ジャン=フランソワ・ミレーの代表作と特徴——《落穂拾い》は何を拾う絵なのか
ジャン=フランソワ・ミレーの代表作と特徴を、公開中のCC0作品5点から読む。《落穂拾い》はミレー自身が銅版で作った版画で確かめ、晩年の秋の風景、初期の油彩、パステルの素描まで並べて、人物が小さく描かれる理由をたどる。

ジャン=フランソワ・ミレーの代表作
ジャン=フランソワ・ミレーの名でまず挙がるのは、《落穂拾い》と《晩鐘》である。
どちらもパリのオルセー美術館にあり、当サイトでは図版を出せない。
ただし《落穂拾い》には、ミレー自身が銅版で作った同じ主題の版画がある。こちらはクリーヴランド美術館が公開しており、当サイトでも見られる。

この版画を含め、当サイトが公開しているミレーは24点ある。
油彩・素描・版画が混ざり、20代の作から晩年の風景までにまたがる。以下では、そのうちの5点で代表作と特徴をたどる。
《落穂拾い》は何を拾う絵なのか
刈り取りの終わった畑で、3人の女が腰を折り、地面に残った麦の穂を拾っている。
これが落穂拾いである。刈り入れのあとに落ちた穂を拾うことが、土地を持たない者に許されていた。
右の女だけが腰をやや起こし、拾った穂の束を脇に抱える。左と中央の2人は、顔が見えないほど深く折れている。
3人とも頭巾をかぶり、前掛けをつけている。顔立ちは描き分けられず、姿勢だけが違う。
画面の奥は明るい。積み上げた麦の山、荷を満載した馬車、群れて働く人の列が、細い線で小さく描かれる。
空には鳥が散る。手前の3人と、奥で収穫を運ぶ列は、同じ畑にいながら別の仕事をしている。
つまりこの絵は、豊かな収穫と、その残りを拾う人とを、1枚の中に並べている。
エッチングに色は無い。明るさは紙の白をそのまま残して作られ、影は線の密度だけで濃くなる。
腰の丸みや地面のうねりも、線の向きと間隔で表される。館の記録では、この版の制作は1855年から56年ごろとされる。
オルセー美術館の油彩は1857年の作である。記録の年で並べれば、この版画のほうが先にあたる。
同じ画面をどう運ぶかを、色のある画布と色の無い銅版の両方で考えていたことになる。
ミレーの特徴は何か

ミレーの絵では、人物が小さい。
この秋の風景でも、左に立つ人の背丈は、中央の裸木の何分の一かしかない。
顔は描かれていない。誰であるかより、そこで何をしているかが残る。
地平線は低い位置ではなく、画面の半ばに置かれる。空と地面がほぼ同じ面積を持つ。
色は茶と灰と緑に寄る。鮮やかな色は、七面鳥の頭の赤い点くらいしかない。
輪郭線は使われない。形は明るさの差だけで地面から浮かび上がる。
天気が画面を支配することも多い。ここでは重い雲が低く垂れ、地面の色がその灰色を受けている。
画面の右には、積まれた柴と荷車がある。人と鳥と道具が、同じ大きさの感覚で並べられている。
初期のミレーは何を描いていたのか

農民の画家として知られる前、ミレーは裸婦も描いていた。
この小さな板は、草むらの中で水に身を浸す女を描く。縦18.5センチ、横24.1センチしかない。
肌は薄い桃色で、周囲の緑から強く分かれる。のちの農民画の抑えた色とは方向が違う。
草の葉は一筆ずつ立てられ、水面は暗い茶で平らに置かれる。筆の速さがそのまま残る描き方である。
右奥には白い布が投げ出され、細い棒が斜めに立つ。脱いだ衣と釣り竿にあたると見られる。
人物は水辺にしゃがみ、視線を落とす。顔は小さく、表情はほとんど作られていない。

ほぼ同じころ、こちらでは女と子どもが嵐から逃げている。
女は白い頭巾をかぶり、青い布で束ねた荷を抱え、もう一方の手で子どもを引く。
背後の空は黒く、地面との境がほとんど消えている。人物の輪郭だけが、その闇から白く抜ける。
画面の左下に署名が読める。館の記録では、制作は1846年ごろとされる。
同じ数年のあいだに、裸婦と農民という2つの方向が並んでいたことになる。
ミレーの作品はどこで見られるか

代表作の多くはオルセー美術館にある。一方で、素描と版画とパステルは各地に分かれて残る。
この《最初の一歩》は、柵で囲われた菜園で、父が膝をつき、両手を広げて子を待つ場面である。
母は腰をかがめて子の脇を支え、左には土を積んだ手押し車と鍬が置かれる。
館の解説では、ミレーは1860年代に黒チョークの素描へパステルを加えるようになったとされる。色を足して売りやすくするためだったという。
農作業の道具と家族が同じ画面に入る点は、油彩の農民画と変わらない。
子の服だけが淡い桃色で、画面の中でひとつだけ明るい。ほかは黒チョークの灰と、下地の紙の色で作られている。
当サイトのミレー24点の内訳は、版画が12点、素描が5点、油彩が7点である。
油彩は数こそ少ないが、1840年の肖像から1872年の風景までが入る。画業のほぼ全体に届く。
版画と素描がこれだけ残るのは、館が紙の作品をまとめて収めているからでもある。
なお、日本語ではミレーとミレイが混同されやすい。《オフィーリア》を描いたのは英国のミレイで、別の画家である。
ミレーが印象派より前の世代であることは、印象派の前の記事で扱っている。
印象派そのものの定義は印象派とは何かの記事にまとめてある。


