面は、覆いである——明珍宗介・小川破笠・デューイングほか九点

館の記録は、ごく短い。
作者と題と年と材料と寸法だけである。
説明の文はない。
作者は、医師である。
流刑地で、ある人物の最期に立ち会った。
そして、死後の顔から型を取った。
石膏で写し、のちに青銅に移された。
つまり、これは彫刻ではない。
顔そのものの写しである。
前の七点の面は、作られた顔だった。
怒りの顔、鬼の顔、無表情の白い顔。
この一点だけが、実際にあった顔である。
そして、かぶることはできない。
裏は、顔の凹型になっている。
型として作られたからである。
かぶる面と、写し取る面。
同じ語が、正反対の二つを指している。
そして、どちらも顔から離れた物である。
かぶる面は、顔の前に置かれる。
型の面は、顔のあったところに残る。
顔そのものは、どちらにもない。
釉を、覆い隠す
磁器の壺である。
高さ39センチ。
直径28.5センチ。
大きい。
胴は、肩で大きく張る。
そこから、下へすぼまる。
口は、小さい。
地は、象牙色である。
つやは、やわらかい。
胴の面に、文様が浮く。
盛り上がっている。
桜の花が、無数に散る。
花弁は、白い。
枝が、曲がりながら走る。
その間に、鳥が二羽いる。
雉である。
尾が、長い。
目のところに、黄色の点がある。
花のまわりに、淡い桃色がぼかされる。

館の説明は、この作り方を書いている。
素地の表面に土を盛り、型と彫りで形を作った。
いつもの白い土ではなく、象牙色の土を使っている。
そのうえで、複雑な文様のまわりに桃色をぼかした。
そして、こう書かれている。
無数の桜の花を、正確に覆い隠すのは骨の折れる仕事だったに違いない。
覆い隠す、という語が使われている。
英語では、面と同じ語である。
色を付けたくない部分を、覆っておく。
それから、まわりに色を吹く。
覆いを取れば、そこだけ白く残る。
つまり、面は動詞にもなる。
顔を覆うことから、物を覆うことへ広がった。
九点の最後に、これを置いた理由である。
覆って、その下を守る。
守り終えたら、覆いを外す。
外したあとに残るのは、覆われていた部分である。
桜の白は、何もしなかった場所である。
何もしないために、手をかける。
館は、この壺の大きさにも触れる。
高さ39センチは、この作者としては異例に大きい。
底に、大日本清風造と署名がある。
人に見せるために作られたのだろう、という。
面の働きは、そこに尽きている。
数えてみると
九点を数え直す。
かぶれる面が、二点である。
総面と、頬当。
どちらも、鉄の甲冑の部品である。
かぶれない面が、五点。
紙を貼った能面の絵、舞踏会の二点、手に持つ白い面、額の中の彫り。
顔の写しが、一点。
覆う動作が、一点。
かぶれる二点は、どちらも同じ一族の作である。
そして、どちらも表情が作られている。
怒りと、笑いに近い口元。
素顔とは違う顔が、鉄で作られている。
かぶれない五点では、面は小道具である。
舞踏会の面は、目のまわりだけを覆う。
手に持つ面は、使われていない。
額の中の面は、建物の飾りである。
四点とも、顔を覆っていない。
覆っていないのに、面と呼ばれる。
呼ばれる理由は、形である。
顔の形をしていれば、面である。
言えることと、言えないこと
言えるのは、面が覆いだということである。
顔を覆えば、素顔が消える。
素顔が消えれば、別の何かになれる。
鬼にも、他人にも、無名の一人にもなれる。
そして、覆う面積は関係がない。
目のまわりだけでも、顔を覆ったことになる。
約束さえあれば、小さな面で足りる。
そして、覆うのは顔だけではない。
九点の最後では、釉薬を覆っていた。
覆われた場所は、色が付かずに残る。
顔も、同じである。
覆われた場所には、何も起きない。
言えないことも、いくつかある。
まず、面の絵と面そのものは違う。
九点のうち、実物は四点である。
そのうち、かぶれるのは二点だけだった。
残りの五点は、絵の中の面か、比喩である。
面の語で探すと、武器武具の部門がまず出てくる。
甲冑の面は、館の記録がよく整っているからである。
日付まで残っているものもあった。
次に、死んだ顔の型を面と呼ぶのは、正反対の使い方である。
かぶる面は、素顔を隠す。
型を取った面は、素顔を写す。
同じ語が、隠すことと写すことの両方を指している。
最後に、覆うという動詞が九点目に入った。
顔の話から、釉薬の話まで来た。
体の部分の名は、こうして道具の名になり、動作の名になる。
十八回にわたって、同じことを見てきた。
手が作ることになり、口が穴になり、首がくびれになった。
面は、覆うことになった。
体は、言葉の出発点である。
そして、出発した言葉は戻ってこない。
戻ってこないまま、別の場所で働き続ける。
働いている先を数えると、その言葉の広がりが見える。
九点ずつ、十八回。
百六十二点を数えて、見えたのはそれだった。
九点を通して、面はずっと何かのあいだにあった。
顔と、外のあいだ。
釉と、素地のあいだ。
型と、写されるもののあいだ。
あいだにあるものは、両側のどちらでもない。
どちらでもないから、外すことができる。
外せば、下にあったものが出てくる。
それが、面という語のいちばん確かな部分である。
そして、覆いは必ず取れるように作られる。
取れなければ、覆いではない。
紐があり、環があり、掛け金がある。
九点の面にも、紐を通す環があった。
外すことを前提にした道具だけが、面と呼ばれる。
そして、面を着けた人は声を出しにくい。
鉄の面では、口がふさがる。
能の面でも、声はこもる。
顔を隠すと、声も半分隠れる。
隠れた声が、別の誰かの声に聞こえる。
それも、面の働きの一つである。
そして、面は正面からしか働かない。
横から見れば、ただの板である。









