風は、なびくものを借りて吹く——湖龍斎・普明・金振宇ほか九点
竹の葉は、風の目盛りである
東アジアの絵で、風の係を長く務めてきたのは竹である。

墨だけで、竹がひと群れ描かれている。
幹はゆるやかにしなり、葉は一方へ流れる。
館の記録では、そよ風にやさしく曲がる竹だという。
描いたのは、蘇州の禅僧、普明。
雪窓という号で知られ、日本と朝鮮でも深く敬われたとある。
1338年には、虎丘の雲岩寺を任されたという。
画面には署名と印が残り、どれも雪窓と読める。
七百年前の絵で作者の名が確かめられるのは、この署名と印のおかげである。
寸法の欄には、画面のほかに軸全体の数字もある。
軸首まで含めると209.5×75.5センチ、とある。
床の間に掛ければ、人の背丈に届く高さである。
来歴の欄には、広島の侯爵、浅野長勲の名がある。
普明の絵は日本と朝鮮で深く敬われた、という記録の文を、来歴の欄が裏づけている。
1953年に、この軸はクリーヴランドの収蔵品になった。
館の記録は、豆知識も添えている。
竹と松と梅は、歳寒の三友と呼ばれる。
冬に友とする三つの植物として、文人の絵の定番になったという。
竹は、雪の重みでも風の力でも折れない常緑の植物である。
だから、誘惑に屈しない徳のたとえとして、文人画の好みの画題になった。
そう館の記録は説明する。
竹を描くことが、そのまま心構えの表明だった。
文人の理想を絵にした回で見た世界の、いちばん静かな一枚である。
同じ竹でも、風が強まるとこうなる。

十枚の面が横に連なる、大きな屏風である。
どの面でも、竹が強くしなり、葉が飛ぶように流れる。
館の記録では、作者の金振宇は強風になびく竹の表現で名を上げた。
突き立つ竹の幹は鉄の槍に、鋭い葉は刃物にたとえられたという。
描かれたのは1934年、日本の統治下の朝鮮である。
その筆の鋭さには、抑圧への抵抗の意志が込められていたと考えられている。
そう館の記録は書き、作品の売り上げが独立運動の資金を支えたことも伝える。
左端の面には、竹林堂で金剛山人これを写す、と読める款記がある。
金剛山人は、この画家の号である。
十枚を広げれば、幅は3メートルを大きく超える。
部屋の中に、竹林の風がひと続きに吹き渡る仕掛けである。
来歴の欄によれば、この屏風は作者の手から咸興の一族へ渡った。
九十年近くを経て、2022年にクリーヴランドの収蔵品になったとある。
普明の竹から六百年。
同じ画題の中で、風は強さを変え、意味も変えた。
そよ風の竹が徳のたとえなら、強風の竹は時代のたとえである。
竹の葉の角度は、風速計の針のように、絵ごとの風を刻んでいる。
じつは、竹の候補はもう一組あった。
雨の竹と風の竹を対にした、二幅の墨画である。
1500年代初めの作とされるが、画面に署名も印もない。
筆の癖の比較で、日本の画家の名が当てられてきた。
だが近年の研究では、作者がどの国の人かも確かでなくなったと記録は言う。
九点にはすでに、元の竹と朝鮮の竹がある。
それで、名の揺れるこの対は外した。
作者が誰であれ、その竹も同じように風へなびいていた。
題の風と、絵の風
風の強さは、題と絵で食い違うこともある。

川辺に、ポプラの木立が並ぶ。
木炭の黒だけで、空も水も木も描かれている。
題は《ポプラを吹き抜ける突風》。
ところが館の記録は、そよ風の気配で軽くしなる木立、と読む。
題は突風を名乗り、記録はそよ風と言う。
枝のしなりから風の強さを読み取る目盛りが、人によって違うのである。
風は見えないから、強さの証言も割れる。
突風の題は画家自身の言葉なのか、後の人の命名なのか。
記録は、そこまでは書いていない。
分かっているのは、同じ木立を前に読みが割れた、ということだけである。
館の記録は、技法のことも書いている。
アロンジェは木炭を塗るだけでなく、擦筆でぬぐい取って光を作った。
木炭の画法書を出版し、各国語に訳されて名を広めた人だという。
1873年に出たその本の名は、木炭を意味する題だったとある。
多くの画家が劇的なイタリアの風景を好んだ時代に、彼は自国フランスを描いた。
とくにパリ郊外のフォンテーヌブローの森を描き続けたと、記録は書く。
左下には、黒いインクの署名が残る。
黒を足す手と、黒を消す手。
その往復で、灰色の空気とポプラのざわめきが生まれている。
何年ぶんの風か
一瞬の風ではなく、積もった風もある。

砂地の上に、松が並んでいる。
太い幹が、そろって同じ方向へ傾いでいる。
奥には、青い海が帯になってのぞく。
磯馴松とは、海辺の風に馴らされた松のことである。
この絵に、いま吹いている風は描かれていない。
それでも、どちらから風が吹く土地なのかは一目で分かる。
幹の傾きが、何十年ぶんの風を記録しているからである。
木の形は、風の履歴書である。
館の記録では、これは版画集《百々世草》のための下絵だという。
薄紙に墨と色で描いた自在な素描で、仕上がりの版より奔放だとある。
版になる前の、勢いの残った筆である。
この下絵は、京都の画商の手から1989年に美術館へ渡った。
そして、この記録には寸法の欄がない。
幹の傾きは記録されても、紙の大きさは記録されないことがある。
風の名を借りた、静かな一枚も見ておく。