村の一場面を、絵にする——ウィリアム・シドニー・マウント
枯れ木と家が二軒。人は小さく、何をしているかも分からない。それでも絵として成立している。マウントが生涯描き続けたロングアイランドの暮らしを、肖像から風俗画まで九点でたどる。近すぎず遠すぎない距離が、この画家の持ち味である。

農家の前の、枯れ木
一枚の絵から始めたい。

平らな土地である。手前に草地が広がる。
奥に、木造の家が二軒建っている。
屋根は勾配がゆるく、壁は白っぽい板張りである。
煙突から、煙は上がっていない。
家の前に、大きな木が一本立っている。
葉は落ちている。冬か、早春だろう。
枝が細かく分かれ、空へ向かって広がる。
その枝ぶりが、画面の上半分を埋めている。
右手前には、木の柵が横に伸びる。
柵の向こうに、小さな人影が見える。
子どもだろうか。二人ほどいるように見える。
空は灰色がかった白で、雲が低く垂れている。
何も起きていない絵
この絵には、事件がない。
人物は小さく、遠くにいて、何をしているか分からない。
家は静まり、煙も出ていない。
木は葉を落とし、地面は褪せている。
つまり、絵にすべき出来事が何もない。
それでもこの一枚は、絵として成立している。
理由は、枯れ木の枝ぶりにある。
細い線が無数に分かれ、空を分割している。
その形が、画面の主役になっている。
枝は、太い幹から二又に分かれ、さらに細かく分岐していく。
その分岐の間隔と角度が、実物をよく見て描かれている。
木の種類まで見分けられそうな精度である。
冬の木は、夏の木より描くのが難しい。
葉に隠れていた構造が、全部見えてしまうからだ。
一本でも枝の付き方が不自然だと、目についてしまう。
この絵の木には、その不自然さがない。
冬を選ぶ
季節の選び方についても考えたい。
農村を描くなら、収穫の秋や緑の夏のほうが華やかである。
実際、この画家の他の作には明るい季節の絵が多い。
それでもこの一枚は、葉の落ちた季節を選んでいる。
理由の一つは、家の形がよく見えることだろう。
葉が茂っていれば、建物は隠れてしまう。
もう一つは、静けさである。
農作業のない季節は、人の動きが少ない。
何も起きていない絵を描くには、冬が向いている。
画家について
ウィリアム・シドニー・マウントについて、記録から書く。
1807年に生まれ、1868年に没したアメリカの画家である。
ニューヨーク州のロングアイランドで育ち、生涯その土地に関わり続けた。
都市で修業したのち、故郷に戻って制作したと伝えられる。
彼が描いたのは、その土地の暮らしである。
農家、酒場、納屋、道端。
そこにいる人々の、なんでもない一場面。
こうした絵を、風俗画と呼ぶ。
十九世紀のアメリカで、この分野は大きく育った。
地元を描き続ける
同じ土地に留まって描くことには、利点がある。
まず、対象をよく知っている。
季節ごとの光、家の建て方、道具の使い方。
外から訪れた画家には見えないものが見える。
もう一つ、モデルを頼みやすい。
近所の人に声をかけ、座ってもらえる。
一方、不利な点もある。
主題が限られ、同じ場所を繰り返すことになる。
都市の画壇から離れるので、評価も届きにくい。
それでも、彼はこの選択を続けた。
最初は、肖像画から
九点のうち、最も古いのは肖像である。

年配の男性が、椅子に座っている。
黒い上着を着て、白い襟巻きを巻いている。
腕を椅子の肘掛けに置き、体を少し傾けている。
顔はこちらを向き、目が合う。
髪は薄く、額が広い。頬に赤みがある。
背景は暗い褐色で、何も描かれていない。

こちらは夫人である。同じ年、同じ寸法。
白い縁飾りのついた帽子をかぶっている。
黒い衣を着て、灰色の襟巻きを胸元に掛ける。
赤い椅子に座り、こちらを見ている。
口元は結ばれ、表情は硬い。
二点は、対として描かれたと考えられる。
対の肖像から始める
肖像画は、若い画家の最初の仕事になることが多い。
需要があり、値段が付き、腕を示せるからである。
当サイトでも
巡回する肖像画家で、
その事情を扱った。
マウントもまた、肖像から出発している。
この二点は、1830年。画家が二十三歳ごろの作である。
背景を暗く落とし、人物に光を当てる。
当時の肖像画の型を、そのまま用いている。
やがて彼は、この型から離れていく。
二枚の違い
対の肖像とはいえ、二枚は同じではない。
夫の絵では、体が右へ向いている。
夫人の絵では、体が左へ向いている。
つまり、並べたときに内向きになるよう設計されている。
これは対の肖像の定石である。
一方、姿勢の性格には差がある。
夫は腕を肘掛けに置き、ゆったり構えている。
夫人は背筋を伸ばし、手を膝の上で組んでいる。
同じ時代の対の肖像に、しばしば見られる描き分けである。
くつろぐ夫と、整った夫人。
その差が、当時の家庭の役割を反映しているとも読める。
もっとも、これは型の問題でもある。
依頼主個人の性格まで読むのは、行き過ぎだろう。
若い画家の技量
二十三歳の作として見ると、この二点はよく描けている。
顔の骨格が正確で、肌の質感も出ている。
とくに夫人の帽子の白い縁飾りは丁寧である。
透けた布の重なりが、細かく描き分けられている。
一方、衣の黒はやや平板である。
襞の陰影が浅く、体の厚みが十分には出ていない。
得意な部分と、まだ手が回らない部分がはっきりしている。
若い画家の作を見る面白さは、そこにある。
数年後の風俗画では、この差が埋まっていく。