作品を知る

凍った水は、道になる——ファン・デル・ネール・アーフェルカンプほか九点

ウィサヒコン川のスケート
ヨハン・メンゲルス・カルヴァーハウス《ウィサヒコン川のスケート》1875年。館の記録では、布に油彩。61×95.3センチ。番号は1974.263。メトロポリタン美術館蔵。ヨハン・メンゲルス・カルヴァーハウス《ウィサヒコン川のスケート》メトロポリタン美術館蔵

冬晴れの空の下、裸の木々に囲まれた氷に人が出ている。

空は淡い青で、白い雲が浮かぶ。

黒い外套の人々にまじって、子どもの姿もある。

氷の上の人々は、めいめいの方向を向いて散らばっている。

行き先のない歩みが、これが遊びであることの証しである。

記録の主題の欄には、子ども、男、女、スケートと並ぶ。

語だけ拾えば、それがこの絵のすべてである。

この絵の記録にも、解説の文がない。

だが題には、大事な語が一つある。

《ウィサヒコン川のスケート》。

川の名前が、題に入っているのである。

止まった水を数えた回に、池は四点で鏡になるがある。

凍った川もまた、名指しで描かれる。

どこかの冬ではなく、この川のこの冬である。

川の名が一つあるだけで、絵は地図と地続きになる。

空想の城の氷と、名のある川の氷。

同じ遊びでも、絵の立て方がまるで違う。

氷の上の仕事

遊びの絵の大勢の中には、働く人も混ざっていた。

その一人を取り出して写した紙が残っている。

氷の穴で洗濯をする女(表)、二人の紳士(裏)
ヘンドリック・アーフェルカンプ《氷の穴で洗濯をする女(表)、二人の紳士(裏)》1618年ごろ。館の記録では、青い紙に黒と赤のチョーク、黒鉛、水彩、ペンと黒インク。番号は2024.74。クリーヴランド美術館蔵。ヘンドリック・アーフェルカンプ《氷の穴で洗濯をする女(表)、二人の紳士(裏)》クリーヴランド美術館蔵

青い紙に、身をかがめた女が描かれている。

白い頭巾をかぶり、足元の氷の穴に手を伸ばす。

傍らには手桶が置かれ、赤いチョークがわずかな色を差す。

洗濯である。

凍った水路で洗濯をするには、まず氷を割って水に届かなければならない。

穴は、氷の下の水を使うための出入り口である。

館の記録では、アーフェルカンプは冬景色ばかりを描いた画家だった。

凍った水路の上の、あらゆる営みを描いたという。

滑る、語らう、洗う、釣る、荷を運ぶ。

氷の上の営みを、記録はこの五つの動詞で挙げていた。

絵になりやすいのは滑るで、なりにくいのは洗うだろう。

この画家は、なりにくいほうも捨てなかった。

この紙では、女が氷の穴で洗い物をし、そばで子どもが涙をぬぐう。

子どもがなぜ泣いているのかは、記録に書かれていない。

寒さのせいか、別の訳があるのか、紙は答えないままである。

一枚の紙の表と裏に、二つの絵が入っている。

裏には、身なりのよい二人の男が描かれている。

紙が裁ち落とされているため、二人の手ぶりは途中で切れている。

それでも、氷の上の球遊びの最中かもしれないと記録は読む。

こうした紙は工房に置かれ、大きな絵の人物の手本になったとある。

表に働く女、裏に遊ぶ男。

一枚の紙が、氷の上の二つの過ごし方を表裏で抱えている。

そして、穴が一つ開くだけで、氷の見え方は変わる。

面の下に、水がそのまま待っているからである。

人の乗っている場所の薄さを、この小さな穴が思い出させる。

次の一点は、たった一人の氷である。

スケートをする人のいる冬景色
ヤン・ファン・ケッセル《スケートをする人のいる冬景色》1662年。館の記録では、クリーム色の簀の目紙に筆と黒インク、灰色の淡彩、黒チョーク。紙は24×31.3センチ。画面は17.9×25.8センチ。番号は2019.7。クリーヴランド美術館蔵。ヤン・ファン・ケッセル《スケートをする人のいる冬景色》クリーヴランド美術館蔵

崩れかけた小屋と、古びた石の橋のある村はずれ。

小屋の壁は破れ、屋根は傾いている。

奥には、村の教会の塔が小さく見える。

凍った水路を、一人の滑り手が橋の下へくぐっていく。

石の橋が画面を横切るさまは、橋を横切る線として数えた回を思い出させる。

だが、この人は橋を渡らない。

橋の下の、凍った水のほうを道にしている。

館の記録では、17世紀のオランダの凍った水路は、町と町を結ぶ道の役をしたという。

氷の上の人々は、遊んでいたばかりではない。

移動していたのである。

冒頭の絵で人影が奥まで続いていたのも、氷が道だったからだと考えられる。

こうした村はずれの景色は、オランダらしい主題として好まれたと記録は書く。

滑り手は小さく、氷の面は紙の色のまま塗り残されている。

季節を教えるのは、葉のない木々と、この一人の足元だけである。

画面中央の木は、黒チョークと灰色の淡彩で、ふるえるように描かれている。

左下には、ペンで署名と1662の年が入る。

紙の裏には、のちの持ち主が鉛筆で画家の名を書き込んでいる。

乗れない氷

ここまでの六点では、人が氷に乗っていた。

乗れない氷もある。

氷河と滝
マイナー・キルボーン・ケロッグ《氷河と滝》1863年。館の記録では、紙に水彩と鉛筆。紙は38.1×28センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。マイナー・キルボーン・ケロッグ《氷河と滝》スミソニアン協会蔵

山の絵である。

雪をかぶった峰の下に、緑の谷が開けている。

岩壁のあいだを、細い滝が一筋、白く落ちる。

手前の斜面は緑で、白は峰の高みにだけ残る。

その白は、紙の白をそのまま生かして描かれているように見える。

題は《氷河と滝》。

峰にはりつく氷河は、山に居座ったまま動かないように見える氷である。

滑る人も、渡る人もいない。

同じ画面に、凍った水と落ちる水が同居している。

滝は凍らずに落ち続け、氷河は夏が来ても解け残る。

水のいちばん速い姿と、いちばん遅い姿を、一枚に収めた題である。

スケートの氷は、冬ごとに生まれて春に消える。

山の氷は、夏を越えても白いまま峰に残る。

同じ凍った水でも、付き合う時間の長さが違う。

そして、人がいないので、この氷には大きさの物差しがない。

峰の白がどれほどの厚さなのか、画面からは測れない。

人は氷を氷に見せるだけでなく、氷の大きさを測る物差しでもあった。

この作品の記録は、作者と年と技法と寸法だけの短いものである。

谷の底に小さく見える家々についても、記録は何も語らない。

氷は、手のひらにも乗る。