画家を知る

同じ絵を、六十回——ヒックスの「平和の王国」

歴史が、理想の形に描かれる

ペンの条約
エドワード・ヒックス《ペンの条約》1840〜44年ごろ。油彩・画布。縦61.7センチ、横76.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エドワード・ヒックス《ペンの条約》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

《ペンの条約》である。1840年代前半の作と考えられている。晩年の筆である。

大きな木のもとで、外套姿の入植者たちと、レナペの人々が向かい合っている。

1681年にペンシルベニアの領有を認められたクエーカー、ウィリアム・ペン。

彼が先住のレナペの人々と、武力によらずに結んだとされる約束の場面である。

クエーカーにとって、この条約は信仰が現実に働いた証だった。

ヒックスはこの主題も、王国と同じく繰り返し描いたと伝えられる。

構図には、有名な手本がある。ベンジャミン・ウェストが18世紀に描いた《ペンの条約》である。

英国で歴史画の頂点に立った画家である。

画歴はベンジャミン・ウェストという教師で述べた。

ウェストの構図は版画になって広まった。ヒックスが描いたのは、いわばその民衆版である。

画面の下には、文字の帯が描き込まれている。

趣旨はこうである。「ペンの条約は1681年、誓いなしに結ばれ、決して破られなかった。アメリカの宗教的・市民的自由の礎である」。

理想の図像と、史実の距離

ここで、立ち止まらなければならない。

この文言は、当時の通念である。史実の要約ではない。

武力によらないペンの条約は、クエーカーの入植者にとって誇りの物語だった。

しかし、実際の植民の歴史は、この理想図よりはるかに複雑である。

条約ののちも入植は拡大し、レナペの人々は土地を追われていった。

欺きに近い手段で土地が奪われた事例も、歴史には記録されている。

先に住んでいたレナペの人々の側から見れば、これは全く別の物語になる。

平和の図像の向こうで、現実の土地は失われ続けた。

「決して破られなかった」という画中の言葉を、そのまま受け取ることはできない。

ヒックスがこの絵に込めたのは、信仰上の理想である。その理想は真摯だったろう。

だが、理想の図像は史実の代わりにならない。

一つの国が自らの始まりを語るとき、物語はしばしば理想へ傾く。

図像はその傾きを、目に見える形で残す。だからこそ、読み解く価値がある。

当サイトはこの絵を、理想と史実の距離ごと紹介したい。

見たことのない海、見たことのない墓

コロンブスの上陸
エドワード・ヒックス《コロンブスの上陸》1837年ごろ。油彩・画布。縦45センチ、横60センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エドワード・ヒックス《コロンブスの上陸》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

《コロンブスの上陸》である。岸辺に旗が立てられ、画面下には「COLUMBUS」と人名が記される。

これも版画に基づく、素朴な歴史の再話である。

船を降りた一行が、岸に旗を立て、領有を宣する。

出来事から三百年以上のちの、遠い伝聞の絵である。

行ったことのない場所を、職人は手本どおりに再現している。

そしてこの上陸もまた、先住の人々にとっては、征服と喪失の始まりだった。

その点は、先の絵と同じように書き添えておかなければならない。

ウィリアム・ペンの墓
エドワード・ヒックス《ウィリアム・ペンの墓》1847〜48年ごろ。油彩・画布。縦60.4センチ、横75.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エドワード・ヒックス《ウィリアム・ペンの墓》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらは英国にある、ペンの墓所である。木立の中に集会所と墓地が見え、傍らで牛が休む。

画面には説明の文字が描き込まれている。

ここがペンの墓であり、友会の人々が墓を見つめている、という趣旨である。

ヒックスは英国に渡ったことがない。

版画をもとに、見ぬ土地の墓を再構成した、追慕の図である。

死期の近づいた説教者が、信仰の祖の墓を思い描く。静かな絵である。

派手な記念碑は描かれていない。木立と草地と、簡素な建物である。

飾りを嫌った人々の祖にふさわしい、飾りのない墓所である。

最後の王国は、農場だった

コーネル農場
エドワード・ヒックス《コーネル農場》1848年。油彩・画布。縦93.3センチ、横124.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エドワード・ヒックス《コーネル農場》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

死の前年、1848年の作である。本稿で見てきた中で、いちばん大きな画面である。

なだらかな丘の農場を背に、牛や馬たちが手前の柵の際に整列している。

画面下の銘記によれば、これはペンシルベニア州バックス郡のコーネル家の農場と家畜である。

家畜は1848年10月12日、農業協会の品評会で賞を得た。

銘記は「69歳のヒックスが描いた」という趣旨の言葉で結ばれている。

家畜が横に並ぶ姿には、見覚えがある。《平和の王国》の動物たちである。

獅子と豹の代わりに、手入れされた牛と馬が並ぶ。争いのない、耕された土地。

ヒックスの理想が最後にたどり着いた場所は、幻の王国ではなかった。

丹精された、隣人の農場だった。そう読んでみたくなる。

獣が牙を収める奇跡を、ただ待つのではない。

日々の手入れと、隣人との和合で、平和を耕す。

晩年のヒックスは、そこに王国の現実の形を見たのではないか。

反復は、祈りの形式である

問いに戻る。なぜ、同じ絵を描き続けたのか。

反復は、想像力の貧しさではない。祈りの形式である。

祈りの言葉は、毎日同じである。同じだからこそ、日々の心の揺れがそこに映る。

ヒックスは同じ王国を描き続けることで、絵を日記にした。

信仰の確信も、教団分裂の痛みも、老いの静けさも、獣の顔つきと群れの姿に記された。

20世紀に入り、こうした職人たちの絵は、フォークアートとして再評価されていく。

美術学校を経ない絵の中に、別の真率さがある。そう認められたのである。

ヒックスは、その再評価の中心に置かれた画家の一人である。

だが本人は、芸術家と呼ばれることを望まなかっただろう。

彼が磨いていたのは絵の腕ではなく、祈りの精度だった。

そして、王国は描き直され続ける

最後に、最初の一枚へ戻ってほしい。

獅子と豹の間に立つ幼子は、今日も真剣な顔でこちらを見ている。

この絵の中で、平和は達成された状態として描かれていない。

描き直し続けなければ保てない、危うい約束として描かれている。

それは信仰の話であると同時に、この国の歴史の話でもある。

理想を描くことと、理想を生きること。その間の距離を、絵は隠さない。

だから彼は、描き続けた。

説教が毎週繰り返されるように。祈りが毎朝唱えられるように。

同じ王国を、何十回でも。それがこの看板職人の、生涯にわたる説教だった。

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