反対の色を、隣に置く——ファン・ゴッホの補色
ゴッホは書簡で色の組み合わせを語っていた。橙の果実に青い手袋、黄と紫、緑と赤。理屈としての補色と、土地の光。四年という短い期間の色の実験を九点で確かめる。模写という学び方や、絵具の値段にも触れておく。

橙の果実に、青い手袋が置かれている
一枚の絵から始めたい。

横長の画面である。縦48センチ、横62センチ。
浅い籠に、果実が九つほど盛られている。
オレンジが四つ、レモンが五つ。橙と黄が交互に並ぶ。
籠は麦わら色で、編み目が短い筆で描かれている。
その手前に、青い手袋が二つ置かれている。
濃い群青で、指の形がはっきりしている。
籠の後ろには緑の枝がある。糸杉のような細い葉が広がる。
卓の面は淡い黄緑で、筆が水平に走る。
背景は同じ黄緑で、境目はほとんどない。
右下に「Vincent Arles 89」と読める署名がある。
署名の場所も特徴的である。
画面の中に、絵の一部として書き込まれている。
つまり画布の隅ではなく、卓の面の上に置かれている。
制作地と年が入っているため、記録としても機能する。
この時期の作品には、地名を添えた署名が見られる。
どこで描いたかを示す意識があったのだろう。
青は、なぜここにあるのか
この画面で、最も目を引くのは青い手袋である。
果実は橙と黄。卓と背景は黄緑。
つまり画面のほとんどが暖かい色である。
その中に、冷たい青が二つ置かれている。
色相環で考えると、橙の反対側にあるのが青である。
互いを最も強く見せ合う関係で、補色と呼ばれる。
つまりこの手袋は、色の対比を作るために置かれている。
果実を明るく見せるための、道具としての青である。
筆の運びも見ておきたい。
卓と背景は、短い筆を一定の向きに並べて塗られている。
一本の筆の跡が、そのまま見える。
つまり面を均一に塗るのではなく、筆の集まりで面を作っている。
この方法だと、同じ色の中にわずかな差が生まれる。
黄緑の面が、場所によって明るくなったり暗くなったりする。
平らな面より、光が動いて見える。
補色の対比と、筆触の集積。二つの手法が併用されている。
手袋という小道具
手袋について、もう少し考えたい。
果実の静物に手袋を置く例は多くない。
普通は器、布、ナイフ、パンなどが選ばれる。
手袋は人の存在を示す品である。
つまり画面に人はいないが、人の痕跡がある。
そして色の役目もある。青は籠の橙と対比し、卓の黄緑からも離れている。
意味と色の両方で選ばれた小道具だと言える。
静物画の小道具は、たいてい二つの役目を持っている。
見立てとしての意味と、色としての働きである。
色は、書簡の中で語られている
この画家は、弟や友人へ大量の手紙を書き残した。
その中に、色についての記述が繰り返し現れる。
赤と緑、青と橙、黄と紫。対になる色の組み合わせを挙げ、
それをどう画面で使うかを説明している。
つまり色の選択は、感覚だけの判断ではなかった。
理屈として言葉にできる作業だった。
同時代の科学的な色彩論が、画家たちに読まれていた時期である。
点描の画家たちも、同じ理論を土台にしている。
その扱いについては別のコラムで扱った。
理論の使い方は画家ごとに違う。
点で分けるか、面で並べるか、筆の束で置くか。
同じ理屈から、まったく違う絵が生まれている。
補色という考え方
19世紀の色彩理論では、補色の効果がよく論じられた。
隣り合わせに置くと、どちらの色も鮮やかに見える。
混ぜると灰色になる。
この画家は書簡の中で、色の対比について繰り返し書いている。
赤と緑、黄と紫、橙と青。
つまり色の選択は感覚だけでなく、理屈にもとづいていた。
以下、当サイトの公開作品でその実践を確かめていきたい。
問い——理屈は、絵をどう変えたのか
ここから本稿の問いに入りたい。
当サイトが公開するこの画家の作品は23点ある。
制作年は1887年から1890年に集中している。
わずか四年ほどの仕事である。
その中で、補色の組み合わせがどう使われているか。
そして、理屈だけでは説明できない部分はどこか。
先に結論を書いておく。
補色の対比は、この画家の絵の骨格になっている。
しかし場面ごとに、あえて対比を弱める選択もしている。
理屈は選択肢であり、決めるのは画面ごとの判断である。
そして顔料の褪色によって、当初の対比が崩れた作品もある。
四年という短さ
制作年の幅について、もう少し書いておきたい。
当サイトの公開分は1887年から1890年に集まっている。
わずか四年である。
この画家が絵を本格的に描き始めたのは二十七歳ごろとされる。
そして三十七歳で没している。
つまり画家としての活動は十年ほどしかない。
その後半の四年が、当サイトの公開分にあたる。
四年のあいだに、パリ、アルル、サン=レミ、オーヴェールと居場所が変わっている。
土地が変わるたびに、色が変わっていく。
パリでは灰色と紫が多く、南フランスでは黄と青が強くなる。
北へ戻ると、緑と青の組み合わせが増える。
つまり色の変化は、土地の光の変化と重なっている。
理屈の上で補色を選ぶだけでなく、目の前の光に反応している。
一枚ずつ見ると理屈が見え、並べて見ると土地が見える。
短い期間に密度の高い変化があるため、年代順に並べる意味が大きい。
当サイトの公開分でも、制作年を確かめながら見ると変化が追える。