美術史・技法

幅13センチの絵——奥村政信と紙の判型

問い——紙の形は、絵の中身をどう変えるのか

ここから本稿の問いに入りたい。

同じ絵師が、横長の紙にも、細長い紙にも、絹にも描いている。

形が変わると、何が変わるのか。

姿勢、人数、視線の動き、そして絵の値段である。

以下、判型ごとに見ていきたい。

先に結論を書いておく。

判型は、絵の内容を選ぶ。何人描けるか、どんな姿勢が入るか、文字を置けるか。

そして、どこに飾られ、いくらで売られるかまで決めている。

横長の紙は、場面を語る

まず横長である。

紫式部の見立て
奥村政信《紫式部の見立て》1710年ごろ。木版摺(墨摺絵)、紙に墨。縦26.4センチ、横35.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。奥村政信《紫式部の見立て》メトロポリタン美術館蔵

墨一色の版画である。色は無い。

右手前に女性が座り、脇息にもたれて本を開いている。

顔は上を向き、口が半分開いている。何かを思い出している表情である。

膝の前に低い机。書物と硯箱が置かれている。

背後は障子と欄間。左に丸い香炉と、置かれた冊子。

左端に縦書きの文字と、二つの印がある。

主題は物語の作者を思わせる図である。机に向かう女性という設定を借りている。

古典の人物を当世の姿に置き換える趣向は、この時代の版画によく見られる。

横長の紙は、こうした設定を示すのに向いている。

人物のまわりに、机、書物、障子、香炉と、物を並べられるからだ。

物が場面を説明する。だから横長は「状況の絵」になる。

見立てという趣向も、少し説明しておきたい。

古典の人物や場面を、当世の姿に置き換えて描く遊びである。

見る側は、元の話を知っていることが前提になる。

読者に教養を要求する絵であり、同時にそれを笑いに変える絵でもある。

高い教養の対象を町の姿にすることで、権威を軽くする効果もあった。

墨一色の紙にこの趣向が乗っていることは、覚えておきたい。

安い商品が、必ずしも単純な内容ではなかったということである。

この一枚の署名も見ておきたい。

左端に縦書きで名が入り、その下に二つの印が並ぶ。

一つは絵師の印、もう一つは版元の印と考えられる。

自分の店で出した絵だから、両方が同じ人を指している可能性もある。

断定できる資料は確認していないが、署名の位置と大きさは主張の強さを示している。

絵の中に商標を置く発想は、この時代からあった。

四人の女
奥村政信《四人の女》1705〜1707年ごろ。木版摺、紙に墨と色。縦25.4センチ、横36.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。奥村政信《四人の女》メトロポリタン美術館蔵

こちらも横長である。

女性が四人、床に座っている。手前に膳と器、扇が散らばる。

四人の視線はそれぞれ別の方向を向いている。

着物の模様は線で細かく描かれ、一部に淡い彩色がある。

輪郭線が太く、面が広い。初期の版画に共通する作りである。

人物が四人入るのは、横長だからである。

同じ人数を細長い紙に入れれば、体が重なって顔が隠れてしまう。

判型は、登場人数の上限を決めている。

さらに言えば、視線の動きも決まる。

横長では、目は左右に往復する。人物の顔を順に追う読み方になる。

縦長では、目は上下に移動する。顔から裾へ、一方向に流れる。

同じ人物を描いても、読まれ方が変わる。

判型は容器であり、同時に読む順序の指示書でもある。

紙の縦横比を測ってみると、この二枚は約一対一・四である。

先の柱絵は約五・五対一。細判は約二対一。

比率の違いが、そのまま構図の違いになっている。

縦長の紙は、一人を立たせる

次に縦長である。

武蔵の月
奥村政信《武蔵の月》1740年ごろ。三枚続の中央の一枚。木版摺、紙に墨と丹絵の彩色。縦31.8センチ、横15.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。奥村政信《武蔵の月》メトロポリタン美術館蔵

縦31.8センチ、横15.6センチ。細判と呼ばれる判型である。

女性が一人、立っている。

体は緩く前に傾き、顔は左下を向く。

橙色の上衣に、扇と草花の模様。裾が足元で渦を巻く。

右上に題と落款の枠がある。左下に署名と印。

所蔵館の記録は、この彩色を「丹絵」と書いている。

丹は鉛を含む橙色の顔料で、筆で塗られた。

もう一つ、記録に重要な一文がある。これは三枚続の中央の一枚だという。

つまり左右にもう二枚あり、三枚並べて一つの画面になる。

細長い紙を並べて大きな画面を作る方法は、後の世代でさらに使われた。

群像を横に並べる工夫は別のコラムで扱っている。

馬上の武者を演じる役者・中村富十郎
奥村政信《馬上の武者を演じる役者・中村富十郎》1740年。木版摺(漆絵)。縦32.7センチ、横15.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。奥村政信《馬上の武者を演じる役者・中村富十郎》メトロポリタン美術館蔵

同じ細判の、別の一枚である。

黒い馬に、鎧を着けた武者が乗っている。

兜には長い飾りが付き、背に矢を負う。手綱を強く引いている。

上部に松の枝と、金色の粉を撒いた雲。

下端に文字の並ぶ枠がある。役者の名と、絵師の名が入る。

所蔵館の記録は技法を「漆絵」と書いている。

墨に膠を加えて艶を出す方法で、漆のように光る。

鎧や馬具の黒が、他の黒より深く見えるのはそのためである。

摺りは墨だけ。艶と金の粉は、あとから加えられている。

ここまでの三枚で、技法の呼び名が三つ出てきた。

墨摺絵、丹絵、漆絵である。

いずれも摺りは墨で、色や艶は手作業で足されている。

なぜ摺らなかったのか。色板を正確に重ねる仕組みが、まだ無かったからである。

紙を同じ位置に置くための刻み目が広まるのは、後の時代になる。

その技術が入って初めて、多色摺の錦絵が成立した。

錦絵の成立については別のコラムで扱った。

つまりこの三十年ほどの版画は、色を摺れない時代の工夫の集まりである。