作品を知る

一本の木が、画面を支える——広重・米国風景画・掛軸ほか九点

画面の端に、大きな木を一本立てる。すると、その向こうが遠くに見える。木は、距離の物差しになる。九点で、木の置き場所を測りたい。左に立つ例が、右に立つ例より多い。幹の太さと、枝の広がり方も比べたい。葉の描き込みにも差がある。

欄干に寄りかかる男
ジョルジュ・スーラ《欄干に寄りかかる男》メトロポリタン美術館蔵

画面の端に、幹を一本立てる

前の回で、遠い山を見た。

山はいちばん奥に置かれるものだった。

今回は木である。

木は、山より近く、人より大きい。

そして、縦に伸びる。

画面のなかで、柱の役目をする。

九点を並べて、木が何をしているかを読みたい。

欄干に寄りかかる男
ジョルジュ・スーラ《欄干に寄りかかる男》1881年ごろ。館の記録では、板に油彩。16.5×12.4センチ。番号は2019.141.17。メトロポリタン美術館蔵。ジョルジュ・スーラ《欄干に寄りかかる男》メトロポリタン美術館蔵

きわめて小さい板絵である。

高さ十六・五センチ、幅十二・四センチ。

葉書ほどの大きさである。

画面の左寄りに、太い幹が一本立つ。

下から上まで、まっすぐ伸びる。

そして、画面の上端で切れている。

枝も葉も見えない。

暗い褐色の帯である。

その右に、横に走る低い壁。

石造りの欄干らしい。

その手前に、人が一人立つ。

背中を向け、欄干に寄りかかる。

黒い外套を着ている。

顔は見えない。

背景は、褐色と灰色が混ざった面である。

細かい筆の点が、全体に打たれている。

幹が、画面を二つに割る

この幹には、実際の木としての情報がほとんどない。

種類も、高さも分からない。

枝ぶりも見えない。

しかし、画面のなかでは大きな働きをしている。

縦の線を一本引くことである。

その線が、画面を左右に分ける。

左は狭く、右は広い。

そして、人物が右側にいる。

もし幹がなければ、人物が中央に浮いてしまう。

幹があることで、人物の位置が決まる。

第一回で、人が大きさの目盛りになると書いた。

木は、位置を決める柱になる。

縦の線が、なぜ必要か

画面のなかで、縦の線には特別な働きがある。

画面の枠が四角いからである。

上下の辺は水平、左右の辺は垂直。

その枠に対して、絵の中の線がどう並ぶかで、印象が決まる。

横の線ばかりだと、画面は落ち着く。

水平線、地面、雲の帯。

いずれも安定した感じを与える。

そこに縦の線を一本入れると、画面が締まる。

上下の辺と、縦の線が呼応するからである。

そして、縦の線は目を上下に動かす。

横の線は左右に動かす。

両方があると、目が画面全体を回る。

九点のうち、縦の線が効いているものを数えると、四点ある。

スーラの幹、役者絵の松と格子、刺繍の木、そして写生帖の裸木。

いずれも、細い幹が画面の高さいっぱいに立っている。

風景画に木が欠かせないのは、この縦の線が必要だからでもある。

山も、水も、地面も、横に広がる。

縦に立つものは、木か、建物か、人しかない。

そして、木がいちばん自然に置ける。

木の高さを、切って示す

この幹は、画面の上端で切れている。

てっぺんが見えない。

これは、意図的である。

木を全部描くと、木の高さが決まってしまう。

切ると、決まらない。

画面の外へ、まだ続いているように見える。

つまり、画面より高い木だと分かる。

第五回で、水平線の高さから視点を読んだ。

木の切れ方からも、同じことが読める。

上端で切れているということは、見る人がその木の近くにいるということである。

遠ければ、全体が画面に入る。

木の塊を、中央に置く

ノーフォークのホートボイス・コモン
ジョン・クローム《ノーフォークのホートボイス・コモン》おそらく1810年ごろ。館の記録では、布に油彩。55.9×88.9センチ。番号は89.15.14。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クローム《ノーフォークのホートボイス・コモン》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

中央よりやや右に、木の塊がある。

数本の木が寄り集まり、一つの暗い塊を作る。

葉が密で、内部が見えない。

輪郭は不規則で、上へ膨らむ。

その下に、太い幹が数本。

塊の左には、開けた草地。

低い茂みが点在する。

さらに左奥に、小さな家屋と、家畜らしい影。

空は、画面の上半分を占める。

灰色の雲が厚く、下のほうだけ明るい。

地面は褐色で、手前に轍のような窪みがある。

塊は、重石になる

前の一点では、木が細い線だった。

こちらは、面である。

暗い塊が、画面の右寄りに置かれている。

その重さが、画面を安定させる。

もしこの塊がなければ、空と草地だけになる。

上下に分かれた、平らな絵になってしまう。

塊が一つあると、そこに重心ができる。

そして、その位置が中央より右にずれている。

真ん中に置くと、画面が左右対称になる。

対称は、動きがなくなる。

少しずらすことで、左に広がりが生まれる。

草地の奥行が読めるようになる。

線で、木の塊を作る

川岸の木立(写生帖より)
トマス・ヒューズ・ヒンクリー《川岸の木立(写生帖より)》1860年から64年ごろ。館の記録では、淡黄色の紙に鉛筆。24.8×35.2センチ。番号は1992.373.1の裏。メトロポリタン美術館蔵。トマス・ヒューズ・ヒンクリー《川岸の木立(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

