画家を知る

筆あとを、消さない——フランス・ハルスの肖像

初期は、細部が密である

まず1610年代の作品を見たい。

謝肉祭の人々
フランス・ハルス《謝肉祭の人々》1616〜1617年ごろ。油彩・画布。縦131.4センチ、横99.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランス・ハルス《謝肉祭の人々》メトロポリタン美術館蔵

大勢が画面に押し込まれている。

中央に、白いレース襟の若い女性が座っている。

その左に赤い顔の男。右に赤い帽子の男。奥にも顔が四つ五つ覗く。

手前の卓には器と食べ物が並ぶ。腸詰、パン、皿。

女性の胸元には金の飾りが幾重にも下がる。

ここで注目したいのは、レース襟の描き方である。

編み目が一つずつ描かれている。花模様も追える。

先に見た1643年の襟とは、まったく描き方が違う。

初期には、細部を積み上げる仕事をしていたことになる。

主題も見ておきたい。

謝肉祭は、四旬節の前に行われた祝祭である。

食べ、飲み、騒ぐことが許された期間で、風刺の主題としてよく描かれた。

腸詰や卵は、断食の前に食べ尽くす物である。

つまり画面の食べ物は、季節を示す記号として置かれている。

笑う顔と乱れた配置も、祝祭の無秩序を表している。

若い女性の視線だけが正面へ向き、見る側を引き込んでいる。

宿屋の若い男女
フランス・ハルス《宿屋の若い男女》1623年。油彩・画布。縦105.4センチ、横79.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランス・ハルス《宿屋の若い男女》メトロポリタン美術館蔵

こちらは1623年の作である。

男が右手にグラスを高く掲げ、口を開けて笑っている。

灰色の外套に、青緑の袖。大きな縁の帽子に羽根飾りが揺れる。

その肩に女性が寄り、こちらを見て笑っている。

足元に犬が一匹。奥の暗がりに、もう一人の顔が浮かぶ。

笑っている顔を描いた絵は、この時代には少ない。

肖像画では、笑うことは品位を欠くと考えられていた。

つまりこれは注文の肖像ではなく、風俗の主題である。

そして、この主題では速い筆が許される。

外套の灰色は、大きな筆で一気に置かれている。

楕円の枠を、絵の中に描く

肖像に戻りたい。

襞襟の髭の男
フランス・ハルス《襞襟の髭の男》1625年。油彩・画布。縦76.2センチ、横63.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランス・ハルス《襞襟の髭の男》メトロポリタン美術館蔵

長方形の画布である。しかし人物は楕円の中に収まっている。

四隅は暗く塗られ、楕円の縁が石の枠のように描かれている。

つまり額の効果を、絵の中に描き込んでいる。

人物は黒い衣で、首に白い襞襟を巻いている。

襞は放射状に広がり、光が上面だけに当たっている。

右手を胸に当て、指の関節が丸く光る。

顔は正面を向き、目尻に皺が寄っている。

襞襟の描き方を見ると、白と灰の帯を交互に並べているだけである。

一枚ずつの襞を追わず、明暗の反復で襞に見せている。

楕円の枠を描く手法にも意味がある。

当時の肖像は、楕円の額に入れることが流行していた。

しかし楕円の額は高価である。

そこで、長方形の画布に楕円を描いて代用する。

額の効果を絵具で作るという発想である。

額と絵の関係については別のコラムで扱った。

絵の中に額を描く例は、この時代のオランダに多い。

ペトルス・スクリウェリウス
フランス・ハルス《ペトルス・スクリウェリウス》1626年。板に油彩。縦22.2センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランス・ハルス《ペトルス・スクリウェリウス》メトロポリタン美術館蔵

こちらは小さな板絵である。縦22.2センチ、横16.5センチ。

赤褐色の地に、楕円の枠が描かれている。

その中に、禿頭の男が半身で収まる。

白い襞襟、黒い衣、腕を組む手。顔は右を向いている。

枠の中に文字が入っている。名前と年記である。

アンナ・ファン・デル・アール
フランス・ハルス《アンナ・ファン・デル・アール》1626年。板に油彩。縦22.2センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランス・ハルス《アンナ・ファン・デル・アール》メトロポリタン美術館蔵

同じ寸法の対である。縦横ともに一致している。

白い頭巾と、車輪のように張った白い襞襟。

黒い衣に金の刺繍が見える。右手を胸に当てている。

顔は左を向き、先の男性像と向かい合う形になる。

夫婦の肖像を対で作る形式である。

小さいのは、持ち運びや個人の部屋のためだろう。

年齢が、書き込まれている

六十歳の女の肖像
フランス・ハルス《六十歳の女の肖像》1633年。油彩・画布。縦102.5センチ、横86.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。画面左に「AETAT SVAE 60 / ANo 1633」の銘がある。フランス・ハルス《六十歳の女の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

椅子に座った女性である。

白い頭巾と、幅の広い白襞襟。黒い衣に細かい刺繍。

右手に小さな本を持ち、左手を椅子の腕に置いている。

背景は明るい褐色で、上へ向かって少し明るくなる。

画面の左に文字が入っている。

所蔵館の記録によれば「本人の年齢60、1633年」と読める。

肖像に年齢と年記を書き込むのは、当時の慣行である。

つまり肖像は記録の文書に近い性格も持っていた。

数字が、書き換えられている

年齢の銘には、面白い例がある。

ウィレム・コイマンス
フランス・ハルス《ウィレム・コイマンス》1645年。油彩・画布。縦77センチ、横64センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。画面右に年齢と年記の銘、その上に紋章がある。フランス・ハルス《ウィレム・コイマンス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

若い男性が、椅子の背に腕をかけている。

黒い山高帽を斜めにかぶり、長い髪が肩に落ちる。

黒い上衣に金の刺繍。白い襟と、大きな白い袖口。

顔は上を向き、口元に笑みがある。

画面の右に、紋章と文字が描かれている。

所蔵館の記録は、その銘をこう書き留めている。

年齢を示す数字の二桁目が、2から6に書き換えられている。

つまり「22歳」だった記載が「26歳」に直されている。

書き換えたのが誰か、いつかは記録されていない。

しかし、この一行は肖像の性格を教えてくれる。

年齢は絵の一部であり、必要なら訂正される情報だった。

紋章についても、記録は内容を書いている。

金地に黒い牛の頭が三つ。家の印である。

顔と名前と年齢と家紋。肖像は身分の証明書でもあった。

書き換えの理由は想像するしかない。

年齢を若く見せたかったのか、記載の誤りを直したのか。

いずれにせよ、絵に手を入れることが可能だったという事実は重い。

作品は完成した時点で固定されるわけではない。

所蔵館が銘の書き換えを記録に残しているのは、この可変性を示すためである。

顔が記号として複製される話は別のコラムで扱った。

肖像は個人の記録でありながら、記録として編集されることがある。