アメリカはなぜ、荒野を歴史画の大きさで描いたのか——トマス・コール《オックスボウ》
西部は、こうして商品になった
同じ方法を、アメリカ西部で展開したのがアルバート・ビアスタットである。

ビアスタットは1859年、政府の測量隊に同行して西部へ入り、素描と写真資料を持ち帰った。この絵は、それをもとにニューヨークのアトリエで組み立てられている。
つまり現場の写生ではない。素材を集め、劇的に配置し直した合成である。
1865年、この絵は二万五千ドルで売れたと伝えられる。当時のアメリカ絵画としては記録的な額だった。

《シエラネヴァダにて》では、人の姿がほぼ消える。あるのは水面と山と、雲間の光だけである。
光の差し込み方は、宗教画の構図をそのまま使っている。祭壇画から神を抜いて、自然を置いた形である。
これらの大画面は、東部の都市とヨーロッパで公開された。西部を見たことのない観客に、西部を売ったことになる。
「手つかず」という言葉が、消しているもの
ここは、はっきり書いておきたい。
《ロッキー山脈、ランダーズ・ピーク》の手前には、ショショーニの人々の野営が描かれている。円錐形の住居、馬、人。
つまり画面自身が、そこに人が住んでいたことを示している。
にもかかわらず、この時代の風景画はしばしば「手つかずの自然」として語られた。人の営みは、風景の付属物として扱われた。
同じ時期、合衆国政府は先住民の土地を次々に接収している。1830年の移住法以降、強制的な移動と保留地への囲い込みが進んだ。
鉄道が敷かれ、入植者が入り、境界が引き直された。大画面の風景画が売れた三十年は、その進行と正確に重なっている。
これらの絵が政策の宣伝として描かれた、と単純化するのは行き過ぎだろう。画家たちの動機は、名声と収入と、素朴な感動が混ざっていたはずである。
ただし結果として、これらの画面は「この土地は空いている」という感覚を大量に流通させた。その働きまで含めて見るのが、いまの見方である。
骨の転がる前景
最後に、時代の終わりを示す一枚を挙げたい。

北米のバイソンは、十九世紀の後半に壊滅的に減った。数千万頭が、数十年で千頭規模まで落ちたとされる。
ビアスタットがこの絵を描いたのは、その減少がほぼ極点に達した時期である。
画面の前景には、白い頭骨と肋骨が並んでいる。中央では、先住民の男が馬上から槍を突き入れている。
しかし、実際に激減の主因となったのは、皮革を目的とした商業的な大量捕殺と、鉄道による輸送だった。この絵は、それを描いていない。
狩る側として画面の中央に置かれているのは、先住民のほうである。
この構図が当時どう受け取られたかについては議論がある。滅びゆくものへの哀惜として読まれた面もあれば、責任の所在をすり替えたという批判もある。
事実として記録に残っているのは、この作品が1889年のパリ万国博覧会のアメリカ部門から、同国の画家たちによる審査委員会に落とされたことである。
理由は公表されていない。ビアスタット自身が、なぜ落ちたのか分からないと語ったことが伝わっている。
時代遅れと見なされた、という説明がしばしばなされる。同じ年のパリでは、まったく別の絵画が主役になりつつあった。
見立て——風景画は、主張だった
ここからは書き手の見方である。
この時代のアメリカの風景画を、私は「発見の記録」ではなく「主張」として読みたい。
主張の中身は、絵によって違う。
コールの主張は警告に近い。失われるものを画面の暗い側に置き、自分もそちら側に立った。
チャーチの主張は誇示である。この国の自然は、ヨーロッパの歴史に対抗しうる、と言っている。
ビアスタットの主張は、もっと商業的だった。見たことのない土地を、見たい形にして売った。
三人とも、目の前の景色をそのまま写してはいない。素材を集め、選び、組み直している。その意味では、十七世紀の風景画家たちと同じ手つきである。理想の風景を工房で組み立てる方法については、別のコラムで扱っている。
違うのは、その組み立てが国家の物語と結びついたことだ。風景が、政治的な意味を帯びた。
だから私たちは、これらの絵を二重に見ることになる。素直に見れば、圧倒的に美しい。同時に、その美しさが何を語らせていたかも見える。
両方を持ったまま見ることは、可能である。むしろそれが、いまこの種の絵を見るということだと考えたい。
そのうえで、画面としての強さは認めておきたい。
これらの絵は、構図の設計が非常にうまい。暗い前景で枠を作り、中景を明るくし、遠景を霞ませる。視線は必ず奥へ導かれる。
その手つきは、十七世紀ヨーロッパの風景画から受け継いだものである。新しかったのは対象であって、方法ではない。
言い換えると、彼らはヨーロッパの型を使って、ヨーロッパにないものを描いた。
型が古く、対象が新しい。この組み合わせが、当時の観客には「見たことがあるようで、見たことがない」感覚を与えたはずである。
そして二十世紀に入ると、こんどは型のほうが批判の的になる。劇的すぎる、作りすぎている、と。
評価が反転したのは、絵が変わったからではない。求められるものが変わったからである。
暮らしへ——絶景の写真と、同じ構造
いま私たちが見ている風景写真も、構造としてはこれらの絵とよく似ている。
観光地のポスター、旅行会社の広告、山岳写真集。多くは、いちばんよく見える一瞬を、いちばんよく見える位置から撮っている。
人が写り込んでいないことも多い。「手つかず」という印象は、いまも売り物である。
だから風景の画像を見るときは、ひとつ問いを足すとよい。この位置に立つには、誰が何をしたのか。
道は誰が通したのか。展望台は誰が作ったのか。そこにもともと誰が住んでいたのか。
こういう問いは、絵を楽しむことの邪魔にはならない。むしろ画面を厚くする。
飾るなら、これらの大画面は縮小してもよく耐える。構図が強いからである。
明るい右側だけを切り取るのではなく、暗い部分も含めて一枚に収める。そのほうが、この種の絵は本来の姿に近い。飾る場所の考え方はこちらのコラムで扱っている。








