冬の絵は、よく動いている——グリフィア・タサール・バーチフィールドほか九点
冬を、少年の姿にする
四点目は、白い磁器である。

高さ27.2センチの、立った人形である。
少年が、木の切り株にもたれている。
上着は紫で、縁に毛皮が付いている。
ズボンは黄色、靴は黒い。
その靴の底に、細い刃が付いている。
氷を滑るための、スケートの刃である。
帽子には、赤い実の付いた枝が挿してある。
肩から下げた袋からは、鳥の首と、兎の耳がのぞく。
館の記録では、18世紀の後半に子ども時代を無垢と見る考えが広まった。
その結果、四季を子どもの姿で表す像が数多く作られたという。
ここで冬を担うのは、スケート靴と毛皮の上着の少年である。
帽子の枝は柊で、袋の中身は鵞鳥と兎だと記録は書く。
どちらも、冬によく狩られる獲物だという。
つまりこの像は、冬の遊びと冬の狩りを一体に背負っている。
滑る、獲る、暖かくする。
冬の三つの行いが、二十七センチの中にまとめられている。
豆知識の欄には、置き場所も書かれている。
こうした寓意の像は、食卓の菓子の時間を飾り、話の種になったという。
同じ揃いには、ほかの季節の像もある。
四人の子どもが、卓の上で一年を回していたことになる。
磁器は、細い部分が焼くと折れやすい。
スケートの刃も、袋からのぞく兎の耳も、その細い部分である。
それをあえて作るのが、工房の腕の見せどころだった。
この像は、収集家の遺贈で1917年に館へ入っている。
冬の夜に、鐘が鳴る
五点目は、水彩である。

夜である。
画面の中央に、教会の尖った塔が立っている。
塔の上には、白い渦のような形が広がっている。
その渦は、空いっぱいに波打っている。
塔の左右には、暗い家の屋根が迫る。
窓は黄色く光り、道には雨が縦に走る。
家々の輪郭は、まっすぐではない。
うねり、傾き、生き物のように歪んでいる。
館の記録では、この一枚を画家は自分の黄金の年の最良の成果と考えていた。
美術学校を出たあと、ニューヨークの学校に入り、一日で辞めた。
故郷の町に戻り、事務の仕事をしながら、休みと夜に描き続けた時期である。
そして記録は、白い渦の正体を説明する。
塔は、町の教会の尖塔である。
画家は、子どものころに感じた鐘の音への強い恐れを表そうとした。
その音を、鈍い咆哮のようで、唸りながらゆっくり消えていくと述べたという。
嵐の冬の夜にそれを聞くと、寝床にうずくまった。
そして、クリスマスのことを考えて自分を落ち着かせたとある。
画面のどこかに描かれた木は、その習慣を示すのだろうと記録は読む。
つまり、この絵に描かれているのは音である。
冬の夜の音が、空いっぱいの白い渦として描かれている。
鐘そのものは、鐘の回でまとめて数える。
ここで数えたいのは、冬の夜の過ごし方である。
外は雨、家の中は灯り、寝床の中では耳をふさぐ。
九点のうち、家の中にいる人が想像されるのは、この一点だけである。
豆知識の欄には、この教会がのちに火事で失われたと書かれている。
音も建物も消えて、紙の上の渦だけが残った。
紙は77.2×50センチと、水彩としては大きい。
九点のなかでも、二番目に大きな画面である。
音を描くには、それだけの面積が要ったのかもしれない。
都会の冬は、余白に散らばる
六点目は、パリである。

中央に、大きな街角の場面がある。
雪の積もった通りを、馬車と人が行き交う。
石造りの建物が、奥へ深く続いている。
犬が走り、荷馬車が傾く。
そして、その中央の絵のまわりに、小さな場面がいくつも配されている。
左には、雪をかぶった屋根と煙突。
下には、寝ている人や、雪をかき集める人。
右にも、別の街の一角がある。
一枚の紙の中に、大小の場面が同居している。
館の記録は、この画家についてより、時代の事情を書いている。
1862年に版画家の団体ができ、フランスの画家のあいだで銅版画への関心が復活した。
その流れの中の一枚だという。
銘の欄には、版の中に彫り込まれた文字のことが書かれている。
画家の名と、パリの十二月の日付。
そして、1879年のパリの冬、という題である。
つまりこの版画は、特定の年の冬を記録している。
その年その月の寒さが、絵の題になっている。
まわりに散らばる小さな場面は、街の冬のあちこちを拾い集めたものだろう。
一つの視点では収まらないから、余白へこぼしていく。
都会の冬は、一枚の窓からは見えない。
紙は30.5×47.2センチ、版の跡は23.6×34.9センチ。
つまり、余白のほうが版より広い。
その余白に、小さな場面が彫り足されている。
版の外は白いはずの場所である。
そこまで使うのが、この画家のやり方だった。
人のいない冬山
七点目は、中国の掛軸である。