鉛筆だけで描かれている。

画面の中央に、木立がある。

数本の木が寄り集まる。

葉は、細かい丸みのある線の集まりで表される。

短い曲線を、幾重にも重ねている。

塊の内側は、線が密で暗い。

外側は、線が疎で明るい。

その差が、丸みを作る。

下には、太い幹が三、四本。

そして、岸の土手が横に伸びる。

草が、短い線で示される。

塊の左右は、白いままである。

葉を、一枚ずつ描かない

木の葉は、実際には何万枚もある。

一枚ずつ描くことはできない。

だから、まとまりとして描く。

その描き方に、いくつかの型がある。

一つは、短い曲線を重ねる。

この一点が、それである。

一つは、点を打つ。

第六回で読んだ赤富士の裾が、そうだった。

一つは、面として塗る。

クロームの塊が、それにあたる。

そして、一つは輪郭だけを描く。

いずれの場合も、葉の枚数は問題にならない。

塊としてどう見えるかだけが問題である。

アトランティックシティ近くの杉
ウィリアム・トロスト・リチャーズ《アトランティックシティ近くの杉》1870年から71年ごろ。館の記録では、淡緑色の簀の目のない紙に鉛筆。24.1×37.9センチ。番号は69.220.1。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・トロスト・リチャーズ《アトランティックシティ近くの杉》メトロポリタン美術館蔵

こちらも鉛筆である。

しかし、前の一点とはまるで違う。

画面の左に、木が数本立つ。

幹はねじれ、枝が不規則に伸びる。

葉はほとんどない。

枝の先が、細い線で分かれていく。

根もとには、低い茂みが密に描かれる。

そして、木の右側は、ほとんど空白である。

薄い横線が数本引かれるだけ。

平らな土地が、遠くまで続いている。

そのはるか先に、低い茂みの列。

紙の色は、淡い緑がかっている。

木の形が、その土地を語る

この木は、ねじれている。

まっすぐ伸びていない。

これは、海に近い土地の木の形である。

強い風が一方向から吹くと、木はそちらへ傾く。

枝も、風下側に偏る。

つまり、木の形が土地の条件を示している。

前の二点の木は、丸く均整が取れていた。

風の弱い内陸の木である。

木を見れば、そこがどういう場所か分かる。

館の記録は、題に地名を書くだけである。

木の形が語ることは、画像から読むほかない。

ニピシング湖(写生帖より)
アルバート・ビアスタット《ニピシング湖(写生帖より)》1890年。館の記録では、簀の目のない紙に鉛筆。12.1×19.7センチ。番号は1995.379.4のa。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《ニピシング湖(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

