帳面は、縦12センチ——ビアスタットの下調べ
紙に描いた、油彩の習作
同じ画家の、小さな作品を見たい。

小さい。縦34.3センチ、横47.9センチ。先の大画面とは、面積で二十分の一以下である。
画面の大部分は暗い。上部に山の稜線が横たわり、そこだけが明るい。
朝日を受けた岩肌が、橙と褐色に光る。稜線の形は鋭く、影が深い。
その下の斜面は、暗い紫と灰色に沈む。
さらに手前は、ほとんど黒に近い。水面らしき横の帯が見える。
つまり、明るいのは画面の上三分の一だけである。
紙に描くという選択
材料の記録を見たい。「厚紙に貼った紙に油彩」とある。
つまり画布ではなく、紙に描かれている。
紙なら軽く、屋外へ持ち出せる。乾けば重ねて運べる。
一方、紙は傷みやすい。だから、価値があると判断された時点で厚紙に貼られる。
材料の変更は、評価の変化の跡でもある。同じ扱いは、
別のコラムでも扱った。
光だけを、記録する
この一点の役目を考えたい。細部はほとんど描かれていない。
樹木も、人も、建物もない。
描かれているのは、朝日が稜線に当たる瞬間の明暗だけである。
つまり、色と光の配分を記録した習作である。
大画面で使う光の設計を、ここで試していると考えられる。
小さな完成作もある
寸法の幅も確かめたい。

こちらは縦長で、縦99.1センチ、横76.2センチ。
滝が画面の中央上部から落ちる。水は白い霧になって広がる。
手前に針葉樹が数本立つ。幹は暗く、上へ伸びる。
倒木が斜めに横たわり、その上に人物が三人。青と赤の衣で、小さく描かれる。
つまり、人物は大きさを測る物差しとして置かれている。
帳面は、絵のためだけではない
スケッチブックに戻りたい。頁の中には、絵ではないものもある。

この頁には、絵がほとんどない。
左に方眼が描かれ、その中に区画が記される。土地の区分図だと考えられる。
右には文字が並ぶ。地名、方角の記号、数字が混ざる。
読み取れる範囲では、鉱脈の記述が含まれる。地表から何フィート下、といった記載である。
つまり、風景の写生ではない。土地と資源の調査である。
画家が、鉱山を調べる
この頁が示すものを考えたい。19世紀後半のアメリカ西部では、鉱山の開発が進んでいた。
土地の取得と資源の権利は、大きな商売だった。
画家がそこに関わっていたとすれば、風景画の背後には土地の利害がある。
ただし、この頁だけで断定はできない。誰のためのメモかは書かれていない。
分かるのは、同じ帳面に絵と鉱山の記述が並んでいるという事実である。
紙の質と、記録の質
材料と記録の関係にも触れておきたい。上等な帳面には、丁寧な線が残る。
簀の目紙の頁には、走り書きが多い。
つまり、用途によって帳面を使い分けていた可能性がある。
ただし、これは公開分から読める傾向にすぎない。断定は避けたい。
白いままの頁
もう一頁を見たい。

この頁は、ほとんど白い。
薄い線が数本、縦に走る。文字が二行ほど、左上に書かれている。
地名と日付だと考えられる。線は、地形の輪郭を取り始めたところで止まっている。
つまり、描きかけの頁である。
描きかけが、残るということ
未完成の頁について書いておきたい。通常、こうした紙は捨てられる。
しかしこの帳面は、まとまって美術館に入った。
その結果、失敗も、途中も、メモも、すべて残った。
つまり公開分は、画家が見せるつもりのなかったものを含んでいる。
素描が残ることの意味は、別のコラムでも扱った。
帳面の綴じ方
物としての帳面にも触れたい。所蔵館の記録は、材料をこう書く。
「金縁の織紙に黒鉛、革表紙に綴じられている」。
つまり、紙の縁に金箔が施された上等な帳面である。安価なメモ帳ではない。
一方、1890年の頁は「簀の目紙に黒鉛」とだけ書かれる。
帳面が複数あり、質も違ったことが分かる。
バッファローの群れ
最後に、扱いの難しい一点を見たい。

横長の画面である。縦74.9センチ、横125.7センチ。
画面の右半分に、厚い雲が広がる。灰色と青が渦を巻き、下端が地面へ垂れる。
雲の切れ間から光が差し、地面の一部が明るい。
左には木立がある。幹が斜めに傾き、葉が風に流れる。
中央から右の低地に、水がたまる。
そこにバイソンが集まっている。水を飲む個体、横たわる個体、
奥へ歩いていく個体が見える。
数は十数頭。遠くにも、点のように小さく群れが続く。