ハチドリと、湿地——マーティン・ジョンソン・ヒード
二つの群に、共通するもの
まとめに入りたい。
花と鳥の絵、そして湿地の絵。主題はまったく違う。
しかし共通点がある。
一つ、どちらも空気の状態を描いている。
トケイソウの背後の霞、湿地の上の雨と光。
二つ、どちらも横長か縦長の極端な画面を使う。
三つ、細部と曖昧さを組み合わせている。
湿地の絵でも、干し草の輪郭は明確で、雲の縁は曖昧である。
つまりこの画家の関心は、主題ではなく空気にあった。
熱帯の湿った空気と、河口の湿った空気。
どちらも同じ関心の対象だったと考えられる。
干し草の山は、労働の跡である
もう一点、書き添えておきたい。
湿地の絵に描かれた干し草の山は、風景の飾りではない。
塩性の湿地では、牧草を刈って積み上げる作業が行われていた。
つまり画面の中の山は、労働の結果である。
人が描かれていなくても、その痕跡は残っている。
風景画の中の労働については別のコラムで扱った。
湿地は、どこにあったのか
描かれた場所も押さえておきたい。
湿原の絵の題名には、ニューベリー、マーシュフィールドといった地名が入る。
いずれもアメリカ北東部、海に近い低地である。
塩水が入る湿地で、牧草を刈って積み上げる作業が行われていた。
つまり農業の土地である。
観光地でも名所でもない。
19世紀の風景画が名所を描いたのに対して、この画家は平凡な低地を選んだ。
平らな土地では、地形の見せ場がない。
だから空と光が主題になる。
主題として弱い場所を選んだからこそ、天気の絵になったとも言える。
名所ではない場所を描く選択については別のコラムでも扱った。
額込みの寸法が残っている
記録の細部にも触れておきたい。
嵐の絵には、額込みの寸法が記されている。
縦108センチ、横148.3センチ、奥行12.7センチ。
画面より三十センチ以上大きい額が付いている。
つまり当時の額が現存し、寸法が測られている。
19世紀のアメリカの絵では、額が失われている例も多い。
額が残っていれば、当初の見せ方が分かる。
額と絵の関係については別のコラムで扱った。
見立て——空気を描くための、二つの入口
この画家は、二つの入口から同じ問題に入っている。
花と鳥では、精密な形の背後に霞を置く。
湿地では、平らな地面の上に空を広く取る。
どちらも、目に見えないものを見せる工夫である。
湿度、光の減衰、雨の粒。
対象が違っても、扱っているのは同じ現象である。
長い生涯と、遅い評価
経歴にも触れておきたい。
この画家は1819年に生まれ、1904年に没した。
八十年以上の生涯で、活動期間も長い。
しかし存命中の評価は高くなかったと説明される。
20世紀の半ば以降になって、再評価が進んだ。
つまり作品が残っていたことが、後の評価を可能にした。
売れなかった絵が家や画廊に残り、後に美術館へ入った。
暮らしへ——空の高さを、測ってみる
最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。
写真を撮るとき、空をどれだけ入れるかを決めてみてほしい。
半分入れると、天気が主題になる。
三分の一にすると、地上の物が主題になる。
四分の三入れると、ほとんど雲の絵になる。
湿地の絵は、空を半分以上使っている。
だから、あの絵は土地の絵ではなく空の絵として読める。
そして雨の日にも撮ってみてほしい。
雨脚は、斜めの線として写る。
百五十年前の画家が絵具でやっていたことが、確かめられる。
もう一つ。花を一輪、布の上に置いて撮ってみてほしい。
布の色を変えると、花の白さが変わる。
青い布の上のマグノリアが白く輝いていたのは、その効果である。
背景の色は、主題の色を決める条件になる。
もう一つ。雲の形を、輪郭だけ描いてみるのも面白い。
上端は丸く、下端は平ら。積雲の形には規則がある。
湿地の絵に並ぶ雲が、なぜ同じ形をしているのかが分かる。
群として見ると、関心が見える
最後に、見方をまとめておきたい。
13点を主題で分けると、花と鳥、静物、湿地の三群になる。
一見無関係だが、いずれも空気と光を扱っている。
群に分けたうえで、共通点を探す。
その順序で見ると、画家の関心が浮かんでくる。
公開画像は、そのための道具である。
主題の違う十三点を、同じ画面に並べられる。
展示では別の部屋に分かれていることが多い。
離れた作品をまとめて見る作業は、画像の側で行える。
そして、比べた結果を書き留めておきたい。
気づいたことは、時間がたつと忘れる。
短い一行でよい。次に見るときの足場になる。
記録は、あとから読む自分のために残すものである。
細かく書く必要はない。日付と、気づいた一点だけでよい。
雲を見上げる習慣は、絵の見方も変える。
湿地の絵に描かれた空が、観察の結果だと分かってくる。
見る側の経験が増えるほど、絵から読めるものも増える。










