画家を知る

身振りを、集めておく——フランシス・ウィリアム・エドモンズの写生帖

衣で、身分が分かる

九点の人物の衣を見ると、種類がある。

上着に胴着を重ねた紳士、袖をまくった働き手、裾の広がる衣の女性。

どれも当時の日常の服装である。歴史や神話の衣は出てこない。

家の中の場面を描く画家にとって、必要なのは同時代の服である。

身振りと衣を組み合わせれば、誰がどんな立場かが伝わる。

九点の男性は、七人が上着を着ている。うち二人は帽子をかぶる。

女性は三人で、いずれも裾の長い衣である。

同じ時代の同じ町の服装がそろっている。特別な衣装は一つもない。

右へ身を傾ける女(写生帖より)
フランシス・ウィリアム・エドモンズ《右へ身を傾ける女(写生帖より)》1838年ごろとその後。生成りの紙に鉛筆。館の記録では、縦16.8センチ、横20.3センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ウィリアム・エドモンズ《右へ身を傾ける女(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

一人の女性が、上体を右へ傾ける。

頭は肩の高さまで下がる。首が長く伸びる。

右腕を右方向へ伸ばす。手は画面の外へ出る。

左肩から胸にかけて、布の襞が描かれる。線が重なる。

顔は下を向き、目が伏せられる。

腰から下は描かれていない。上半身だけである。

背景はなく、紙の白が広い。

伸ばした手の先に何があるかは、描かれていない。動作だけが残る。

手の描き方

九点の手を見ていくと、描き方に差がある。

指を一本ずつ描いた手が四つ、塊としてまとめた手が六つほどある。

指さす手と、握った手は、指まで描かれる。形が意味を持つからである。

膝の上に置かれた手は、塊で済まされる。動作を担っていない。

必要な部分にだけ手数をかける。帖の頁は、その判断の記録でもある。

何をしているかは、書かれない

九点の題を読むと、動作の名は書かれている。

指さす、話す、身を傾ける、座る。

しかし、何のためにそうしているかは書かれない。

それは、この帖が場面を作る前の段階だからである。理由はあとで決まる。

身振りだけを取っておけば、どんな話にも使える。

樽に腰かける女(写生帖より)
フランシス・ウィリアム・エドモンズ《樽に腰かける女(写生帖より)》1838年ごろとその後。生成りの紙に鉛筆。館の記録では、縦16.8センチ、横20.3センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ウィリアム・エドモンズ《樽に腰かける女(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

九点の最後は、座った女性である。

裾の長い衣を着て、体を右へ向ける。

腰かけている台は、円い形をしている。樽か、荷車の一部かは判別しにくい。

台の下から、細い脚のようなものが伸びる。車輪の支えかもしれない。

女性の腕は体の前にあり、手が膝の上で重なる。

顔は右を向き、輪郭だけが描かれる。

線は薄く、影はほとんどない。

九点のなかで、家具や道具が描かれる数少ない一点である。

顔の扱い

九点の顔を見比べると、扱いに幅がある。

輪郭だけの顔が五点、目鼻まで入る顔が三点、影まで入る顔が一点である。

身振りが主題なら、顔は要らない。誰でもよいからである。

それでも顔を描き込んだ頁があるのは、その人物を絵に使うつもりだったからかもしれない。

顔の描き込みの量が、その頁の目的を示している。

家具は、あとで足す

九点を通して、家具はほとんど描かれない。

卓の縁が一本の線で示される程度である。椅子も、背もたれの一部だけである。

家具は、画室で描ける。目の前に置いて写せばよい。

人の身振りは、そうはいかない。動いてしまう。

だから帖には、動くものだけを取っておく。優先順位がはっきりしている。

誰を描いたのか

九点の人物が誰であるかは、記録に書かれていない。

題は、男、女、としか言わない。名前は出てこない。

知り合いを描いたのか、通りすがりの人を描いたのかも分からない。

身振りを集めるのが目的なら、誰であるかは重要でない。

そのため、この帖の人物は永久に匿名のままである。

帖の使い方

この帖の制作年は、1838年ごろとその後、と書かれる。

つまり、一度に使い切ったのではない。何年かにわたって使われている。

思いついたときに開き、見たものを描き、閉じる。

そういう使い方をすれば、頁ごとに濃さも道具も変わる。九点のばらつきは、その結果である。

同じ画家の帖の紙の数え方については、一枚の紙が、二点になる——フランシス・ウィリアム・エドモンズでも扱った。

白黒の画像

九点の公開画像は、いずれも白黒である。

鉛筆の素描だから、色の情報はもともと少ない。

それでも、紙の色は分からない。記録は生成りと書くが、画像では白に見える。

インクの色も分からない。鉄没食子インクは褐色に変わることが多いが、確かめられない。

見えないものは書かない。本文でも、色については触れないようにした。

白黒の画像は、古い撮影のまま公開されているのだと考えられる。

素描は色の情報が少ないので、撮り直しの優先度が低い。

同じ館でも、油彩は色で公開され、素描は白黒のことがある。扱いに差がある。

動作の名で、題が付く

九点の題を並べると、動詞が並ぶ。

指さす、書く、組む、話す、傾ける、座る、腰かける。

ふつうの絵の題は、名詞で終わる。人物名や場所名である。

素描の題が動詞になるのは、描かれているのが状態ではなく動作だからである。

館の題の付け方が、この帖の性格をよく示している。

集めた身振りの行き先

この帖の身振りが、実際にどの油彩に使われたかは分からない。

同じ姿勢を探せば見つかるかもしれないが、確かめる手だてがない。

分かるのは、集める作業が続いていたことだけである。

完成した絵の裏に、こうした紙が何十枚もある。

日々の仕事のかたわらで絵を描いた人の手つきは、別の記事にも書いた。

銀行に勤めながら、台所を描く——フランシス・ウィリアム・エドモンズを参照してほしい。

この帖は、その仕事の材料置き場である。

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