独学の肖像画——アミ・フィリップスと巡回画家
母と子を、対の色で描く

こちらは二人の像である。
右に母親が座っている。黒い服に、白いレースの帽子と大きなリボン。
左に幼い子が立つ。赤い服で、首に珊珠の首飾りを二重に巻いている。
母の腕が子の腰に回され、子は右手に小さな緑の葉を持っている。
背景は暗い褐色。床は赤い帯として示されている。
色の配分を見てほしい。
黒、白、赤。この三色で画面が構成されている。
母の黒と子の赤が並び、その上に白いレースが置かれる。
色数を絞って強い対比を作る方法である。
これは巡回画家の肖像に共通する特徴と言える。
もう一点、母子の姿勢も型である。
母が座り、子が横に立つ。母の手が子に触れる。
この構成は、都市の肖像画にも、後の写真館の写真にもある。
家族の関係を一目で示すための型である。
そして子どもの服が赤いのは、画面の中で目を引かせるためだろう。
黒い服の母の隣に赤を置けば、視線が子へ動く。
主題の順序が、色で決められている。
手と本は、型で描かれる
小道具にも決まりがある。

男性が卓の前に座っている。
黒い上着に白い胴着。黒い蝶ネクタイを結んでいる。
右手を卓の縁に置き、指を伸ばしている。
卓の上には開いた本がある。五線譜と歌詞が描き込まれている。
賛美歌の楽譜だろう。
背景の左には赤い垂れ布。その隙間から風景が覗く。
湖と岩、樹と空。絵の中の絵のように、四角く切り取られている。
つまり背景は現実の部屋ではない。装飾の組み合わせである。
本や楽譜は、教養と信仰を示す小道具である。
肖像に持ち物を添える方法は、都市の肖像画と同じである。
型は共有されていた。学ぶ場所がなくても、型は伝わる。
背景の風景にも注目したい。
垂れ布の隙間から見える湖と岩は、実際の景色ではないだろう。
版画で流通していた風景の型を借りたものと考えられる。
つまり画家は、風景の在庫を持っていた。
注文主の希望に応じて、背景に湖や庭を入れる。
現代の写真館の背景幕と、機能が同じである。
白黒の記録しかない作品もある

こちらは白黒の記録写真である。
男性が椅子に座り、右手を本の上に置いている。
黒い上着、白い襟布。髪は額の上で切りそろえられている。
顔は正面を向き、目は正面を見ている。
色が分からないため、服の生地や背景の色は判断できない。
寸法は97.3×82.6センチ。先の作品より一段大きい。
制作は1818年。この画家の初期にあたる。
この画家は五十年以上にわたって仕事を続けた。
初期と後期では、描き方が変わっている。
初期は輪郭が細く、肌の色が淡い。
1830年代の作品では、黒い面が大きくなり、対比が強くなる。
流行の服が変わったことも影響しているだろう。
つまり様式の変化は、注文主の服の変化とも連動している。

こちらも白黒である。
年配の男性が椅子に座り、右手を椅子の腕に置いている。
黒い上着に白い襟布。髪は薄く、額が広い。
背景は暗く、平らに見える。
画像の質が違うだけで、読める情報が大きく変わる。
公開画像の条件については別のコラムで扱った。
襟が、主役になる
もう一人の画家を見たい。

女性が椅子に座っている。
黒い服の上に、水色がかった大きな襟が広がっている。
襟は肩を覆い、胸の前まで届く。縁には細かい穴の模様がある。
さらに首元に、白いレースの襞飾りが重ねられている。
髪は左右で巻き上げられ、頭頂に櫛が挿してある。
左手に赤い装丁の本を持っている。
背景は灰色から褐色へ変わり、右に椅子の背が見える。
画面の面積を見ると、襟が顔よりも広い。
つまり主役は襟である。
新しい流行の襟を持っていることが、肖像の目的の一部になっている。
額と絵は、同じ町で作られた
額についても書いておきたい。
全身像には、額込みの寸法が記録されている。
つまり当時の額が残っている。
地方の肖像画では、額を地元の指物師が作ることが多かった。
木を削り、塗り、金泥を置く。専門の職人がいなくても作れる仕事である。
だから額の意匠には地域差が出る。
絵と額を並べて見ると、その土地の技術が読める。
額を作品の一部として見る視点は、こうした例でとくに有効である。
全身像もある

縦149センチの縦長の画面である。
少女が立っている。白い服で、袖が膨らみ、裾が足元まで届く。
胸元に金の鎖を下げ、右手に赤い装丁の本を持つ。
髪は中央で分け、両側で編んでいる。
足元には赤い靴。床には模様のある敷物が描かれている。
背景は灰色で、上方が明るい。
全身像は、肖像の等級としては上位にあたる。
寸法も大きく、値段も高い。
つまりこの家は、上等な注文をしたことになる。
床の敷物の模様が丁寧に描かれているのも、財を示す要素だろう。
額込みの寸法が記録されていることにも注目したい。
縦161.3センチ、横90.5センチ。奥行は7.6センチである。
つまり額が現存しており、寸法が測られている。
巡回画家の絵は、額まで一緒に注文されることが多かった。
地元の指物師が枠を作り、画家が絵を納める。
絵と額が同じ町で作られていたことになる。
額と絵の関係については別のコラムで扱った。