同じ二人が、三度出てくる——喜多川歌麿
九点の題を読むと、同じ二人の名が三度現れる。芝居から来た男女である。判型も年も違う三点が、同じ主題を扱う。柱絵という細長い紙も含め、題の担う説明の量を見たい。四組の男女が並ぶ。顔の描き分けにも、目を向けたい。

同じ二人が、三度出てくる
九点の題を読むと、同じ二人の名が三度現れる。
小紫と権八である。遊女と、その相手の男の名である。
三点はいずれも別の絵で、判型も年も違う。
同じ組み合わせを、何度も摺っていることになる。
売れたからだろう。人気のある取り合わせだったと考えられる。
九点全体を見ると、四組の男女が描かれている。
いずれも、当時の芝居や語り物で知られた二人である。
同じ絵師が、同じ型の主題を繰り返し扱っている。
芝居から来た二人
この二人の名は、実際にあった事件から芝居になったと伝えられる。
男は罪を犯して処刑され、女は後を追ったと語られる。
事実がどこまでかは、いまとなっては確かめにくい。
芝居や語り物として繰り返されるうちに、話は形を変えていく。
九点の絵も、その語り直しの一つである。
事件を絵にすることには、当時から制限があった。
同時代の出来事をそのまま描くのは避けられた。
そこで、名を借り、場面を借りて描く。九点もその範囲にある。
四組の男女
九点に描かれた組み合わせを数えてみる。
小紫と権八が三点、お七と吉三郎が一点、治兵衛と小春が一点、三勝と半七が一点。
残る三点は、名の分からない男女か、群像である。
同じ組み合わせが繰り返されるのは、その話がよく知られていたからである。
知られた名は、それだけで商品になる。
悲しい結末を、描かない
九点の画面には、事件そのものは出てこない。
描かれるのは、二人が向き合う場面である。
顔を寄せ、手を取り、傘に入る。日常の一場面に見える。
結末を知っている人が見れば、その静けさが別の意味を持つ。
知らない人には、ただの二人の絵として見える。
こうした作りは、当時の観客の知識を前提にしている。
芝居を見た人、語り物を聞いた人には、続きが見えている。
絵は、その記憶を呼び起こす鍵として働く。
題が、説明を担う
事件を描かないなら、誰の話かは題で示すしかない。
九点の題には、いずれも人物の名が入る。
小紫と権八、お七と吉三郎、三勝と半七、治兵衛と小春。
名を読めば、どの話かが分かる。当時の読者には周知の名だった。
いまの読者には、その前提がない。題は名を並べるだけである。
館の題も、名をそのまま音写して並べる。
意味の説明はほとんど付かない。
だから、名を知らなければ、九点は単なる男女の絵に見える。

二人の顔が、画面の上半分に並ぶ。
左の男は黒い衣を着る。髪を高く結い、額が広い。
顔は横向きで、目を細める。口元が引き締まる。
右の女は、髪に黄色い櫛と簪を挿す。
衣は赤と桃色の縞で、襟が幾重にも重なる。
顔は正面をやや外し、目を伏せる。
男の手が、画面の中ほどに見える。指が細く伸びる。
背景は生成りで、何も描かれない。
右上に、赤い枠がある。中に組物の名と人物の名が入る。
二人の顔は、輪郭線だけで描かれる。影は付けられない。
かわりに、髪の黒い面が大きく置かれる。顔の白と対比される。
黒と白と赤。この三色で、画面のほとんどが作られている。
髪という面
九点の人物の髪は、いずれも黒く塗られる。
その黒は、画面の中で最も暗い面になる。
髪の生え際には、細い線が彫り残される。額の上で扇のように広がる。
黒い面の中に細い白線を残すのは、彫りの見せ場である。
顔の白と髪の黒の対比が、大首絵の基本になっている。
顔を、大きく取る
この一点は、いわゆる大首絵の作りである。
胸から上を大きく描き、背景を省く。
二人を並べれば、顔が二つで画面が埋まる。
表情の細部が見えるので、関係が伝わりやすい。
九点のうち三点が、この作りである。
背景を省けば、時代も場所も分からなくなる。
かわりに、二人の関係だけが残る。
物語を知る人にとっては、それで十分だったのだろう。

