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七宝は、褪せない——ル・バスティエ・清風与平・カトリンほか九点

絵が、七宝のように見える

八点目では、七宝は比喩である。

女性の肖像
コルネイユ・ド・リヨン《女性の肖像》1540年ごろ。館の記録では、板に油彩。額なしで16.5×14.8センチ。番号は1942.48。クリーヴランド美術館蔵。コルネイユ・ド・リヨン《女性の肖像》クリーヴランド美術館蔵

小さな板絵である。

額なしで16.5×14.8センチしかない。

背景は、明るい青緑である。

一様に塗られ、筆の跡が見えない。

中央に、若い女性がいる。

胸から上が描かれる。

顔はやや右を向く。

髪は赤みのある金色である。

頭には、白と金の被り物が載る。

被り物には、細かい飾りが並ぶ。

首には、細い鎖が二重に掛かる。

鎖の粒は、金の点で示される。

上の鎖は短く、下の鎖は胸まで届く。

鎖の先には、小さな飾りが下がる。

衣は黒く、襟が四角く開く。

襟の縁には、白い刺繍がある。

袖には、金の刺繍が入る。

刺繍の粒は、金箔を貼ったものである。

館の記録も、それに触れている。

館の記録では、この画家は宮廷と裕福な商人の双方のために働いた。

その北方の様式は、当時流行していた別の様式と対照をなし、細密画や写本の絵と近い。

そして館は、こう書いている。

近年の修復によって、なめらかで七宝のような背景と、細部の綿密な描写が回復した。

館の記録は、そう説明している。

つまり七宝は、ここでは仕上がりの比喩である。

なめらかで、筆の跡がなく、色が均一である。

その三つが、七宝の面の特徴でもある。

そして館は、それが修復で回復したと書いている。

つまり一度、失われていた。

古い塗り直しか、汚れがあったらしい。

七宝のような面は、絵の具では保ちにくい。

九点のうち、七宝が比喩なのは、この一点である。

草原が、花で彩られる

最後の一点で、七宝は題の中の言葉になる。

ブラックバードの墓、背面より、花に彩られた草原
ジョージ・カトリン《ブラックバードの墓、背面より、花に彩られた草原》1832年。館の記録では、油彩・カンヴァス。28.5×36.6センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。ジョージ・カトリン《ブラックバードの墓、背面より、花に彩られた草原》スミソニアン協会蔵

横長の小さな画面である。

28.5×36.6センチしかない。

画面の左に、丘がある。

丘は緑で、頂きが丸い。

斜面は、下へ長く伸びる。

その右奥に、広い谷が開ける。

谷には、低い木立が点々と散る。

木立の緑は、丘より淡い。

さらに奥は、灰緑の平地になる。

地平線は高く、画面の上三分の一にある。

空は白く、薄い灰色の帯が横に走る。

雲の形は、はっきりしない。

空と平地の境も、あいまいである。

手前の草地には、細かい点がある。

点は白と黄で、小さい。

花らしい。

丘の頂きには、何もない。

墓であることは、画面からは分からない。

題だけが、それを伝えている。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

題には、花に彩られた草原という語がある。

もとの語は、七宝を意味する語の動詞形である。

つまり草原の花を、七宝の色の粒にたとえている。

画面では、その粒がごく小さな点として置かれている。

点は数えられるほど少ない。

草原全体を覆ってはいない。

言葉のほうが、画面より華やかである。

この画家の題の付け方については、題と場所で扱った。

数えてみると

九点を並べ直す。

金属の上の七宝は、三点である。

嗅ぎ煙草入れ、飾り板、そして鍔。

焼き物の上の七宝は、二点である。

蓋付鉢と、磁器の人形。

七宝が絵そのものなのは、一点。

写真の地なのは、一点。

比喩なのが、一点。

題の中の言葉なのが、一点である。

九点で、七宝は物から言葉まで並んでいる。

一方の端は硝子の層で、もう一方の端は動詞である。

そのあいだに、比喩と支持体が挟まっている。

もう一つ数える。

九点のうち、七宝が別のものを真似ているのは二点である。

瑪瑙を真似た嗅ぎ煙草入れと、比喩として使われた背景。

前者は七宝が石を真似、後者は絵が七宝を真似ている。

真似る向きが、逆になっている。

さらに数える。

九点のうち、七宝が主要な材料として最初に挙げられるのは二点である。

細密画と、写真の支持体。

ほかの七点では、七宝は材料の欄の途中に出てくる。

言えることと、言えないこと

言えるのは、七宝が「褪せない色だ」ということである。

硝子を火で溶かして作るので、光にも空気にも強い。

だから写真を七宝に焼き付けた人たちがいた。

紙より長持ちすると考えたからである。

九点のうち、その長持ちを目的にした例が一点あった。

そして七百年前の飾り板の青も、いまだに濃い。

同じ時代の絵の具なら、色が変わっている。

火で作った色と、混ぜて作った色の差である。

言えないのは、七宝がいつも高価な技法だという話である。

嗅ぎ煙草入れは、石の代わりに使われていた。

めずらしい瑪瑙を手に入れるより、七宝で似せるほうが易しい。

石は掘り出すしかないが、七宝は作れる。

数がそろわないものを、そろえるための技法でもある。

同じ意匠の箱が、少なくとも七つ作られている。

七つとも、模様は少しずつ違うはずである。

手で描くものだからである。

しかし、どれも同じ石に似ている。

真似るための技法でもあった。

最後に、はじめの一箱へ戻る。

黒い筋の模様は、石の中の筋を写している。

しかし石の筋は、二つとして同じものがない。

七宝なら、同じ模様を何度でも描ける。

自然にしかない偶然を、人の手で繰り返している。

蓋付鉢の桃色の斑は、その反対だった。

あちらは、狙って作れない色だった。

真似られる偶然と、真似られない偶然がある。

九点を数え終えて残るのは、その繰り返しのほうである。

繰り返せることが、この技法の力である。

そして繰り返せないことが、焼き物の力である。

同じ火が、二つの結果を分けている。

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