染付は、真似の技法である——清風与平・サン=クルー・シャンティイほか九点
同じ工房が、染付をやめる
八点目では、青が消える。

蓋の付いた小さな鉢である。
高さ7.5センチ、径11.5センチしかない。
全体が白い。
青も、金も、赤もない。
蓋の面には、ごく浅い浮き彫りがある。
枝が斜めに走り、花が数輪付く。
梅である。
その下には、細い線が交差して散らばる。
線は直線で、不規則に折れ曲がる。
氷の割れ目である。
鉢の胴にも、同じ文様が続く。
口の縁と高台には、金の細い線が一本ずつ回る。
館の記録では、この一組の各品には、梅の枝の浅い浮き彫りがある。
散らばって交差する線は、凍った水面の割れ目を思わせるという。
そして底には、金の絵の具で銘が記されている。
さらに館は、この作り手について書いている。
染付でも多くの優れた品を作ったが、1870年代の初めからは、まったく違う様式の品も作った。
館の記録は、そう説明している。
つまり同じ工房の二代目が、白い地に青を置くことをやめている。
そのかわり、白い地に白い彫りを置いた。
白い地に白い文様では、離れて見ると何も見えない。
近づき、光の角度を変えて初めて、梅と氷が現れる。
つまりこの器は、手に取ることを前提にしている。
そして館は、この一組の帰属についても書いている。
三代目が二代目に弟子入りしていた時期にあたるので、実は三代目の初期の作かもしれない。
館の記録は、そう推測している。
親子のあいだで、どちらの手かが決めきれない。
白い器は、その曖昧さもそのまま残している。
九点のうち、青が一滴も使われていないのは、この一点と、次の一点である。
青と白は、草の名になる
最後の一点は、水彩である。

白い紙に、草が一株描かれている。
葉は細長く、真っ直ぐ上へ伸びる。
幅は狭く、剣のような形をしている。
葉のあいだから、細い茎が数本立ち上がる。
茎の先に、小さな花が開く。
花びらは六枚で、先が尖る。
色は薄い紫がかった青である。
中心は黄色い。
まだ開いていない蕾も付いている。
根元には、細い根が数本描かれている。
背景は塗られていない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題にある名は、この草の呼び名である。
その呼び名には、青い目という語が入っている。
つまり花の色が、そのまま名前になっている。
器の染付では、青は白の上に置かれた線だった。
こちらの青は、紙の白の上に置かれた小さな点である。
同じ二色でも、片方は焼かれ、片方は乾かされている。
焼かれた青は、千度を超える火を通っても残る。
乾かされた青は、日に当てれば少しずつ褪せる。
同じ青という語で呼ばれていても、寿命がまるで違う。
この画家は、野生の草を一株ずつ紙に記録した。
背景を描かないのは、標本の図と同じ作りである。
つまりこの白い地は、器の白とは役目が違う。
器の白は見せるための地で、紙の白は比べるための地である。
数えてみると
九点を並べ直す。
白い地に青で描かれた器は、五点である。
龍の湯呑、蔓の壺、垂れ布のカップ、灰色がかった一組、そして錫釉の調味料瓶。
そのうち三点は、中国の器を真似ようとしてフランスで作られた。
一点では、染付の文様が絵の中に描かれている。
一点では、青は白い彫刻を引き立てる背景になっている。
そして二点には、青がない。
白い彫りだけの鉢と、水彩の草である。
もう一つ数えておく。
九点のうち、記録が中国の器に言及しているのは四点である。
日本の湯呑、そしてフランスの三点。
つまり半分近くの記録が、同じ手本を指している。
その手本そのものは、九点の中に一点もない。
手本は在庫の外にある。
真似た側だけが、こうして並ぶことになる。
そして真似た側の記録のほうが、手本について詳しく書いている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、染付が「真似の技法」だということである。
九点のうち四点の記録に、倣うという意味の言葉が入っている。
輸出用の器に倣い、輸入された磁器の色を真似ようとする。
そして真似の途中で、青がにじんだり、地が灰色になったりする。
その失敗の跡が、記録に書き残されている。
言えないのは、真似が劣るという話である。
錫釉の調味料瓶は、磁器ではないが、密な文様で面を埋めている。
三代目の花瓶は、青を背景に回し、白い鳥を浮き上がらせた。
手本から離れたところに、それぞれの解決がある。
そして真似ることは、材料を探すことでもあった。
白い素地を作れなければ、白い釉で覆う。
硬い磁器を焼けなければ、軟らかい磁器で代える。
色を合わせられなければ、文様の密度で補う。
最後に、はじめの五客へ戻る。
同じ形の湯呑が、五つ並んでいた。
一つずつ手で描かれているので、龍の姿は少しずつ違う。
型で押したのではなく、筆で引かれている。
真似るという言葉は、同じものを作ることを意味しない。
五つを並べたとき、はじめて手の癖が見えてくる。
一つだけなら、それは中国の器の写しにしか見えない。
九点を数え終えて残るのは、その五つの違いのほうである。