同じ二人だが、判型がまったく違う。
細長い紙である。柱に掛けるための形で、柱絵と呼ばれる。
縦に長いので、二人を上下に並べる。
上には女がいる。髪を結い、緑の衣を着る。
その下に男がいる。顔を上へ向け、女を見上げる。
男の衣は黒で、模様が入る。
上部には、細い文字が縦に並ぶ。題である。
背景は淡く、色が置かれない。
同じ主題でも、判型が変われば配置が変わる。
柱絵という判型
柱絵は、家の柱に掛けるために作られた判型である。
横幅は十数センチしかない。柱の幅に収まる。
安価な装飾として広まったと伝えられる。
同じ主題が、大判でも柱絵でも作られる。値段の違う商品になる。
九点には、その二つの価格帯が混ざっている。
上下に、並べる
細長い紙では、二人を横に並べられない。
そこで、上下に置く。上の人物と下の人物という関係になる。
見上げる、見下ろすという構図が自然に生まれる。
判型が、二人の関係の描き方を決めている。
九点のうち二点が、この細長い判型である。

三度目の同じ二人である。今度は全身に近い。
右に男が立つ。黒地に細かい白い模様の衣を着る。
体を左へ向け、右腕を横へ伸ばす。
顔は伏せられ、目が細い。
左下に女が座る。膝を折り、上体をひねる。
衣は赤と桃色で、裾が広がる。
女は右手を口元に当てる。何かを言いかける仕草である。
背景は生成りで、下部に緑の帯がある。畳だと考えられる。
左上に、丸い枠がある。中に小さな景色が描かれる。
立つ男と、座る女
九点のうち四点で、男が立ち、女が座るか膝をつく。
この配置は、当時の絵で繰り返される型である。
高さの差が生まれ、画面に動きが出る。
同時に、二人の力関係も画面に出る。見る側はそれを読む。
型は便利だが、型そのものが何かを語ってしまう。
丸い枠の中の絵
この一点の左上には、円い形の枠がある。
その中に、風景らしい小さな絵が入る。
画面の中に別の画面を入れる作りである。
組物の名や場面の説明を、絵の形で示すことがある。
九点のうち二点に、こうした枠が見られる。

別の二人である。こちらも芝居で知られた組み合わせである。
左に男が立つ。黒い衣で、袖が長い。
顔は右を向き、下を見る。
右下に女が座る。上体を反らし、顔を上へ向ける。
女の髪には、黄色い櫛が挿される。
衣は淡い緑と赤で、襟が重なる。
二人の手が中央で触れる。男の手が女の手を取る。
背景は生成りで、何も描かれない。
右上に、四角い枠がある。中に文字が三行ほど入る。
顔の描き分け
九点の女の顔は、いずれもよく似ている。
細い眉、切れ長の目、小さな口。輪郭は卵形である。
男の顔は、眉が太く、目の輪郭が角ばる。
つまり、個人を似せるのではなく、性別と役柄を型で示している。
誰であるかは、題と衣装で示される。
手が、触れる
九点のうち四点で、二人の手が触れる。
握る、支える、袖を掴む。仕草はさまざまである。
顔だけでは、二人の関係は分かりにくい。
手が触れていれば、親しさが一目で伝わる。
限られた画面で関係を示すには、手が最も効率のよい部分である。

二人が寄り添う画面である。
左の人物は、長い黒髪を垂らす。顔は伏せられる。
その右に、頭から白い布をかぶった人物がいる。
布は薄く、顔の輪郭が透ける。
手前に、白い筒状のものがある。提灯だと考えられる。
二人の手が、その提灯を支える。
衣は赤と桃色で、背後に広がる。
背景は生成りで、上部に文字の枠がある。
夜の道行きの場面だと考えられる。
提灯という小道具
いま見た一点には、白い提灯が描かれる。
夜であることを示すと同時に、二人が持つ共通の物になる。
二人の手が同じ物に触れれば、関係が示される。
しかも、提灯は白い。画面の中で最も明るい部分になる。
小道具一つが、時刻と関係と構図の三つを担っている。
布をかぶる
九点のうち二点で、人物が布を頭からかぶる。
顔を隠すためである。人目を避ける場面で使われる。
しかし、絵では顔が完全には隠れない。輪郭が透ける。
隠すと見せるを、同時に行っている。
薄い布の描写は、版画では難しい。線の重なりで透け感を作る。

