画家を知る

夫婦を、二枚に分ける——アングルの肖像

線を、どこで引くか

アングルは、線の画家として語られることが多い。

同時代の画家との対比で語られる場合も多い。

色と動きを重んじる立場に対して、線と形を重んじる立場。

当サイトでもドラクロワの動物で、
その反対側を見た。

ただし、この対比はやや単純化されている。

アングルの絵にも色はあるし、対立とされた画家にも線はある。

分かりやすい図式は、たいてい後から作られる。

とはいえ、線への執着が強いのは確かである。

彼は大量の素描を残したことでも知られる。

肖像の注文を受けると、まず鉛筆で人物を写した。

その素描が、油彩の骨格になる。

三人目の肖像

三枚目を見てみたい。年代が少し下る。

アメデ=ダヴィッド、パストレ伯
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アメデ=ダヴィッド、パストレ伯》1823年から26年。油彩・画布。縦103センチ、横83.5センチ。シカゴ美術館蔵。ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アメデ=ダヴィッド、パストレ伯》シカゴ美術館蔵

立ち姿の男性である。全身ではなく、腿のあたりまでが入る。

黒い衣を着て、右手を腰に当てている。

左手は下に垂れ、剣の柄らしきものに触れている。

胸には勲章が下がっている。

背景は緑である。右手に厚いカーテンが垂れる。

左奥には、机と白い手袋のようなものが見える。

顔は細く、目が大きい。まっすぐこちらを見ている。

先ほどの二枚と比べると、姿勢に緊張がある。

座っている人と、立っている人の違いである。

立ち姿は、体の線が全部見える。ごまかしが利かない。

黒を、どう描くか

この三枚に共通するのは、黒の衣である。

黒は、絵具としては扱いにくい。

塗ればただの穴になり、形が消えてしまう。

そこで画家は、黒の中に差を作る。

光の当たる面をわずかに明るく、影の面をより深く。

アングルの黒は、その差がきわめて細かい。

パストレ伯の上着では、腕の丸みが黒の濃淡だけで示される。

ルブラン夫人の衣では、肩から胸への曲面が同じように描かれる。

黒一色に見えて、実は面がすべて作られている。

これができないと、黒い服の肖像は成立しない。

記録が示すこと

ここで、記録から確かめられることを挙げておく。

ルブラン夫妻の二点は、いずれも1823年の制作と記録されている。

寸法は、夫が縦121センチ、妻が縦119.4センチ。

パストレ伯の一点は1823年から26年、縦103センチ。

つまり、ほぼ同じ時期にこれらが描かれた。

この時期、アングルはイタリアに滞在していたとされる。

フランスを離れ、フィレンツェで仕事をしていた期間である。

ルブラン家もフィレンツェに縁があったと説明される。

異国で暮らすフランス人が、同国人の画家に肖像を頼む。

そういう関係が背景にあった可能性がある。

ただし、当方は個々の注文の経緯までは確認していない。

肖像画という仕事

アングル自身は、肖像画を本業と考えていなかったと伝えられる。

彼が望んだのは、歴史画や宗教画だった。

大きな主題を大きな画面で描くことが、当時の画家の頂点とされた。

肖像は、収入のための仕事という位置づけである。

その本業でないはずの仕事が、いま最も高く評価されている。

これは美術史でしばしば起きることだ。

本人が力を注いだ分野より、副業のほうが残る。

当サイトでも
ドーミエの油彩で似た話を書いた。

評価の順序は、本人の意図とずれることがある。

素描という下ごしらえ

肖像の素描について、もう少し書いておきたい。

アングルが残した鉛筆の肖像素描は、数百点にのぼると言われる。

多くは旅行者や在留外国人を描いたもので、短時間で仕上げられている。

顔は細かく描き込み、体と衣服は線だけで示す。そういう描き分けが多い。

つまり最初から、どこに手をかけるかが決まっている。

この方針は、油彩の肖像にもそのまま持ち込まれている。

顔と手は徹底的に仕上げ、背景は簡素に済ませる。

ルブラン夫妻の二枚でも、背景には何も描かれていない。

褐色や暗い灰色が、ただ広がっているだけである。

例外は織物と装飾品だ。ここには顔と同じだけの手数が入る。

顔、手、布、宝飾。この四つが仕上げの対象である。

残りは、その四つを引き立てるために抑えられている。

見る順序が決まっている

その結果、絵を見る順序が自然に決まる。

まず明るい顔に目が行き、次に金の鎖の輝きへ移る。

そこから腕をたどって、下半分の織物に降りる。

最後に、暗い背景の中で人物の輪郭を確かめる。

この順序は、画家が仕組んだものだろう。

明るさと細かさの配分が、視線の道筋を作っている。

物が少ない画面ほど、この設計はよく効く。

背景に余計なものを置かないのは、そのためでもあるはずだ。

肖像画は、顔を見せる装置である。

装置としての効率を、この画家は徹底して上げている。

立ち姿と、剣の柄

パストレ伯の絵に戻って、細部を確かめておきたい。

左手が触れている剣の柄は、画面の中でごく小さく描かれている。

胸の勲章も、金の小さな点として置かれているだけである。

それでも、この二つがあることで人物の立場が伝わる。

軍務か公職に関わる人物である、と見る人は察する。

肖像画の小道具は、多く語らないほうが効く場合がある。

説明しすぎれば、絵が図解になってしまう。

背景の緑のカーテンも、同じ役割を果たしている。

厚い布が垂れているだけで、室内の格式が上がる。

宮廷の肖像画が長く使ってきた道具立てである。

アングルはそれを、必要最小限の量で使っている。

余計なものを置かないという方針は、ここでも変わらない。