画家を知る

分数が、三十二分の一まで——ヘンリー・インマン

象牙から、紙へ

この一点の年は1840年から1842年である。

九点の中で、最も新しい。

そして、下地が象牙から紙に変わっている。

十九世紀の半ばには、写真が広まり始める。

小さな肖像を持ち歩く需要は、そちらへ移っていく。

象牙の細密画が減っていく時期にあたる。

もっとも、この一点だけでそう言い切ることはできない。

線で描く

この一点は、他の八点と見え方が違う。

面を塗るというより、細い線を重ねて作られている。

横顔で、髪をまとめ、肩から先は線が薄くなる。

輪郭の一部は、描き切られていない。

未完成なのか、そういう仕上げなのか。

記録には、水彩とだけ書かれている。

若い漁師
ヘンリー・インマン《若い漁師》1829年ごろ。板に油彩。館の記録では、縦33.7センチ、横24.4センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・インマン《若い漁師》メトロポリタン美術館蔵

大きくなった画面

厚紙の一点は、象牙の五点より二倍以上大きい。

同じ水彩でも、画面が大きくなれば描き方が変わる。

細い筆で点を重ねる必要はなくなる。

面で塗り、線で締める描き方ができる。

この一点が線で描かれているのは、そのためかもしれない。

板という下地

いま見た一点の下地は、板である。

縦33.7センチ、横24.4センチ。

象牙の五点より、はるかに大きい。

しかし、カンヴァスの二点よりは小さい。

板は、大きくすると反る。

そのため、板に描く絵は小さめになる。

屋外の光

この一点では、背景に空と水面が広がる。

日の暮れかかった時刻らしく、水平線の近くだけが明るい。

少年の白い上着が、その光を受けている。

肖像の暈した背景とは、まったく違う作りである。

同じ画家が、こうした絵も描いている。

肖像でない一点

この一点だけ、肖像ではない。

少年が、釣り竿を持って歩いている。

背後には、暗い木立と水面が広がる。

題も、人の名ではなく、種類の名である。

九点の中で、注文の肖像でないのはこの一点だけだろう。

ヘンリー・G・ステビンズ
ヘンリー・インマン《ヘンリー・G・ステビンズ》1838年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦76.2センチ、横61センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・インマン《ヘンリー・G・ステビンズ》メトロポリタン美術館蔵

板の反り

板は、湿気を吸って反る。

大きな板ほど、その動きは大きい。

反りを抑えるには、板を薄く削り、裏に桟を入れる。

手間がかかるので、大きな絵には向かない。

十九世紀のアメリカで、板に描く絵が小さいのは、この事情による。

整数の寸法

いま見た一点の寸法は、縦76.2センチ、横61センチ。

もとの単位では、三十かける二十四である。

分数がない。

既製の木枠の寸法だろう。

この寸法は、当時の肖像でよく使われた。

胸から上を描くのに、ちょうどよい大きさである。

1838年という年

この一点の年は1838年である。

範囲でも、ころ、でもない。

一つの年に決まっている。

九点のうち、そう書かれるのはこの一点だけである。

描かれた楕円

この一点では、画面の四隅が塗り分けられている。

楕円の内側が肖像で、外側は褐色に塗られている。

つまり、楕円の枠を絵具で描いている。

実際の枠ではない。

象牙の細密画では、枠が楕円だった。

カンヴァスでは、それを絵具で真似ている。

ウィルクス家の紳士
ヘンリー・インマン《ウィルクス家の紳士》1838年から1840年ごろ。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦30.5センチ、横25.4センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・インマン《ウィルクス家の紳士》メトロポリタン美術館蔵

赤い椅子

この一点の下のほうには、赤い布が見える。

椅子の背か、腰掛けの張り布だろう。

黒い上着と、白い襟と、赤い椅子。

三つの色で、画面が組み立てられている。

背景は褐色に暈され、形のあるものは描かれない。

もう一つの整数

いま見た一点も、整数の寸法である。

十二かける十。

先の一点より、ずっと小さい。

同じカンヴァスでも、既製の木枠には何段階かある。

小さいほうを選べば、値段も安くなる。

暗い背景

この一点の背景は、九点で最も暗い。

人物の左に柱のようなものが立ち、右は闇に沈む。

顔と襟だけが明るい。

暗い背景は、顔を浮かび上がらせる。

十九世紀の肖像で、よく使われた方法である。

家名だけの題

この一点の題には、家の名が入る。

しかし、その家の誰かは書かれていない。

ある家の紳士、という呼び方である。

家は分かっているが、個人は分からない。

先に見た三点は、家すら分からない。

名の残り方に、段階がある。

二十年の幅

九点の年は、1820年ごろから1842年まで散る。

前半は象牙、後半はカンヴァスと厚紙である。

きれいに分かれているわけではないが、傾向は見える。

小さな細密画から、大きな肖像へ。

一人の画家の仕事が、そのように移っていったことになる。

下地が、すべてを決める

九点をまとめて見ると、下地が多くを決めていると分かる。

象牙なら、小さくなり、寸法に端数が出る。

カンヴァスなら、大きくなり、寸法が整数になる。

板と厚紙は、その中間にある。

技法も、下地に合わせて変わる。

象牙には水彩、カンヴァスには油彩。

寸法の欄から、下地を読む

だから、寸法の欄を見るだけで、下地の見当がつく。

細かい分数が並んでいれば、削り出した下地。

整数が並んでいれば、既製の下地。

九点は、その二つがきれいに分かれている。

数字の書き方は、物の作られ方を映している。

象牙の細密画については、縦八センチの象牙に、顔を置く——エドワード・グリーン・マルボーンでも扱った。

同じ画家の大小の肖像については、76センチと8センチ——ヘンリー・インマンの肖像を参照されたい。

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