題が、行いと場所でできている——ジョージ・カトリンの場面画九点
村と、墓地
九点のうち一点は、村を描く。
そして、題に墓地という語が入る。
つまり、埋葬の場所である。
そこは、人々にとって大切な場所だ。
館は、当時の題をそのまま残している。
前の回で、敏感な主題の扱いを書いた。
こちらでも、記録は事実だけを並べる。
そして、読む側が慎重に受け取ることになる。

横長の小さな画面である。
手前に、緑の平地が広がる。
その上に、木の台がいくつも組まれる。
台は、四本の柱で支えられる。
中央に、二本の長い棒が立つ。
棒の先に、飾りが揺れる。
その根もとに、白い丸い形が円く並ぶ。
奥に、低い建物が横に連なる。
屋根は、丸く土で覆われる。
さらに奥は、平らな地平である。
空は、灰と褐色である。
小さな画面
いま見た一点は、九点の中でいちばん小さい。
縦28.5センチ、横36.6センチ。
他の八点は、縦五十センチ前後である。
つまり、半分ほどの大きさだ。
前の回で、一点だけ小さい例を見た。
こちらでも、同じことが起きている。
理由は、書かれていない。
材料の都合か、別の機会に描かれたか。
形容の語が、題に入る
九点のうち一点は、題に形容の語が入る。
美しい、という語である。
つまり、書き手の評価が題に含まれている。
これは、他の八点にはない。
行いや場所を書くだけなら、評価は要らない。
前の回で、記録が判断を避ける話をした。
こちらでは、判断が題に入っている。
風景を描いた一点だからだろう。

横長の画面である。
中央に、緑の草地が広がる。
その中ほどに、小さな水面がある。
水は、淡い青である。
左右に、細い木が立ち並ぶ。
木は、幹が細く、上で葉が茂る。
草地の中に、低い茂みが点在する。
手前の右に、大きな葉の植物がある。
奥は、緩やかに盛り上がる。
空は、白と桃色である。
人の姿は、描かれない。
人のいない、一点
いま見た一点には、人が描かれない。
九点のうち、これだけである。
つまり、風景そのものが主題だ。
そして、題に評価の語が入る。
美しい、と書き手が思ったから描いた。
前の回で、絵が誰の見方の記録かを書いた。
風景の絵は、それがいちばん直接に現れる。
何を美しいと思うかは、人によって違う。
行いを、題にするということ
九点の題の前半は、いずれも行いである。
踊り。
球技。
眺め。
つまり、動詞に近い語が来る。
前の回で見た肖像の題は、名から始まった。
こちらは、行いから始まる。
主題が違えば、題の作りも変わる。
記録の形は、中身に従っている。
民族の名が、後半に来る
後半に民族の名が来る例が、四点ある。
つまり、誰の行いかを示す。
これは、必要な情報である。
同じ踊りでも、民族によって違うからだ。
そして、名の表記は当時のものである。
前の回で、表記が変わってきた話をした。
いま各民族は、自分たちの表記を持っている。
館は、当時の題を残しつつ、注記を加えていく。
場所の名と、集団の名
後半には、場所の名と集団の名が混在する。
つまり、揃っていない。
場所で示すこともあれば、集団で示すこともある。
書き手が、そのとき分かるほうを書いたのだろう。
前の回で、記録の揺れの話を何度もした。
こちらでも、同じ揺れがある。
揃っていないことも、記録の姿である。
九点の年を、並べておく
九点の年を、順に並べる。
1832年。1834年から1835年が四点。
1835年から1836年。1835年から1837年が三点。
つまり、六年ほどのあいだに収まる。
そして、いずれも幅を持って書かれる。
つまり、確定していない。
前の回で見た肖像は、一年で確定していた。
場面の絵は、後から描き直されたものが多いのだろう。
見たものと、描いた場所
この画家は、その場で写生し、あとで仕上げた。
だから、描かれた年に幅が出る。
見た年と、描いた年が違う。
前の回で、二つの年が並ぶ例を見た。
こちらは、幅という形でそれが現れる。
館の年の欄は、その幅をそのまま書く。
一つに決めれば、事実が消える。
題が、記録の全部である
九点の記録には、銘記の欄がない。
つまり、画面の中に文字はない。
あるのは、題と年と技法と寸法だけである。
そして、題がいちばん多くを語る。
行いと、場所と、民族の名。
前の回まで、画面の中の文字を追ってきた。
こちらには、それがない。
だから、題を読むしかない。
題そのものが、記録の中心になっている。
寸法が、揃っている
九点のうち八点は、寸法がほぼ同じである。
縦四十九センチ台、横七十センチ。
つまり、同じ大きさの布を使っている。
前の回で、旅に布を持つ話をした。
こちらでも、同じ事情がある。
そして、肖像の寸法とは違う。
肖像は縦長、場面は横長である。
つまり、二種類の布を用意していた。
主題によって、向きを変える。
縦長と、横長
肖像は縦長で描かれる。
人が立つ姿に合うからだ。
場面は横長で描かれる。
大勢が並び、土地が広がるからだ。
つまり、主題が向きを決める。
前の回で、判型が構図を決める話をした。
こちらでは、逆に主題が判型を選んでいる。
そして、揃いの中で二種類の形が混じる。
並べて掛ければ、その差が目に入る。
記録として、読むために
これらの絵は、いま貴重な資料とされている。
失われた光景を伝えるからだ。
同時に、注意も要る。
描いたのは、外から来た一人の人物である。
見たものを、その人の関心で選んで描いた。
そして、あとで手を加えている。
つまり、写真のような記録ではない。
前の回で、絵が誰の見方の記録かを書いた。
九点も、その前提で読む必要がある。