第一回から何度も読んできた写生帖の、また別の頁である。

紙の右半分に、木が数本描かれている。

いずれも葉がない。

細い幹がまっすぐ立ち、上で枝が細かく分かれる。

線がきわめて薄い。

左半分には、手書きの文字が数行。

人名と、地名と、日付らしい。

そして、紙の下端に、印刷された小さな札が貼られている。

そこにも文字が読める。

ある人の遺産から、という趣旨と、年月である。

紙に貼られた札

この札は、作品の一部ではない。

かつての所蔵者を示す標識である。

第十八回で、出所の行を三十回にわたって読んだ。

そこでは、館の帳簿に書かれた行を扱った。

こちらは、紙そのものに貼られた札である。

館に入る前の持ち主が、自分の蔵書票のように貼った。

そして、その札が画像に写り込んでいる。

第十八回で読んだ、器に書かれた番号と同じである。

記録は帳簿の外にも残る。

そして、この場合は作品と一体になっている。

剝がせば紙を傷める。

だから、そのまま残る。

紙の色を、使う

九点のうち二点で、紙に色が付いている。

淡い緑の紙と、淡黄色の紙である。

白い紙ではない。

これには理由がある。

鉛筆で描くと、線は灰色になる。

白い紙では、いちばん明るいのが紙の白である。

有色の紙では、紙の色が中間の明るさになる。

すると、鉛筆で暗いほうを描き、白い絵具で明るいほうを描ける。

明暗を両方向に作れる。

もっとも、この二点では白は使われていない。

紙の色が、そのまま中間調として働いている。

そして、木立の塊が暗く、空いた部分が紙の色のまま。

二段階の明るさで、絵が成立している。

第十七回で読んだ写生帖の頁も、灰緑色の紙が使われていた。

野外で描くとき、白い紙は日光を反射して眩しい。

色の付いた紙のほうが、目が疲れにくい。

実用の理由もある。

木が、飾りの枠になる

刺繍のサンプラー
アン・ファザカリー《刺繍のサンプラー》1824年。館の記録では、羊毛地に絹とシェニール糸の刺繍。45.1×37.5センチ。番号は1984.331.2。メトロポリタン美術館蔵。アン・ファザカリー《刺繍のサンプラー》メトロポリタン美術館蔵

布に刺繍したものである。

縦長で、四方に花の縁飾りが回る。

小さな花と葉が、連続して並ぶ。

その内側の上半分に、文字が刺繍されている。

四行の文である。

徳について述べた句らしい。

下半分に、絵がある。

中央に、木が一本。

幹が細く、上で枝が三方に広がる。

葉は、緑の房として表される。

その左に、人が一人立つ。

右に、赤い屋根の家。

窓と扉が描かれる。

そして、いちばん下に、作った人の名と年が刺繍されている。

木が、左右を分ける

この構成では、木が中央にある。

そして、その左に人、右に家がある。

木が、二つを分ける役目をしている。

前に見たスーラの絵では、木が左端にあった。

こちらは中央である。

中央に置くと、左右が対称に近くなる。

刺繍のような装飾では、対称のほうが据わりがよい。

そして、この木は実際の木ではない。

種類も分からない。

木という記号である。

家、人、木。

三つの記号を並べて、一つの情景を作っている。

第十八回で読んだ型紙絵と、性格が近い。

学ぶために作られたものである。

そして、作った人の名と年が入っている。

十三歳の年に作ったことになる。

三代目瀬川菊之丞の花魁
勝川春章《三代目瀬川菊之丞の花魁》1780年ごろ。館の記録では、錦絵、紙本着色。31.1×14.6センチ。番号はJP342。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。勝川春章《三代目瀬川菊之丞の花魁》メトロポリタン美術館蔵

縦長の版画である。

第一回でも、同じ画家の役者絵を読んだ。

中央に、一人の人物が立つ。

女の装いである。

衣は淡い色で、大きな文様が入る。

裾が床に長く広がる。

髪は結い上げられ、櫛と簪が挿さる。

そして、画面の左に、木の幹が立つ。

太く、灰色である。

上に、緑の葉が茂る。

松らしい。

その幹が、画面の上端まで伸びる。

右側には、格子の建具。

縦横の線が規則正しく並ぶ。

幹と格子が、両端を締める

この構図は、スーラの絵と似ている。

画面の端に、縦の線を立てる。

こちらは、左に幹、右に格子。

両側から締めている。

そして、中央に人物を置く。

木は、風景の一部としてではなく、枠として働いている。

役者絵では、背景をほとんど描かない。

第一回でそう書いた。

しかし、まったく何もないと、人物が浮く。

だから、両端に縦のものを置く。

木、柱、格子、垂れ幕。

いずれも、縦の線であればよい。

三囲神社の開帳
喜多川歌麿《三囲神社の開帳》1799年。館の記録では、木版画三枚続、紙本着色。39.1×25.1×25.4センチ。番号はJP149。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。喜多川歌麿《三囲神社の開帳》メトロポリタン美術館蔵

三枚続の版画である。

第十七回で、三枚続の形式を扱った。

三枚を並べて、一つの画面を作る。

この一点でも、継ぎ目が二本見える。

画面の上部に、桜の枝が横に伸びる。

白い花が、点々と付く。

枝は細く、画面の左端から右端まで続く。

その下に、女性が十人ほど並ぶ。

いずれも立ち姿である。

衣は黒、赤、白で、大きな文様が入る。

髪は結い上げられる。

中央に、四角い枠のようなものがある。

文字が書かれている。

奥に、板の塀と、小さな祠。

木が、上の縁になる

この一点では、桜の枝が画面の上を横切っている。

そして、その下の空間に人物が並ぶ。

つまり、枝が天井の役目をしている。

もし枝がなければ、人物の上が空いてしまう。

枝があることで、画面の上端が締まる。

そして、桜は季節を示す。

開帳という行事の時期を、花が語っている。

第十七回で扱った、揃物や続きものの構成である。

三枚をつなぐには、横に伸びる要素が要る。

枝は、そのために最適である。

一本の枝が、三枚を一つにまとめている。

吾妻の森の眺め
歌川広重《吾妻の森の眺め》1858年ごろ。館の記録では、摺物、紙本着色。51.8×18.4センチ。番号はJP44。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。歌川広重《吾妻の森の眺め》メトロポリタン美術館蔵

