作品を知る

風は、なびくものを借りて吹く——湖龍斎・普明・金振宇ほか九点

竹の葉は、風の目盛りである

東アジアの絵で、風の係を長く務めてきたのは竹である。

風竹
普明(雪窓)《風竹》14世紀。館の記録では、掛軸、絹に墨。画面は77.6×45.7センチ。番号は1953.246。クリーヴランド美術館蔵。普明(雪窓)《風竹》クリーヴランド美術館蔵

墨だけで、竹がひと群れ描かれている。

幹はゆるやかにしなり、葉は一方へ流れる。

館の記録では、そよ風にやさしく曲がる竹だという。

描いたのは、蘇州の禅僧、普明。

雪窓という号で知られ、日本と朝鮮でも深く敬われたとある。

1338年には、虎丘の雲岩寺を任されたという。

画面には署名と印が残り、どれも雪窓と読める。

七百年前の絵で作者の名が確かめられるのは、この署名と印のおかげである。

寸法の欄には、画面のほかに軸全体の数字もある。

軸首まで含めると209.5×75.5センチ、とある。

床の間に掛ければ、人の背丈に届く高さである。

来歴の欄には、広島の侯爵、浅野長勲の名がある。

普明の絵は日本と朝鮮で深く敬われた、という記録の文を、来歴の欄が裏づけている。

1953年に、この軸はクリーヴランドの収蔵品になった。

館の記録は、豆知識も添えている。

竹と松と梅は、歳寒の三友と呼ばれる。

冬に友とする三つの植物として、文人の絵の定番になったという。

竹は、雪の重みでも風の力でも折れない常緑の植物である。

だから、誘惑に屈しない徳のたとえとして、文人画の好みの画題になった。

そう館の記録は説明する。

竹を描くことが、そのまま心構えの表明だった。

文人の理想を絵にした回で見た世界の、いちばん静かな一枚である。

同じ竹でも、風が強まるとこうなる。

風になびく竹
金振宇《風になびく竹》1934年。館の記録では、十曲屏風、紙に墨。各扇128.9×33センチ。番号は2022.91。クリーヴランド美術館蔵。金振宇《風になびく竹》クリーヴランド美術館蔵

十枚の面が横に連なる、大きな屏風である。

どの面でも、竹が強くしなり、葉が飛ぶように流れる。

館の記録では、作者の金振宇は強風になびく竹の表現で名を上げた。

突き立つ竹の幹は鉄の槍に、鋭い葉は刃物にたとえられたという。

描かれたのは1934年、日本の統治下の朝鮮である。

その筆の鋭さには、抑圧への抵抗の意志が込められていたと考えられている。

そう館の記録は書き、作品の売り上げが独立運動の資金を支えたことも伝える。

左端の面には、竹林堂で金剛山人これを写す、と読める款記がある。

金剛山人は、この画家の号である。

十枚を広げれば、幅は3メートルを大きく超える。

部屋の中に、竹林の風がひと続きに吹き渡る仕掛けである。

来歴の欄によれば、この屏風は作者の手から咸興の一族へ渡った。

九十年近くを経て、2022年にクリーヴランドの収蔵品になったとある。

普明の竹から六百年。

同じ画題の中で、風は強さを変え、意味も変えた。

そよ風の竹が徳のたとえなら、強風の竹は時代のたとえである。

竹の葉の角度は、風速計の針のように、絵ごとの風を刻んでいる。

じつは、竹の候補はもう一組あった。

雨の竹と風の竹を対にした、二幅の墨画である。

1500年代初めの作とされるが、画面に署名も印もない。

筆の癖の比較で、日本の画家の名が当てられてきた。

だが近年の研究では、作者がどの国の人かも確かでなくなったと記録は言う。

九点にはすでに、元の竹と朝鮮の竹がある。

それで、名の揺れるこの対は外した。

作者が誰であれ、その竹も同じように風へなびいていた。

題の風と、絵の風

風の強さは、題と絵で食い違うこともある。

ポプラを吹き抜ける突風
オーギュスト・アロンジェ《ポプラを吹き抜ける突風》1873年から80年ごろ。館の記録では、紙に木炭。33×62.2センチ。番号は2023.112。クリーヴランド美術館蔵。オーギュスト・アロンジェ《ポプラを吹き抜ける突風》クリーヴランド美術館蔵

川辺に、ポプラの木立が並ぶ。

木炭の黒だけで、空も水も木も描かれている。

題は《ポプラを吹き抜ける突風》。

ところが館の記録は、そよ風の気配で軽くしなる木立、と読む。

題は突風を名乗り、記録はそよ風と言う。

枝のしなりから風の強さを読み取る目盛りが、人によって違うのである。

風は見えないから、強さの証言も割れる。

突風の題は画家自身の言葉なのか、後の人の命名なのか。

記録は、そこまでは書いていない。

分かっているのは、同じ木立を前に読みが割れた、ということだけである。

館の記録は、技法のことも書いている。

アロンジェは木炭を塗るだけでなく、擦筆でぬぐい取って光を作った。

木炭の画法書を出版し、各国語に訳されて名を広めた人だという。

1873年に出たその本の名は、木炭を意味する題だったとある。

多くの画家が劇的なイタリアの風景を好んだ時代に、彼は自国フランスを描いた。

とくにパリ郊外のフォンテーヌブローの森を描き続けたと、記録は書く。

左下には、黒いインクの署名が残る。

黒を足す手と、黒を消す手。

その往復で、灰色の空気とポプラのざわめきが生まれている。

何年ぶんの風か

一瞬の風ではなく、積もった風もある。

磯馴松(百々世草より)
神坂雪佳《磯馴松(百々世草より)》1909年。館の記録では、紙に墨と彩色。番号は1989.85.19。クリーヴランド美術館蔵。神坂雪佳《磯馴松(百々世草より)》クリーヴランド美術館蔵

砂地の上に、松が並んでいる。

太い幹が、そろって同じ方向へ傾いでいる。

奥には、青い海が帯になってのぞく。

磯馴松とは、海辺の風に馴らされた松のことである。

この絵に、いま吹いている風は描かれていない。

それでも、どちらから風が吹く土地なのかは一目で分かる。

幹の傾きが、何十年ぶんの風を記録しているからである。

木の形は、風の履歴書である。

館の記録では、これは版画集《百々世草》のための下絵だという。

薄紙に墨と色で描いた自在な素描で、仕上がりの版より奔放だとある。

版になる前の、勢いの残った筆である。

この下絵は、京都の画商の手から1989年に美術館へ渡った。

そして、この記録には寸法の欄がない。

幹の傾きは記録されても、紙の大きさは記録されないことがある。

風の名を借りた、静かな一枚も見ておく。