同じ絵を、六十回——ヒックスの「平和の王国」
歴史が、理想の形に描かれる

《ペンの条約》である。1840年代前半の作と考えられている。晩年の筆である。
大きな木のもとで、外套姿の入植者たちと、レナペの人々が向かい合っている。
1681年にペンシルベニアの領有を認められたクエーカー、ウィリアム・ペン。
彼が先住のレナペの人々と、武力によらずに結んだとされる約束の場面である。
クエーカーにとって、この条約は信仰が現実に働いた証だった。
ヒックスはこの主題も、王国と同じく繰り返し描いたと伝えられる。
構図には、有名な手本がある。ベンジャミン・ウェストが18世紀に描いた《ペンの条約》である。
英国で歴史画の頂点に立った画家である。
画歴はベンジャミン・ウェストという教師で述べた。
ウェストの構図は版画になって広まった。ヒックスが描いたのは、いわばその民衆版である。
画面の下には、文字の帯が描き込まれている。
趣旨はこうである。「ペンの条約は1681年、誓いなしに結ばれ、決して破られなかった。アメリカの宗教的・市民的自由の礎である」。
理想の図像と、史実の距離
ここで、立ち止まらなければならない。
この文言は、当時の通念である。史実の要約ではない。
武力によらないペンの条約は、クエーカーの入植者にとって誇りの物語だった。
しかし、実際の植民の歴史は、この理想図よりはるかに複雑である。
条約ののちも入植は拡大し、レナペの人々は土地を追われていった。
欺きに近い手段で土地が奪われた事例も、歴史には記録されている。
先に住んでいたレナペの人々の側から見れば、これは全く別の物語になる。
平和の図像の向こうで、現実の土地は失われ続けた。
「決して破られなかった」という画中の言葉を、そのまま受け取ることはできない。
ヒックスがこの絵に込めたのは、信仰上の理想である。その理想は真摯だったろう。
だが、理想の図像は史実の代わりにならない。
一つの国が自らの始まりを語るとき、物語はしばしば理想へ傾く。
図像はその傾きを、目に見える形で残す。だからこそ、読み解く価値がある。
当サイトはこの絵を、理想と史実の距離ごと紹介したい。
見たことのない海、見たことのない墓

《コロンブスの上陸》である。岸辺に旗が立てられ、画面下には「COLUMBUS」と人名が記される。
これも版画に基づく、素朴な歴史の再話である。
船を降りた一行が、岸に旗を立て、領有を宣する。
出来事から三百年以上のちの、遠い伝聞の絵である。
行ったことのない場所を、職人は手本どおりに再現している。
そしてこの上陸もまた、先住の人々にとっては、征服と喪失の始まりだった。
その点は、先の絵と同じように書き添えておかなければならない。

こちらは英国にある、ペンの墓所である。木立の中に集会所と墓地が見え、傍らで牛が休む。
画面には説明の文字が描き込まれている。
ここがペンの墓であり、友会の人々が墓を見つめている、という趣旨である。
ヒックスは英国に渡ったことがない。
版画をもとに、見ぬ土地の墓を再構成した、追慕の図である。
死期の近づいた説教者が、信仰の祖の墓を思い描く。静かな絵である。
派手な記念碑は描かれていない。木立と草地と、簡素な建物である。
飾りを嫌った人々の祖にふさわしい、飾りのない墓所である。
最後の王国は、農場だった

死の前年、1848年の作である。本稿で見てきた中で、いちばん大きな画面である。
なだらかな丘の農場を背に、牛や馬たちが手前の柵の際に整列している。
画面下の銘記によれば、これはペンシルベニア州バックス郡のコーネル家の農場と家畜である。
家畜は1848年10月12日、農業協会の品評会で賞を得た。
銘記は「69歳のヒックスが描いた」という趣旨の言葉で結ばれている。
家畜が横に並ぶ姿には、見覚えがある。《平和の王国》の動物たちである。
獅子と豹の代わりに、手入れされた牛と馬が並ぶ。争いのない、耕された土地。
ヒックスの理想が最後にたどり着いた場所は、幻の王国ではなかった。
丹精された、隣人の農場だった。そう読んでみたくなる。
獣が牙を収める奇跡を、ただ待つのではない。
日々の手入れと、隣人との和合で、平和を耕す。
晩年のヒックスは、そこに王国の現実の形を見たのではないか。
反復は、祈りの形式である
問いに戻る。なぜ、同じ絵を描き続けたのか。
反復は、想像力の貧しさではない。祈りの形式である。
祈りの言葉は、毎日同じである。同じだからこそ、日々の心の揺れがそこに映る。
ヒックスは同じ王国を描き続けることで、絵を日記にした。
信仰の確信も、教団分裂の痛みも、老いの静けさも、獣の顔つきと群れの姿に記された。
20世紀に入り、こうした職人たちの絵は、フォークアートとして再評価されていく。
美術学校を経ない絵の中に、別の真率さがある。そう認められたのである。
ヒックスは、その再評価の中心に置かれた画家の一人である。
だが本人は、芸術家と呼ばれることを望まなかっただろう。
彼が磨いていたのは絵の腕ではなく、祈りの精度だった。
そして、王国は描き直され続ける
最後に、最初の一枚へ戻ってほしい。
獅子と豹の間に立つ幼子は、今日も真剣な顔でこちらを見ている。
この絵の中で、平和は達成された状態として描かれていない。
描き直し続けなければ保てない、危うい約束として描かれている。
それは信仰の話であると同時に、この国の歴史の話でもある。
理想を描くことと、理想を生きること。その間の距離を、絵は隠さない。
だから彼は、描き続けた。
説教が毎週繰り返されるように。祈りが毎朝唱えられるように。
同じ王国を、何十回でも。それがこの看板職人の、生涯にわたる説教だった。





