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冬の絵は、よく動いている——グリフィア・タサール・バーチフィールドほか九点

冬の山中の林の鳥
高燾《冬の山中の林の鳥》1100年代。館の記録では、掛軸、絹に墨と淡い彩色。全体で174.9×90.2センチ。番号は1966.115。クリーヴランド美術館蔵。高燾《冬の山中の林の鳥》クリーヴランド美術館蔵

高さ174.9センチの、大きな軸である。

画面の下に、葉を落とした林が広がる。

枝は細かく分かれ、白い地の上に黒い網のように伸びる。

その枝のあちこちに、小さな鳥がとまっている。

数えようとすると、枝と見分けがつかなくなる。

上へゆくと、岩山が霞の中に重なる。

山の肌には雪らしい白が残る。

そして、人の姿はどこにもない。

家も、道も、舟も見当たらない。

館の記録には、解説の文がない。

そのかわり、銘の欄が長い。

左下に署名と印が一つ、そして別に十顆の印が押されているという。

十四世紀の王族の印が一つ。

十七世紀の高官の印が三つ。

十八世紀の人の印が二つ、学者の印が一つ、そして持ち主の分からない印が三つ。

つまりこの絵は、六百年のあいだに少なくとも六人の手を渡っている。

冬の林には人がいないのに、絵の縁には人の跡が十も並んでいる。

画面の中の冬は、無人の静けさである。

だが、この紙を眺め、印を押してきた人々の冬は、そのつど別にあった。

ここまでの六点は、みな人の暮らす冬だった。

この一点だけが、暮らしから離れた冬を描いている。

もっとも、鳥は暮らしている。

葉のない林は、鳥の姿を隠す場所がない。

冬の林が鳥の絵に選ばれるのは、たぶんそのためである。

夏の茂みでは、鳥は見えなくなってしまう。

寒の字が、人の名前になる

八点目は、日本の掛軸である。

寒山拾得
池大雅《寒山拾得》1745年から76年ごろ。館の記録では、掛軸、紙に墨と淡い彩色。画面は121.5×41センチ。全体は213.4×44.2センチ。番号は1979.49。クリーヴランド美術館蔵。池大雅《寒山拾得》クリーヴランド美術館蔵

墨の線だけで、二人の人物が描かれている。

上の一人は、巻いた紙を広げて何かを読んでいる。

口を開け、目を細めている。

下の一人は、それを聞いて笑っている。

そばには、細い柄の箒が置かれている。

二人とも、髪はぼさぼさで、衣は破れている。

線は太く、速く、迷いがない。

上の余白には、賛と署名がある。

館の記録では、二人は禅にゆかりのある人物である。

中国の天台山に、700年代から800年代の初めごろにいたとされる。

日本では、寒山と拾得と読む。

寒山という名は、冷たい山、という意味だと記録は書く。

詩を作る僧で、ここでは自分の詩の巻を読み上げている。

拾得は、拾われた子、という意味の名である。

寺の掃除を受け持っていたので、箒がそばにある。

さて、この一点に冬は描かれていない。

雪も、氷も、枯れ木もない。

冬があるのは、人の名前の中だけである。

寒山の寒、その一字だけが冷たい。

記録の中の冬の語を頼りに図版を集めると、こういう一枚が混ざってくる。

季節の名は、人の名にも、山の名にもなる。

そして名になった季節は、画面から姿を消す。

軸は表具を含めて213.4センチある。

九点でいちばん背の高い一点である。

床の間に掛ければ、二人の笑い顔は見上げる高さに来る。

霜の朝を、写真で摺る

最後の一点は、小さな写真である。

冬の日の出
ピーター・ヘンリー・エマーソン《冬の日の出》1891年より前、1895年刊。館の記録では、フォトグラヴュール。画面は12.8×6.9センチ。番号は2025.17。クリーヴランド美術館蔵。ピーター・ヘンリー・エマーソン《冬の日の出》クリーヴランド美術館蔵

縦12.8センチ、横6.9センチ。

名刺ほどの大きさである。

画面の下三分の二は、枯れた草の原である。

草は白っぽく、霜が降りているように見える。

真ん中あたりに、粗い木の柵が斜めに立つ。

その向こうに、家畜らしい黒い影が二つ。

上には低い空があり、丸い日が白くにじんでいる。

輪郭は、どこもぼやけている。

館の記録では、これは写真集の一枚である。

その本は、この写真家の最後の写真集だった。

1895年に出て、いちばんよい仕事だと今日でも考えられているという。

自然そのままを写す方向から離れ、図案的といえるほど大胆な様式へ移った。

ときには抽象すれすれになる、と記録は書く。

このゆるやかで感情のこもった後期の作風が、次の世代の下地になった。

20世紀の初めに写真の主流となる、絵のような写真である。

さて、この一枚に人はいない。

いるのは、霜と、柵と、遠い獣だけである。

それでも題は、冬の日の出という。

冬を示すのは、白い草と、低い日の高さである。

寒さの絵で、いちばん小さな一点でもある。

数えると、こうなった

九点を数え直す。

人が出ている冬が五点。

氷の上、鶏の庭、薪の山、スケートの少年、雪の街角である。

人のいない冬が三点。

冬山、霜の原、そして冬の夜の空である。

夜の一枚には家があるから、人は中にいると考えられる。

そして残る一点は、冬の字が名前になった一枚だった。

行いも数えておく。

滑るのが二点、餌をやるのが一点、拾い集めるのが一点。

行き交うのが一点、狩るのが一点。

九点の冬は、思ったよりよく動いている。

じっとしている人は、薪にもたれた母子だけである。

寒さのしのぎ方も数えられる。

毛皮の上着が一点、灯りのともる窓が一点、燃やす薪が一点。

暖炉も、炬燵も、火鉢も、九点には描かれていない。

暖を取る場面は、絵になりにくいのかもしれない。

火の前は、たいてい家の中である。

そして家の中の冬は、外から見えない。

色も数えておく。

雪の白が写るのは五点。

そのうち、青みを帯びた白が三点である。

白い紙をそのまま雪にした絵は、この九点にはなかった。

土地と年代も並べておく。

オランダが一点、アメリカが二点、フランスが二点。

イギリスが二点、中国が一点、日本が一点。

年代は1100年代から1917年まで、八百年に広がる。

いちばん古い一点が、いちばん人のいない一点でもあった。

言えないことも書いておく。

この九点は、記録に冬や寒の語を持つものから集めた。

だから、寒山という名前の一枚まで混ざってきた。

冬の絵の全体で人がよく動いているかどうかは、ここからは決められない。

氷そのものの絵は、凍った水の回で別に数える。

最後に、記録に残らないことを一つ。

九点のどの記録にも、その日の気温は書かれていない。

寒かったか、凍えたか、どの欄も書かない。

分かるのは、着ているものの厚さと、雪の積もり方だけである。

タサールの母子がその冬を越せたのかも、記録は何も言わない。

絵の中の冬は、いつまでも明けないままである。

そして氷の上の人々は、三百年たっても滑り続けている。

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