ヨーロッパの肖像画で長く守られてきた。

ただし、絶対の規則ではない。

例外もある。

そして、正面を向いた肖像では、向きから並びを決められない。

スキナーの二点も、チャンドラーの二点も、どちらも正面に近い。

この場合、並べ方は分からない。

分かるのは、二枚あるということだけである。

館の記録も、並べ方までは書いていない。

もっとも、番号の順が手がかりになることはある。

夫が先、妻が後という番号の付け方は、九点すべてで共通している。

一九三九・一の二一九が夫、二二〇が妻。

一九五三・五の五五が夫、五六が妻。

一九六四・二三の一が夫、二が妻。

これは、受け入れたときの慣習だろう。

対は、なぜ二件になるのか

九点を通して、単位の扱いは一貫している。

対の肖像は、必ず二件である。

一件にまとめられているものは、一つもない。

理由は明らかである。

二枚の別々の布に、別々に描かれている。

物としては、完全に二つである。

三幅対の掛軸と同じ理屈である。

物が分かれていれば、件も分かれる。

そして、対であることは番号の並びで示される。

一つ違いの番号。

同じ出所の行。

そろった寸法。

これらを読めば、対だと分かる。

逆に言えば、これらを読まなければ分からない。

レンブラントの二点のように、並んでいても対とは限らない場合もある。

記録の数字を突き合わせること。

それが、対を見分ける唯一の方法である。

同じ寄贈者の名が、五点に並ぶ

出所の行を見ると、九点のうち五点が同じ寄贈である。

エドガー・ウィリアム氏とバーニス・クライスラー・ガービッシュ氏の寄贈。

スキナーの二点、チャンドラーの二点、そして《夫》の一点。

いずれもアメリカの肖像である。

この二人は、十八世紀から十九世紀のアメリカの絵を大量に集めた。

そして、その多くを館へ寄贈している。

対の肖像が二組もそろって残っているのは、この収集のおかげである。

一枚ずつ買い集めていたら、対はそろわない。

家に伝わっていた二枚を、二枚まとめて買う。

そういう買い方をしたのだろう。

残りの四点は、別の出所である。

ベンティヴォリオの二点は、クレス蒐集品から。

レンブラントの二点は、ワイドナー蒐集品から。

いずれも、大きな個人蒐集がまとまって館に入った例である。

対の肖像が二件そろって残るには、途中で一度、まとまった手を通る必要がある。

そのまとまりが、出所の行に名として残っている。

顔の向きだけで、対が分かるか

真横からの肖像は、十五世紀のイタリアで多く作られた。

ベンティヴォリオの二点も、その系統にある。

真横から描くと、顔の輪郭がそのまま形になる。

鼻の高さ、額の傾き、顎の張り。

これらが線として現れる。

似ているかどうかが、はっきり分かる形式である。

そして、向きが必ずどちらかに決まる。

だから、対にしたときの効果が大きい。

二人が向かい合う形が、そのまま夫婦の関係を示す。

正面向きの肖像が広まると、この効果は薄れる。

二人とも正面を向いていれば、視線は交わらない。

かわりに、寸法と背景で対を示すようになる。

九点を古い順に並べると、その移り変わりが見える。

十五世紀の二点は、向きで示す。

十七世紀の二点は、暗い背景でそろえる。

十八世紀と十九世紀の四点は、寸法と背景の要素で対応させる。

そして《夫》の一点は、対の相手を失っている。

向かい合わせに掛けるということ

対の肖像は、二枚並べて壁に掛ける。

夫が左、妻が右というのが、多く見られる並びである。

そのとき、二人はわずかに内側を向く。

視線は交わらないことも多い。

それでも、身体の向きが中央に寄る。

これは、二枚が一つの場面を作るための工夫である。

一枚ずつ見ると、ただの肖像である。

二枚並べると、夫婦の像になる。

三幅対の中央に月があったのと、同じ仕掛けである。

一点では成立せず、組で成立する。

そして、その組は物としては分かれている。

だから、いつでもばらけうる。

《夫》と題された一点は、その結果である。

ばらけたあとに残った一枚は、もう組を作れない。

題だけが、失われた相手を指している。

対を、記録の上で結び直す

九点は、九件として登録されている。

そのうち八件が、四つの組をなしている。

組であることは、番号と寸法と出所の行から読める。

書かれてはいないが、読める。

館は、対だと明記する欄を持っていない。

だから、読む側が突き合わせるしかない。

そして突き合わせた結果、対でないと分かることもある。

レンブラントの二点が、その例である。

記録を読むとは、書いてあることを受け取るだけの作業ではない。

数字を並べ、差を見て、判断することでもある。

対の肖像は、その練習にちょうどよい題材である。

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