反対の色を、隣に置く——ファン・ゴッホの補色
黄と紫の一点

1887年、パリにいた時期の作品である。
卓の上に果実が広がっている。
中央に葡萄が二房。緑と暗い赤紫の粒が混ざる。
その周囲にレモン、洋梨、林檎が置かれている。
黄、緑、赤。
そして卓と背景を見てほしい。
青紫と桃色の筆が、放射状に走っている。
果実を中心に、渦を巻くように筆が並んでいる。
つまり背景そのものが色の帯になっている。
黄色い果実の周囲に紫を置く。これも補色の関係である。
筆の向きが放射状なのは、視線を中心へ集めるためだろう。
この時期、画家はパリで新しい絵を見ている。
印象派の作品、点描の実験、そして日本の版画である。
背景を筆の集積で埋める方法は、点描の影響と説明されることが多い。
ただし、点で塗り分けるのではなく、短い線を並べている。
つまり手法を借りて、自分の運びに変えている。
借用と変形は、この画家の仕事の各所に見られる。
緑と赤の一点

女性が椅子に座っている。
服は深い緑。上衣も裾も同じ緑で、大きな面になっている。
その下の床と椅子は赤である。
つまり緑と赤が、画面の上下で対比している。
手には紐が握られている。画面の外にある揺りかごの紐である。
背景は濃い緑青の壁紙で、白い花と桃色の花が散っている。
髪は橙色に近い黄で、顔は黄土色である。
つまり画面全体が、緑と赤、黄と紫の組み合わせで作られている。
顔の描き方は平面的で、輪郭線が入っている。
顔の輪郭は濃い線で囲まれ、影がほとんど入っていない。
壁紙の花は、平らな形として並んでいる。
奥行きを作らず、面と面を並べる構成である。
日本の版画の影響が指摘される構成である。
その影響については別のコラムで扱った。
対比を弱める選択もある
補色を並べれば、画面は強くなる。
しかし常に強い画面が望ましいとは限らない。
静かな場面では、対比を弱めた組み合わせが選ばれる。
緑と青、黄と緑のように、色相環で近い色を隣に置く。
すると画面はまとまり、落ち着いて見える。
この画家の作品には、その両方がある。
強い対比の絵と、近い色でまとめた絵が並んでいる。
つまり補色は「必ず使う規則」ではなく、選べる手段だった。
規則として覚えると、絵の読み方を誤ることになる。
緑と紫褐色

南フランスの果樹園である。
画面の中央に、オリーブの木が七、八本。
葉は青緑と黄緑で、細かい筆が渦を巻く。
幹は褐色で、太く曲がっている。
地面は紫褐色である。畝が水平に走り、筆が横に並ぶ。
つまり緑の樹と、紫の地面が対比している。
空は灰青で、細かい筆が横に流れる。
上部に黄色い点が散っている。太陽の光を示しているのだろう。
この一点では、筆の向きが場所ごとに変わっている。
葉は渦、地面は水平、空は横に流れる筆。
つまり筆の向きが、物の性質を示している。
色だけでなく、筆の方向も描写の手段になっている。
同じ色でも、向きが違えば別の物に見える。
絵具の値段と、色の選択
材料の事情にも触れておきたい。
19世紀後半には、化学的に合成された顔料が次々に市場へ出た。
鮮やかな黄、強い青、明るい緑。それまで高価だった色が安くなる。
つまり色の選択の自由は、化学工業の産物でもある。
一方で、新しい顔料には耐光性の弱いものが混じっていた。
赤系の一部は光で褪せる。当時それは十分に知られていなかった。
鮮やかな色を安く使える利点と、褪せる危険が同時に来ていた。
いま見ている絵の色は、その賭けの結果である。
緑と青の一点

麦畑である。
画面の下三分の二が緑の麦で埋まっている。
麦は縦の筆で描かれ、穂の先が上を向く。
畑の中に道が斜めに走り、白い筋になっている。
上部は空で、白い雲が渦を巻く。青と白が混ざる。
つまりこの一点では、緑と青が組み合わされている。
補色ではなく、近い色の組み合わせである。
対比が弱いぶん、画面は静かになる。
制作は1890年。没年の作品である。
黄緑の空

公園の一角である。
手前は草地で、黄緑の縦の筆が並ぶ。
中景に樹が数本。葉は暗い緑と褐色で、塊として描かれる。
樹の隙間に、花の咲いた低木が見える。桃色の点である。
そして空である。
青ではない。黄緑がかった明るい色で塗られている。
つまり空の色が変えられている。
現実の空は青いはずである。しかし画面では黄緑になっている。
理由は考えられる。緑の草地と樹に対して、青を置くと対比が強すぎる。
黄緑にすれば、画面全体が同系色でまとまる。
色の選択が、写実よりも構成を優先している。
白くなった薔薇

大きな花瓶に、薔薇が盛り上がっている。
花は白い。二十輪以上が重なっている。
葉は緑で、細い筆で描かれている。
花瓶は淡い緑灰色で、卓も同じ系統の色である。
背景は明るい緑で、筆が斜めに走る。
つまり画面全体が緑と白である。
ここで、重要な注意がある。
この薔薇は、もともと桃色だったと説明されている。
使われた赤い顔料が光に弱く、褪せて白くなったという。
つまり制作時の画面は、緑と桃色の対比だった。
補色に近い組み合わせが、時間とともに失われたことになる。
いま私たちが見ている色は、当時の色ではない。
顔料の耐光性については別のコラムでも扱った。
色の理屈で描かれた絵が、色の劣化で読み替えられている。