波と雨を、線で描く——歌川国芳
三点をどう並べるか
連作の読み方にも触れておきたい。この三点は、いずれも自然や超常の力を扱っている。
海を鎮める、雨を降らせる、岩を浮かせる。人ではなく、環境が動く場面である。
伝記の中でも、絵にしやすい場面が選ばれている。会話や思索の場面は、版画では扱いにくい。
つまり連作の構成は、絵にできるかどうかで決まっている。物語の重要度とは、必ずしも一致しない。
竜が、波の中にいる
続き物も見ておきたい。

三枚を横に並べた画面である。全体では横75センチほどになる。
画面の大半が波である。白い渦が幾重にも重なり、上下に激しく動く。
中央から左にかけて、緑の竜が身をくねらせる。背に鰭が並び、口を開いている。
波の中に、人が十数人。武具を着けた者、裸の者、女性の姿もある。
物語では、海に沈んだ玉を取り返す場面である。人と竜が同じ渦の中にいる。
波の描き方が、変わっている
先の一点と比べたい。1835年の波は、大きな塊として盛り上がっていた。
1853年のこの波は、細かい渦の集合である。線の数がはるかに多い。
十八年のあいだに、描き方が変わっている。彫りの細かさも増している。
技術と好みの両方が動いたと考えられる。ただし、どちらが先かは決めにくい。
波と人が、同じ扱いになる
構図をもう一度見たい。この画面では、人と波の区別が付きにくい。
人物の衣が波の白と混ざり、輪郭が溶けている。渦の線と、身体の線が同じ太さである。
つまり人が背景に飲み込まれている。物語の内容と、画面の作りが一致している。
主役を目立たせない構図は、珍しい選択である。ここでは混乱そのものが主題になっている。
化け猫が、背景に透ける
怪異の主題も見ておきたい。

二枚を並べた画面である。背景に、巨大な猫の顔が薄く浮かぶ。
目が二つ、鼻と口。輪郭は淡い墨の線だけで描かれる。
その手前に、三人の人物がいる。左に若い男が座り、扇を持つ。
右に女性が二人。一人は白い衣、もう一人は老女の顔で、頭に布を被る。
老女の衣には、猫の毛のような細かい模様が入る。正体を暗示する仕掛けである。
透ける表現は、どう作るのか
背景の猫は、薄い墨だけで摺られている。人物の線より明らかに淡い。
版木を分け、摺る回数と絵具の量を変えることで、この差を作る。
つまり「透けて見える」ことも、工程で作られた効果である。
見えるはずのないものを画面に出すとき、この濃度差が使われる。
肖像の一点
人物を主題にした一点も見ておきたい。

大判の縦画面である。男が半身で描かれる。
黒い頭巾を被り、額に白い鉢巻。目は右を向き、口を結ぶ。
黒地に白の山形模様の衣を着る。腰に刀を二本差す。
右手に赤い提灯を持つ。提灯には草花の模様がある。
右上に赤い枠。中に題と、細かい説明の文字が入る。
忠臣蔵という主題
題名の人物は、赤穂の義士の一人とされる。物語として広く知られていた。
芝居でも繰り返し上演され、版画の主題にもなった。つまり実在の人物であり、同時に物語の登場人物でもある。
版画では、名前を少し変えて出すことがあった。幕府の統制を避けるための工夫だとされる。
この一点の名も、実在の人物名とは字が違う。記録は、その事情までは書いていない。
怪異は、いつ流行したのか
主題の流行にも触れておきたい。19世紀半ばには、怪談の芝居が数多く上演された。
版画も、その流れの中で作られている。つまり舞台と出版が連動していた。
同じ物語が、芝居と版画と読み物で繰り返し扱われる。媒体をまたいで広がる仕組みである。
現代の作品の広がり方と、構造は似ている。
夜の雪を、どう見せるか
自然現象に戻りたい。

夜の場面である。空は上端が濃い灰色で、下へ行くほど薄くなる。
その空に、白い点が散る。降る雪である。
画面の下半分は白い。積もった雪が、地面と屋根を覆う。
中央左に人物が一人。赤い衣を着て、笠を被り、背を丸めて歩く。
右下に家並みが小さく並ぶ。屋根の白さで、雪の厚みが分かる。
暗い空と白い地面。上下の明暗が逆になっている。
白は、塗らずに作る
この画面で、雪は塗られていない。紙の色をそのまま残している。
白を塗らずに作る方法は、多色摺の基本である。その仕組みは
別のコラムで扱った。
一方、空は色版で摺られている。上端を濃く、下端を薄くする。
この濃淡の摺りをぼかしと呼ぶ。摺師が絵具の量を手で調整して作る。
つまり、同じ版木でも摺る人の腕で仕上がりが変わる。
画像に、濃度標が写っている
公開画像そのものにも触れておきたい。この一点の画像には、下部に灰色の階調表が写り込んでいる。
撮影のための濃度標である。他の作品の画像には写っていない。
つまり撮影の条件は、作品ごとに違う。色を比べるときは、この前提が要る。
画像の差は作品の差ではないという点は、
別のコラムでも扱った。