1876年、賞を受けた画家は会場に入れなかった——エドワード・ミッチェル・バニスター
小さい絵が、多い理由
彼の作品には、こうした小さな板絵が非常に多い。
当サイトで公開しているバニスターの作品は106点あるが、その多くが縦30センチに満たない。
理由は、おそらく市場である。
大画面を売るには、それを買える顧客と、公開して評判を作る仕組みが要る。彼にはそのどちらも十分ではなかった。
小さな絵なら、地元の医師や商人が居間に掛けるために買える。数を描いて、数を売る。
制作の速度も上がる。板は張り替えの手間がなく、乾きも早い。
つまり画面の大きさは、しばしば才能ではなく販路の関数である。
支持体にも同じことが言える。
キャンバスを木枠に張るには、布と枠と釘と手間がかかる。板や厚紙なら、切ってそのまま描ける。
彼の小品には、板や繊維板に描かれたものが多い。当サイトの記録でも、材料欄に「板に油彩」「繊維板に油彩」と出てくる。
安い支持体は、失敗を許す。一枚が惜しくないから、思い切った空を試せる。
小さくて安い絵ばかり残っていることを、「大きな仕事ができなかった」と読むこともできる。だが同時に、それは数を描き続けられたということでもある。
百点を超える作品がまとまって残っているのは、そういう制作の仕方をしたからでもある。

やや大きな一枚では、扱いも変わる。
草地の左に羊が七、八頭。中央の細い道を、白い被り物の人物がこちらへ歩いてくる。
雲は重く、空の下端だけが黄色い。日没の直前か、雨の前か。
人物は小さく、顔は描かれていない。誰かの肖像ではなく、風景の中の一点として置かれている。

晩年に近い一枚では、海が出てくる。
左手前に土の崖があり、その上に赤い屋根の家が一軒。手前の浜には石が転がっている。
右奥、水平線のあたりに帆船が数隻。港が近いことが分かる。
空は灰色で、雲が横に長く伸びている。ここでも晴天ではない。
プロヴィデンスは湾に面した港町である。彼が繰り返し描いたのは、その周辺の、歩いて行ける範囲の景色だった。
遠くへ取材に行かない。同じ土地を何度も描く。これも、大画面の風景画家たちとは対照的な仕事の仕方である。
なぜ、忘れられたのか
1901年1月、バニスターは通っていた教会の祈祷会の最中に倒れ、そのまま亡くなった。七十二歳である。
死後まもなく、プロヴィデンス美術クラブが追悼展を開いた。地元の収集家が持っていた101点が集められている。
地域では、確かに評価されていた。
しかし二十世紀に入ると、その名は美術史の記述からほとんど消える。
理由はいくつも考えられる。バルビゾン風の風景画そのものが古びたこと。ニューヨークやパリではなく地方都市で活動したこと。そして、書く側が誰を記録するかを選んできたこと。
再び名前が出てくるのは、二十世紀の後半である。アフリカ系アメリカ人の美術史を掘り起こす仕事の中で、彼の作品がまとめて再発見された。
いま当サイトで106点を公開できるのも、その流れで美術館に大きな一括が収まったからである。
似た経緯をたどった画家は、他にもいる。
十九世紀のアメリカで活動したアフリカ系の画家は、決して一人ではなかった。風景画で名を知られた画家も、ヨーロッパへ渡って宗教画で成功した画家もいる。
しかし二十世紀前半の美術史の本には、その名がほとんど出てこない。
書かれなかったから存在しなかった、というわけではない。書く側が、誰を数えるかを選んでいたということである。
美術史というのは、残っている作品の総和ではない。残った作品のうち、誰かが書き留めたものの総和である。
作者の欄が動く話は、フェルメールの帰属をめぐる別のコラムでも扱った。あちらは名前が足される話だったが、こちらは名前が消される話である。
方向は逆でも、起きていることは同じだ。作者の名前は、作品そのものとは別の力学で動く。
見立て——「黒人画家」という枠について
ここからは書き手の見方である。
バニスターを紹介するとき、1876年の事件は必ず語られる。この記事もそうした。
事実として重要だからである。だが、それだけを語ることには副作用もある。
彼の絵は、人種差別についての絵ではない。牛を引く男と、月夜の港と、雲の出た空の絵である。
事件を語りすぎると、作品そのものが背景に退いてしまう。「差別を乗り越えた画家」という物語が先に立ち、画面が読まれなくなる。
一方で、事件に触れずに「ごく普通の十九世紀の風景画家」として紹介すれば、彼が置かれていた条件が消える。ヨーロッパ留学の経路が閉ざされていたことも、妻の事業に支えられていたことも、見えなくなる。
どちらか一方では足りない。両方を並べたまま置いておくしかない、と考えたい。
そのうえで、あえて画面の話をしておく。
彼の絵のいちばんの見どころは、空である。曇り、夕暮れ、月夜、雨の前。晴天の絵がきわめて少ない。
天候の変わり目ばかりを選んでいる。決着のついていない空である。
これは技術的な選択でもある。曇り空は、明暗の差が小さいぶん、微妙な階調で見せなければならない。難しいほうを選んでいる。
その選択に、この画家の性格が出ていると読むこともできる。もっとも、本人がそう語った記録はない。解釈として受け取ってほしい。
もうひとつ、画面の構造にも共通点がある。
暗い塊を大きく置き、その中に明るい点をひとつ差す。帆、月、残照、白い被り物。
この「暗い面に小さな明かり」という型を、彼はほとんどの絵で使っている。
型が固定していることを、単調と見ることもできる。だが、同じ型で百点を超える変奏を作れることのほうが、私には興味深い。
条件を固定して変数だけを動かすやり方は、モネの連作にも通じる。もっとも、あちらは意図された実験で、こちらは日々の制作の癖である。両者を同列に置くのは行きすぎだろう。連作の考え方については別のコラムで扱っている。
暮らしへ——署名を、読んでみる
最後に、ひとつ提案をしたい。
美術館でも、画面越しでも、絵を見るときに署名を探してみてほしい。
多くの絵には、隅のどこかに名前が書かれている。読めないことも多い。それでも、探す動作自体に意味がある。
これを描いたのは誰か、といちど問うことになるからだ。
その問いを立てないでいると、絵は「昔の誰かが描いた風景」のまま流れていく。名前を確かめると、そこに一人の人間の生活が現れる。
バニスターの絵の左下には、たいてい「E M Bannister」と年が入っている。癖のある、少し右上がりの字である。
飾るなら、彼の曇り空の絵は日常の部屋によく馴染む。派手な色がなく、視線を奪わない。
暗い絵なので、明るすぎる壁面より、少し落ち着いた場所が向いている。飾る場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。








