顔を見たことのない人を描く——狩野派の歌仙絵
下絵が、残っている
型の仕組みを示す一点がある。

縦長の水墨画である。画面の右上に、切り立った岩壁が伸びる。
その手前に松が数本。枝が左へ張り出す。
下部に人物が三人。長い衣の男が立ち、脇に従者らしき人物がいる。
岩に向かって手を合わせているようにも見える。中国の文人が石に詩を書く故事を主題としている。
右側に、細い文字が縦に並ぶ。賛と、年記である。
絹に描くということ
支持体にも触れておきたい。色紙も掛軸も、絹に描かれている。
絹は目が細かく、絵具がよく乗る。一方、紙より傷みやすい。
経年で黄変し、糸が緩む。破れれば、繊維に沿って裂けが広がる。
だから絹の絵には、補修の跡が残りやすい。材料の性質が、残り方を決めている。
一方、探幽の下絵は紙に描かれている。下絵には安価な材料が使われた、と考えるのが自然である。
下絵は、何のためか
題名にある通り、これは完成作ではない。より大きな絵を描くための下絵である。
構図を決め、注文主に見せ、承認を得る。その段階の絵だと考えられる。
つまり、制作の途中の記録がそのまま残っている。完成作は、別の場所にあったはずである。
下絵が残ることの意味は、
別のコラムでも扱った。
日本の絵でも、西洋の絵でも、準備の段階の絵は別に扱われてきた。
三つの寸法が並んでいる
寸法欄を見てほしい。三つの数字が並んでいる。
画面が84.1×41.3センチ。表装を含めて92.7×47.9センチ。額を含めて95.9×50.5センチ。
つまりこの絵は、掛軸として表装され、その掛軸が板に貼られ、さらに額に入っている。
三重の容れ物である。所蔵館の記録も、その順序で寸法を書き分けている。
装いが変えられた証拠が、寸法欄に残っている。
なぜ額に入れられたのか
改装の理由も考えたい。掛軸は、掛けたり巻いたりして扱う。
しかし巻けば、紙は折れ、絵具は割れる。傷んだ作品では、巻くことが危険になる。
板に貼って額に入れれば、巻く必要がなくなる。保存のための改装だと考えられる。
ただし、所蔵館の記録に理由は書かれていない。だから、これは推測である。
三幅対という形式
探幽の作品には、組物が多い。

細長い掛軸である。縦113センチ、横39.4センチ。
水墨で描かれた冬の山である。上部に白い峰が霞み、中景に雪をかぶった岩が立つ。
手前に枯れた枝が数本、横に伸びる。色はほとんど使われていない。
所蔵館の記録は「三幅からなる組の一幅」と書いている。つまり、あと二幅がどこかにある。
夏の一幅と並べる
同じ組の、別の一幅を見たい。

寸法は冬の一幅と同じである。縦113センチ、横39.4センチ。
こちらは岩が黒く、松の葉が濃い。中央に滝が細く落ちる。
墨の濃さが、冬の一幅より強い。夏の湿った空気を、墨の量で示している。
三幅対では、中央と左右で主題を分けるのが普通である。四季を割り当てる形式も多い。
つまり、二幅を並べて初めて、対比が意味を持つ。
組が揃わないと、読めない
組物の弱点にも触れたい。三幅のうち一幅だけを見ても、季節の対比は分からない。
冬の絵は、ただ寒々しい山水に見える。夏の絵は、ただ暗い山水に見える。
対比が主題である以上、揃っていることが読解の条件になる。
続き物や図譜でも、同じ問題が起きる。組が崩れる事情は、
別のコラムで扱った。
人物の掛軸もある
別の組物も見ておきたい。

老人が正面を向いて座る。白い衣を着て、長い髭が胸まで垂れる。
手に草らしきものを持つ。神農は、農耕と医薬の祖とされる中国の伝説上の人物である。
背景は何も描かれていない。絹の地がそのまま余白になる。
右に細い文字が縦に並ぶ。年記と署名である。
ここでも、画家は本人を見ていない。伝説の人物を、型で描いている。
年記が、三つ並ぶ
制作年も確かめておきたい。三幅対の山水が1662年、神農像が1665年、下絵が1666年である。
つまり公開分の探幽の作は、四年ほどの範囲に集まっている。探幽の晩年にあたる時期である。
同じ時期に、水墨の山水、人物、下絵が並んでいる。主題ごとに手法を使い分けていたことが分かる。
年記のある作品は、こうした比較の基準になる。年が分かる一点は、年の分からない作品の物差しになる。
屏風という大画面
最後に、大きな一点を見たい。

六曲の屏風である。縦177.8センチ、横395センチ。人の背丈を超える高さで、幅は約4メートル。
金地の上に、六つの縦長の画面が並んでいる。それぞれが額のように区切られている。
各画面には、鳥と草花が水墨で描かれる。枝、鶴のような鳥、小さな花。
上下には緑の帯と、朱と金の文様の帯が走る。
つまり、この屏風は一続きの絵ではない。六つの絵を並べて貼った構成である。