厚紙に、描く——エドゥアール・ヴュイヤール
九点のうち七点は、支持体が厚紙である。油を吸って艶が消え、画面は壁紙のように沈む。一点だけ絵具が膠で、縦二メートルの装飾になる。技法の欄が画面の表面を決めるさまを見たい。木の縁を含む寸法が記録される点にも触れる。

厚紙に、描く
九点の技法の欄を読むと、目につく語がある。
厚紙、である。九点のうち六点が、厚紙に油彩と書かれる。
カンヴァスは二点、そのうち一点は絵具が油ではない。
残る一点は、厚紙に描いたものを板に貼っている。
つまり九点のうち七点で、支持体は厚紙である。
油彩といえばカンヴァス、と思われがちである。
しかし十九世紀の終わりごろには、厚紙に描く画家が少なくなかった。
安く、軽く、扱いやすい。そして、絵の見え方も変わる。
九点は、その選択の理由を考える材料になる。
厚紙という選択
厚紙は、絵の支持体としては安価である。
木枠に布を張る手間が要らない。切ればすぐ使える。
表面は吸い込みがよく、油をすばやく吸う。艶が消える。
そのため、絵はしっとりした見え方になる。
つや消しの画面を作りたいなら、厚紙は理にかなっている。
もっとも、吸い込みが強いと絵具が痩せる。色が沈む。
塗り重ねが効きにくく、修正もしにくい。
一度で決める描き方が求められる。九点の筆づかいが速いのは、そのためかもしれない。
つや消しという選択
油彩の魅力の一つは、艶である。光を返し、色が深く見える。
その艶を消してしまうのは、ふつうなら損である。
しかし、壁に掛けて眺める絵では、艶が邪魔になることもある。
光が反射して、絵が見えなくなる。
九点の多くは、その反射を避ける方向を選んでいる。
つや消しの画面は、壁紙や布に近い見え方になる。
室内の中に溶け込む。額に入っていても、目立ちすぎない。
家の壁に馴染む絵、という方向である。
九点の主題が室内に偏っていることとも、無関係ではないだろう。
厚紙の弱さ
厚紙には弱点もある。
湿気を吸えば反る。乾けば縮む。角が折れやすい。
長く保つには、裏から支える必要がある。
九点のうち一点は、板に貼られている。一点には木の縁が付く。
支持体を選ぶことは、保存の手間を選ぶことでもある。
膠で溶く
九点のうち一点は、絵具そのものが違う。
技法の欄には、カンヴァスに膠、と書かれる。
顔料を膠で溶いた絵具である。水で薄められる。
乾くと完全につや消しになる。表面が粉を吹いたように見える。
舞台の背景や壁の装飾に使われてきた絵具である。
温めた膠に顔料を混ぜ、冷める前に塗る。手早さが要る。
乾けば水に弱くなる。湿気を嫌う。
保存が難しい絵具だが、大きな画面には向く。
九点のうち、この絵具を使った一点だけが、桁違いに大きい。

九点で最も細長い一点である。縦が横の1.7倍ある。
画面の中央に、子どもが立つ。背中をこちらへ向ける。
肩には橙色の布が掛かる。細かい点の集まりで描かれる。
衣は白地に赤い小さな模様が散る。
その右に、大人の脚が見える。褐色の長い衣である。
上部には、白い布らしいものが横に垂れる。
左上には、赤と青の細い形が並ぶ。何かの飾りだと思われる。
床は灰色で、平らに塗られる。
顔は描かれない。頭の後ろだけが見える。
橙色の布の描き方に注意したい。細かい点を隙間なく置く。
厚紙は絵具を吸うので、点が滲まない。粒が残る。
同じ描き方をカンヴァスでやると、織り目に沈む。
支持体の違いが、模様の見え方を変えている。
縁が、記録される
九点の寸法の欄には、画面の数字のほかに別の数字が入ることがある。
支持体と木の縁を含めた寸法、という書き方である。
つまり、絵として見える範囲と、物としての範囲が違う。
額の寸法も加えれば、三つの大きさが並ぶ。
どれを作品の大きさと呼ぶかは、目的によって変わる。
顔を、描かない
九点の人物を見ると、顔の描き込みが少ない。
背中を向けるもの、影になるもの、小さすぎて分からないものがある。
はっきり顔が見えるのは、九点のうち二点だけである。
人物を描きながら、顔を主題にしていない。
かわりに、衣の模様や部屋の色が画面を作っている。
顔を描かないと、その人が誰かは分からない。
家族か、隣人か、通りすがりかも判断できない。
館の題も、子ども、女、とだけ書く。名前は入らない。
匿名のまま、室内の光景として残っている。
寸法の欄に、三つの数字
いま見た一点の寸法の欄には、三組の数字が書かれる。
画面の寸法、支持体と木の縁を含めた寸法、そして額の寸法である。
木の縁というのは、厚紙の周りに付けられた細い枠だと考えられる。
厚紙は反りやすい。縁を付けて補強することがある。
その処置まで記録に残されている。

正方形に近い小さな画面である。
中央に、人物が立つ。背中をこちらへ向ける。
衣は濃い青で、床まで届く。輪郭が丸い。
肩から上に、黄色い塊がある。髪と背景が溶け合っている。
手前に、白い布が垂れる。手に持っているらしい。
背景は黄土色で、平らに塗られる。
右下に、褐色の四角い形がある。家具かもしれない。
左端には、細い赤と青の線が見える。
形の境目がぼかされ、人と背景の区別がつきにくい。
小さな画面
九点のうち五点は、縦が30センチに満たない。
手のひらを二つ並べたほどの大きさである。
小さな画面は、近くで見ることを前提にしている。
離れて眺める絵ではない。手に取る距離である。
その距離では、筆の跡や厚紙の地合いまで見える。