画家を知る

反対の色を、隣に置く——ファン・ゴッホの補色

黄と紫の一点

葡萄、レモン、洋梨、林檎
フィンセント・ファン・ゴッホ《葡萄、レモン、洋梨、林檎》1887年。油彩・画布。縦46.5センチ、横55.2センチ。シカゴ美術館蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《葡萄、レモン、洋梨、林檎》シカゴ美術館蔵

1887年、パリにいた時期の作品である。

卓の上に果実が広がっている。

中央に葡萄が二房。緑と暗い赤紫の粒が混ざる。

その周囲にレモン、洋梨、林檎が置かれている。

黄、緑、赤。

そして卓と背景を見てほしい。

青紫と桃色の筆が、放射状に走っている。

果実を中心に、渦を巻くように筆が並んでいる。

つまり背景そのものが色の帯になっている。

黄色い果実の周囲に紫を置く。これも補色の関係である。

筆の向きが放射状なのは、視線を中心へ集めるためだろう。

この時期、画家はパリで新しい絵を見ている。

印象派の作品、点描の実験、そして日本の版画である。

背景を筆の集積で埋める方法は、点描の影響と説明されることが多い。

ただし、点で塗り分けるのではなく、短い線を並べている。

つまり手法を借りて、自分の運びに変えている。

借用と変形は、この画家の仕事の各所に見られる。

緑と赤の一点

ゆりかごを揺らす女(ラ・ベルスーズ)
フィンセント・ファン・ゴッホ《ゆりかごを揺らす女(ラ・ベルスーズ)》1889年。油彩・画布。縦92.7センチ、横73.8センチ。シカゴ美術館蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《ゆりかごを揺らす女(ラ・ベルスーズ)》シカゴ美術館蔵

女性が椅子に座っている。

服は深い緑。上衣も裾も同じ緑で、大きな面になっている。

その下の床と椅子は赤である。

つまり緑と赤が、画面の上下で対比している。

手には紐が握られている。画面の外にある揺りかごの紐である。

背景は濃い緑青の壁紙で、白い花と桃色の花が散っている。

髪は橙色に近い黄で、顔は黄土色である。

つまり画面全体が、緑と赤、黄と紫の組み合わせで作られている。

顔の描き方は平面的で、輪郭線が入っている。

顔の輪郭は濃い線で囲まれ、影がほとんど入っていない。

壁紙の花は、平らな形として並んでいる。

奥行きを作らず、面と面を並べる構成である。

日本の版画の影響が指摘される構成である。

その影響については別のコラムで扱った。

対比を弱める選択もある

補色を並べれば、画面は強くなる。

しかし常に強い画面が望ましいとは限らない。

静かな場面では、対比を弱めた組み合わせが選ばれる。

緑と青、黄と緑のように、色相環で近い色を隣に置く。

すると画面はまとまり、落ち着いて見える。

この画家の作品には、その両方がある。

強い対比の絵と、近い色でまとめた絵が並んでいる。

つまり補色は「必ず使う規則」ではなく、選べる手段だった。

規則として覚えると、絵の読み方を誤ることになる。

緑と紫褐色

オリーブの木
フィンセント・ファン・ゴッホ《オリーブの木》1889年。油彩・画布。縦72.7センチ、横92.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《オリーブの木》メトロポリタン美術館蔵

南フランスの果樹園である。

画面の中央に、オリーブの木が七、八本。

葉は青緑と黄緑で、細かい筆が渦を巻く。

幹は褐色で、太く曲がっている。

地面は紫褐色である。畝が水平に走り、筆が横に並ぶ。

つまり緑の樹と、紫の地面が対比している。

空は灰青で、細かい筆が横に流れる。

上部に黄色い点が散っている。太陽の光を示しているのだろう。

この一点では、筆の向きが場所ごとに変わっている。

葉は渦、地面は水平、空は横に流れる筆。

つまり筆の向きが、物の性質を示している。

色だけでなく、筆の方向も描写の手段になっている。

同じ色でも、向きが違えば別の物に見える。

絵具の値段と、色の選択

材料の事情にも触れておきたい。

19世紀後半には、化学的に合成された顔料が次々に市場へ出た。

鮮やかな黄、強い青、明るい緑。それまで高価だった色が安くなる。

つまり色の選択の自由は、化学工業の産物でもある。

一方で、新しい顔料には耐光性の弱いものが混じっていた。

赤系の一部は光で褪せる。当時それは十分に知られていなかった。

鮮やかな色を安く使える利点と、褪せる危険が同時に来ていた。

いま見ている絵の色は、その賭けの結果である。

緑と青の一点

オーヴェールの緑の麦畑
フィンセント・ファン・ゴッホ《オーヴェールの緑の麦畑》1890年。油彩・画布。縦72.4センチ、横91.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《オーヴェールの緑の麦畑》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

麦畑である。

画面の下三分の二が緑の麦で埋まっている。

麦は縦の筆で描かれ、穂の先が上を向く。

畑の中に道が斜めに走り、白い筋になっている。

上部は空で、白い雲が渦を巻く。青と白が混ざる。

つまりこの一点では、緑と青が組み合わされている。

補色ではなく、近い色の組み合わせである。

対比が弱いぶん、画面は静かになる。

制作は1890年。没年の作品である。

黄緑の空

詩人の庭
フィンセント・ファン・ゴッホ《詩人の庭》1888年。油彩・画布。縦73センチ、横92.1センチ。シカゴ美術館蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《詩人の庭》シカゴ美術館蔵

公園の一角である。

手前は草地で、黄緑の縦の筆が並ぶ。

中景に樹が数本。葉は暗い緑と褐色で、塊として描かれる。

樹の隙間に、花の咲いた低木が見える。桃色の点である。

そして空である。

青ではない。黄緑がかった明るい色で塗られている。

つまり空の色が変えられている。

現実の空は青いはずである。しかし画面では黄緑になっている。

理由は考えられる。緑の草地と樹に対して、青を置くと対比が強すぎる。

黄緑にすれば、画面全体が同系色でまとまる。

色の選択が、写実よりも構成を優先している。

白くなった薔薇

薔薇
フィンセント・ファン・ゴッホ《薔薇》1890年。油彩・画布。縦71センチ、横90センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《薔薇》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

大きな花瓶に、薔薇が盛り上がっている。

花は白い。二十輪以上が重なっている。

葉は緑で、細い筆で描かれている。

花瓶は淡い緑灰色で、卓も同じ系統の色である。

背景は明るい緑で、筆が斜めに走る。

つまり画面全体が緑と白である。

ここで、重要な注意がある。

この薔薇は、もともと桃色だったと説明されている。

使われた赤い顔料が光に弱く、褪せて白くなったという。

つまり制作時の画面は、緑と桃色の対比だった。

補色に近い組み合わせが、時間とともに失われたことになる。

いま私たちが見ている色は、当時の色ではない。

顔料の耐光性については別のコラムでも扱った。

色の理屈で描かれた絵が、色の劣化で読み替えられている。