九点のなかで、動きの最も強い一点である。
右に男が立つ。褐色と白の縞の衣を着る。
体を右へ向け、去ろうとしている。
その袖を、左下の女が両手で掴む。
女は膝をつき、上体をひねる。顔は上を向く。
髪には簪が何本も挿される。
衣は淡い黄と褐色で、裾が床に広がる。
背景は生成りで、左に格子らしい形がある。
題には、別れ、という語が入る。場面が題に書かれている。
袖を掴む
いま見た一点では、女が男の袖を両手で掴む。
去ろうとする者と、引き止める者。動きの向きが逆になる。
その対立が、画面に強い緊張を作る。
衣の襞も、その力の方向に従って描かれる。
静かな二人の絵が多いなかで、この一点だけが動いている。
遊里という場所
九点のうち何点かは、遊里の場面だと考えられる。
そこで働く女性と、通う男との関係が主題になる。
当時の絵では、こうした場面が繰り返し描かれた。
働く側にとっては、選べる関係ばかりではない。
絵は美しく整えられているが、その事情も一緒に見ておきたい。
場面を、題に書く
九点の題を見ると、場面の名が入るものが四点ある。
閨中の情、別れ、道行き、夕立。
いずれも、二人が何をしているかを示す語である。
人物の名だけの題より、絵の内容が分かりやすい。
館の題は、その両方を並べる形になっている。

細長い判型の一点である。縦は50センチを超える。
二人が並んで立つ。
左の人物は傘を持つ。傘は赤褐色で、骨が細く見える。
その傘を、二人の上に差しかける。
右の人物は黒地に白い水玉の衣を着る。裾が長い。
腰には赤い帯が締められる。
二人の顔は近く、互いに寄る。
背景は淡い褐色で、雨らしい線がわずかに入る。
上部に、細い文字が縦に並ぶ。組物の名だと考えられる。
縦に長い画面の使い方
いま見た一点は、縦が横の二倍を超える。
二人を横に並べる余地がない。
そこで、傘を上に置き、二人を下に寄せる。
上下の三分割で画面が構成される。傘、顔、裾である。
判型に合わせた構図が、ここでも選ばれている。
傘という道具
一本の傘に二人が入る図は、繰り返し使われた型である。
傘は円い。細長い画面の上部を埋められる。
しかも、二人を近づける理由になる。雨を避けるためである。
言葉で説明せずに、二人の距離を縮められる。
九点のうち、傘の出てくるのはこの一点だけである。

九点で最も細長い一点である。横は14.9センチしかない。
上に女がいる。髪を結い、簪を挿す。
顔は下を向く。目を伏せる。
その下に、子どもの顔が見える。丸い顔で、口を開く。
さらに下に、男がいる。顔を上へ向ける。
三人が縦に重なる形である。
衣は淡い色で、細い線で模様が入る。
上部に、組物の名らしい文字が入る。
二人だけでなく、子どもも加わっている。
三人を、縦に重ねる
細長い紙に三人を入れるには、縦に重ねるしかない。
上から、女、子ども、男の順である。
顔の向きは、上が下を向き、下が上を向く。視線が交わる。
限られた幅の中で、三人の関係を示す工夫である。
九点のなかで、最も人数の多い縦長の画面である。
子どもが加わる
九点のうち、子どもが描かれるのはこの一点だけである。
二人の関係に子どもが加わると、話の性格が変わる。
家族の話になり、別れの重さも変わる。
芝居では、この組み合わせは悲劇として語られる。
絵は、その悲劇の前の一場面を切り取っている。

