作品を知る

冬の絵は、よく動いている——グリフィア・タサール・バーチフィールドほか九点

冬を、少年の姿にする

四点目は、白い磁器である。

四季のうち冬の像
ブリストル磁器工房《四季のうち冬の像》1775年ごろ。館の記録では、硬質磁器。全体で27.2×13×11.5センチ。番号は1917.611.4。クリーヴランド美術館蔵。ブリストル磁器工房《四季のうち冬の像》クリーヴランド美術館蔵

高さ27.2センチの、立った人形である。

少年が、木の切り株にもたれている。

上着は紫で、縁に毛皮が付いている。

ズボンは黄色、靴は黒い。

その靴の底に、細い刃が付いている。

氷を滑るための、スケートの刃である。

帽子には、赤い実の付いた枝が挿してある。

肩から下げた袋からは、鳥の首と、兎の耳がのぞく。

館の記録では、18世紀の後半に子ども時代を無垢と見る考えが広まった。

その結果、四季を子どもの姿で表す像が数多く作られたという。

ここで冬を担うのは、スケート靴と毛皮の上着の少年である。

帽子の枝は柊で、袋の中身は鵞鳥と兎だと記録は書く。

どちらも、冬によく狩られる獲物だという。

つまりこの像は、冬の遊びと冬の狩りを一体に背負っている。

滑る、獲る、暖かくする。

冬の三つの行いが、二十七センチの中にまとめられている。

豆知識の欄には、置き場所も書かれている。

こうした寓意の像は、食卓の菓子の時間を飾り、話の種になったという。

同じ揃いには、ほかの季節の像もある。

四人の子どもが、卓の上で一年を回していたことになる。

磁器は、細い部分が焼くと折れやすい。

スケートの刃も、袋からのぞく兎の耳も、その細い部分である。

それをあえて作るのが、工房の腕の見せどころだった。

この像は、収集家の遺贈で1917年に館へ入っている。

冬の夜に、鐘が鳴る

五点目は、水彩である。

鳴り響く教会の鐘、雨の冬の夜
チャールズ・バーチフィールド《鳴り響く教会の鐘、雨の冬の夜》1917年12月。館の記録では、紙に黒鉛の上から水彩とグワッシュ。紙は77.2×50センチ。番号は1949.544。クリーヴランド美術館蔵。チャールズ・バーチフィールド《鳴り響く教会の鐘、雨の冬の夜》クリーヴランド美術館蔵

夜である。

画面の中央に、教会の尖った塔が立っている。

塔の上には、白い渦のような形が広がっている。

その渦は、空いっぱいに波打っている。

塔の左右には、暗い家の屋根が迫る。

窓は黄色く光り、道には雨が縦に走る。

家々の輪郭は、まっすぐではない。

うねり、傾き、生き物のように歪んでいる。

館の記録では、この一枚を画家は自分の黄金の年の最良の成果と考えていた。

美術学校を出たあと、ニューヨークの学校に入り、一日で辞めた。

故郷の町に戻り、事務の仕事をしながら、休みと夜に描き続けた時期である。

そして記録は、白い渦の正体を説明する。

塔は、町の教会の尖塔である。

画家は、子どものころに感じた鐘の音への強い恐れを表そうとした。

その音を、鈍い咆哮のようで、唸りながらゆっくり消えていくと述べたという。

嵐の冬の夜にそれを聞くと、寝床にうずくまった。

そして、クリスマスのことを考えて自分を落ち着かせたとある。

画面のどこかに描かれた木は、その習慣を示すのだろうと記録は読む。

つまり、この絵に描かれているのは音である。

冬の夜の音が、空いっぱいの白い渦として描かれている。

鐘そのものは、鐘の回でまとめて数える。

ここで数えたいのは、冬の夜の過ごし方である。

外は雨、家の中は灯り、寝床の中では耳をふさぐ。

九点のうち、家の中にいる人が想像されるのは、この一点だけである。

豆知識の欄には、この教会がのちに火事で失われたと書かれている。

音も建物も消えて、紙の上の渦だけが残った。

紙は77.2×50センチと、水彩としては大きい。

九点のなかでも、二番目に大きな画面である。

音を描くには、それだけの面積が要ったのかもしれない。

都会の冬は、余白に散らばる

六点目は、パリである。

パリの冬
フェリックス・ビュオ《パリの冬》1879年。館の記録では、エッチングとアクアチント。紙は30.5×47.2センチ。版の跡は23.6×34.9センチ。番号は1998.21。クリーヴランド美術館蔵。フェリックス・ビュオ《パリの冬》クリーヴランド美術館蔵

中央に、大きな街角の場面がある。

雪の積もった通りを、馬車と人が行き交う。

石造りの建物が、奥へ深く続いている。

犬が走り、荷馬車が傾く。

そして、その中央の絵のまわりに、小さな場面がいくつも配されている。

左には、雪をかぶった屋根と煙突。

下には、寝ている人や、雪をかき集める人。

右にも、別の街の一角がある。

一枚の紙の中に、大小の場面が同居している。

館の記録は、この画家についてより、時代の事情を書いている。

1862年に版画家の団体ができ、フランスの画家のあいだで銅版画への関心が復活した。

その流れの中の一枚だという。

銘の欄には、版の中に彫り込まれた文字のことが書かれている。

画家の名と、パリの十二月の日付。

そして、1879年のパリの冬、という題である。

つまりこの版画は、特定の年の冬を記録している。

その年その月の寒さが、絵の題になっている。

まわりに散らばる小さな場面は、街の冬のあちこちを拾い集めたものだろう。

一つの視点では収まらないから、余白へこぼしていく。

都会の冬は、一枚の窓からは見えない。

紙は30.5×47.2センチ、版の跡は23.6×34.9センチ。

つまり、余白のほうが版より広い。

その余白に、小さな場面が彫り足されている。

版の外は白いはずの場所である。

そこまで使うのが、この画家のやり方だった。

人のいない冬山

七点目は、中国の掛軸である。