ハチドリと、湿地——マーティン・ジョンソン・ヒード
花だけの絵もある

横長の画面である。
青いベルベットの布が敷かれ、その上に白い花が横たわっている。
マグノリアである。花弁は厚く、乳白色に淡い影が入る。
葉は濃い緑で、表面に光沢がある。裏は褐色である。
右には枯れた葉と枝が置かれている。
背景は暗く、右上だけがわずかに明るい。
布の襞に沿って、青が濃淡を作る。
つまりこれは静物画である。摘まれた花を布の上に置いている。
生きている植物ではなく、切り取られた花を描いている。
小さな絵の市場
寸法と市場の関係を、もう少し書いておきたい。
公開分の多くは縦横50センチ以下である。
19世紀後半のアメリカの住宅では、この寸法が扱いやすかった。
居間や食堂の壁に掛けられ、値段も抑えられる。
大画面の風景画は、公共の施設や富裕層の邸宅向けである。
つまり寸法は、買い手の家の大きさに合わせて決まる。
画家は市場の住宅事情を知っていたことになる。
判型と住まいの関係は別のコラムでも扱った。
花瓶の絵もある

暗い背景に、白い花瓶が置かれている。
花瓶は淡い青灰色で、金色の細い模様が入る。
そこから林檎の枝が伸び、白と桃色の花が広がる。
葉は明るい緑で、輪郭がはっきりしている。
卓の面は赤褐色。手前に落ちた花弁が一枚ある。
右下に署名がある。

こちらも花瓶の絵である。
白い磁器の花瓶に、淡い薔薇と紫の小花が生けられている。
薔薇は開いたものと蕾が混じる。
卓は大理石で、灰白色の縞が見える。
手前に小花の一房が落ちている。
左に赤褐色の垂れ布が下がる。
背景は灰緑で、平らに塗られている。
二点とも、板に描かれている。画布ではない。
板は小さな絵に向く支持体である。
板を選ぶ理由は、表面の滑らかさにもある。
画布は織り目があるため、細い線が途切れやすい。
板は目が詰まっているので、花弁の縁のような繊細な描写に向く。
静物や小品では、板が選ばれることが多い。
材料の選択が、描写の細かさを支えている。
板絵の性質については別のコラムで扱った。
同じ画家が、湿地を描く
ここから主題が変わる。

横長の大画面である。
画面の上半分は黒い雲で埋まっている。
下半分は水面で、こちらもほとんど黒い。
その境目に、細い明るい帯がある。対岸の草地である。
水面には白い帆の小舟が一艘。もう一艘は人が漕いでいる。
手前の岸には、黄色い帽子の男が座っている。犬のような形も見える。
砂と岩、白い布のような形が手前に置かれている。
色数は極端に少ない。黒、灰、砂色、そして帆の白。
嵐の直前の光を、明暗の対比だけで作っている。
制作年は1859年。この画家の初期にあたる。
同じ時期のアメリカでは、大画面の風景画が流行していた。
山、滝、荒野。国土の広さを見せる絵である。
その事情は別のコラムで扱った。
この一点は、その流行の中では異質である。
主題は小さな入り江で、劇的な地形はない。
代わりに、天気そのものを主題にしている。
これは風景画であると同時に、天気の絵である。
湿地の絵が、繰り返される

こちらは横に長い。縦30.5センチ、横67.3センチ。
縦横比は一対二を超える。極端な横長である。
画面の下半分は緑の草地で、細い水路が曲がりながら奥へ伸びる。
草地には干し草の山が置かれている。
左に大きな樹が一本。枝が右へ傾いている。
上半分は空である。桃色に染まった雲が横一列に並ぶ。
雲の下端は平らで、上端は丸い。
牛が数頭、小さく点のように描かれている。

同じ系統の一点である。
緑の湿地が広がり、干し草の山が三つ、四つ置かれている。
水路が右へ蛇行し、遠くで海に出る。
空は淡い灰白で、雲が薄く広がる。
左に樹の塊。右奥に低い丘。
人はほとんど描かれていない。牛が数頭いる。

さらに小さく、さらに横長である。
縦26.7センチ、横55.9センチ。
草地に干し草の山が二つ。水路が細く光る。
空の左半分から、灰色の雨脚が斜めに降りている。
右半分は明るく、雲の隙間から光が差す。
つまり画面の中で、雨と晴れが同時に起きている。
三点を並べると、同じ土地を繰り返し描いていることが分かる。
湿原、水路、干し草、低い空。要素はほとんど同じである。
変えているのは、光と天気と時刻である。
同じ場所を条件だけ変えて描く方法は、
別のコラムで扱った連作の考え方に近い。
ただし、この画家は連作として発表したわけではない。
売れる主題を繰り返したという面も大きいだろう。