九点の最後は、人数の多い画面である。
中央に、数人が折り重なる。
左の人物は棒を振り上げる。腕が上へ伸びる。
その下に、押さえつけられた人物がいる。
右にも二人がいて、互いに顔を寄せる。
衣は縞と無地が混ざる。赤と黒が目立つ。
右上に、四角い枠がある。中に別の場面が小さく描かれる。
枠の中では、人物が座って向き合う。
題には、芝居の題名と段の数が入る。
群像という作り
いま見た一点だけ、人数が五人を超える。
顔が重なり、腕と衣が絡み合う。
一人ずつを見せる作りではない。もつれた状態そのものが主題である。
芝居の一場面を、動きのまま写している。
九点のなかで、これだけが群像である。
枠の位置
九点の題の枠は、たいてい右上か左上にある。
人物の顔がある側を避けて置かれる。
顔が右にあれば枠は左、左にあれば右になる。
枠は文字のための場所だが、構図の一部でもある。
置く場所は、その都度決められている。
二重の画面
この一点では、枠の中に別の場面が描かれる。
大きな画面が現在、枠の中が別の時点だと考えられる。
一枚の紙に、二つの場面を収める工夫である。
芝居を知る人には、その関係が分かる。
知らなければ、枠は装飾に見える。
衣の模様
九点の衣を見比べると、模様の描き分けが細かい。
黒地に白い水玉、褐色と白の縞、細かい格子、無地。
模様は、人物を区別する手がかりになる。同じ人物が別の絵に出ても、模様で分かることがある。
版画では、模様は版木を分けて摺る。手間がかかる。
それでも省かないのは、模様が情報だからである。
判型の幅
九点の寸法を並べると、幅が大きい。
大判が六点、細長い柱絵が二点、そして中間の一点である。
柱絵の一点は、縦62.2センチ、横14.9センチ。縦が横の四倍を超える。
大判は、縦37センチ前後、横25センチ前後である。
同じ主題が、二つの判型で作られている。
年が、幅で書かれる
九点の年の欄を見ると、いずれも幅か、およそ、で書かれる。
1795年ごろ、1797年か、1800年ごろ、1800年代初め。
一年で確定しているものは一つもない。
版画には年が摺られない。年は、画風や版元の印から推定される。
推定であることが、欄の書き方に表れている。
枠の中の文字
九点のうち六点に、題や組物の名を入れる枠がある。
赤い枠、四角い枠、丸い枠。形はさまざまである。
枠の中の文字は、絵の一部として摺られる。
館の題は、その文字を読み取って付けられたと考えられる。
紙の上に情報があり、それが記録へ移されている。
色の数
九点の色を数えると、多くて六色ほどである。
墨、赤、桃色、緑、黄土、そして紙の白。
背景を摺らない画面が多いので、色は人物に集中する。
衣の色が二人で違えば、それだけで区別がつく。
限られた色数を、人物の描き分けに使っている。
繰り返し摺る理由
同じ二人を三度も摺るのは、需要があったからである。
芝居がかかるたびに、新しい絵が売り出される。
物語が知られていれば、説明は要らない。名を書けば通じる。
版元にとっては、確実に売れる題材だったのだろう。
九点の重なりは、その商売の跡でもある。
描かれなかったこと
九点には、事件の場面が一つも出てこない。
処刑も、心中も、争いもない。ただ、二人がいる。
描かないことで、絵は穏やかに見える。
しかし、話を知る人には、その穏やかさが重く映る。
描かないという選択も、語り方の一つである。
語り継がれた話
九点に出てくる二人は、いずれも語り物や芝居で知られた組み合わせである。
実在の人物にもとづくものもあれば、創作もある。
事件が語り直され、絵になり、また語られる。
その循環の一部が、九枚の紙に残っている。
同じ絵師の別の主題については、虫と貝を、狂歌と一緒に摺る——喜多川歌麿の絵本で扱った。
二つの館に分かれる
九点は、二つの館に分かれて所蔵されている。
八点がニューヨークの館、一点がシカゴの館にある。
記録の書き方も違う。一方は寸法を細かく書き、他方は判型の名を書く。
柱絵、という語が題や技法の欄に出るのは、シカゴの一点だけである。
同じ判型でも、記録の言葉は館ごとに違う。
二人を、どう配るか
この記事では、二人の配置に注目した。
顔を並べる、上下に重ねる、手を取らせる、傘に入れる。
判型と場面に応じて、配置が選ばれている。
同じ二人でも、置き方が変われば見え方が変わる。
紙の形が、物語の見せ方を決めている。