きわめて横長である。

幅五十一・八センチ、高さ十八・四センチ。

縦横の比が、およそ一対三。

画面の中央に、木立が横に長く連なる。

濃い緑の帯である。

一本ずつの木は、判別しにくい。

その手前に、田らしい平地。

畦の線が、細かく横に走る。

さらに手前に、低い草と、水の筋。

木立の向こうに、水と、集落らしい屋根。

そして、いちばん奥に、青い山が一つ。

なだらかな形である。

空は白く、上端だけ淡い。

帯としての木立

この一点では、木がまとまって帯になっている。

一本ずつの形は、意味を持たない。

横に長い緑の帯が、画面を上下に分ける。

その上が遠景、下が近景である。

第六回で、霞が距離を区切ると書いた。

ここでは、木立の帯が同じ働きをしている。

そして、画面が横に長いので、この構成が向いている。

縦に長ければ、帯は使いにくい。

横に長ければ、帯を何本も重ねられる。

畦の線、木立の帯、水の帯、山の稜線。

四本の横線が、平行に並んでいる。

九点の木を、働きで分ける

九点の木を、画面での働きで分けたい。

縦の柱として端に立つものが、二点。

スーラの幹と、役者絵の松である。

塊として重心を作るものが、三点。

クローム、ヒンクリー、リチャーズ。

上の縁を作るものが、一点。

三枚続の桜。

横の帯として距離を区切るものが、一点。

広重の摺物。

中央に立って左右を分けるものが、一点。

刺繍のサンプラー。

そして、主題そのものになっているものが、一点。

写生帖の裸木である。

六通りの働きがある。

葉があるか、ないか

九点を、葉の有無で分けたい。

葉のあるものが、六点。

葉のないものが、二点。

写生帖の木と、リチャーズの杉である。

いずれも鉛筆の素描である。

これは、偶然ではないだろう。

葉のない木は、線で描きやすい。

枝の分かれ方が、そのまま線になる。

葉があると、面として塗るか、点を重ねるしかない。

鉛筆では手間がかかる。

そして、葉のない木は、構造がよく見える。

幹から枝、枝から小枝へ。

その分かれ方を観察するには、冬の木がよい。

だから、写生帖には裸木が多い。

第十七回で読んだ写生帖の頁にも、同じ傾向があった。

木の色

九点の木の色を並べたい。

暗い褐色が一点。

スーラの幹である。

暗い緑が二点。

クロームの塊と、広重の木立。

明るい緑が二点。

役者絵の松と、刺繍の木。

そして、色のないものが四点。

鉛筆の三点と、白黒の画像で見ている一点である。

色の付いた五点を見ると、木はたいてい画面のなかで暗いほうに属する。

空より暗く、地面より暗いことも多い。

これは、葉が光を吸うためである。

そして、暗い塊は画面の重心になる。

明るい空と、明るい地面のあいだに、暗い帯が挟まる。

その三層が、風景画の基本の骨組みになる。

第六回で読んだエトナ山の絵では、手前の町が暗い塊だった。

木がなくても、暗い層があればよい。

しかし、木があるほうが自然である。

そこに生えていておかしくないからである。

木は、時間を示す

最後に、木が示すものをまとめたい。

木は、季節を示す。

桜の花なら春。

葉のない枝なら冬。

濃い緑なら夏である。

そして、木は場所も示す。

ねじれた木なら、風の強い海辺。

松なら、日本の風景。

椰子なら、南の土地である。

第六回で読んだベイルートの絵にも、椰子が一本立っていた。

一本の木が、そこがどこかを教えていた。

つまり、木は情報の密度が高い。

一本描くだけで、季節と場所が決まる。

そのうえ、画面の柱にもなる。

だから、風景画には必ずといってよいほど木がある。

次の回では、水面を見たい。

水は、映すという仕事をする。

そして、映すことで画面を二重にする。

そして、その理由は記録の欄には書かれない。

木の数を、数える

九点の木の数を数えたい。

一本だけのものが三点。

スーラの幹、刺繍の木、役者絵の松。

数本が寄り集まるものが四点。

クローム、ヒンクリー、リチャーズ、写生帖の裸木。

帯として連なるものが一点。

広重の摺物である。

そして、枝だけが横切るものが一点。

三枚続の桜。

一本の木は、記号として働く。

その一本が何かを意味する。

数本の木は、塊として働く。

一本ずつの意味は薄れ、重さだけが残る。

帯になると、もはや木ではなく、地形の一部になる。

つまり、数が増えるほど、個々の木の意味が消えていく。

そして、一本に戻ると、また意味が現れる。

刺繍の木は一本で、家と人と並んで置かれている。

三つの記号のうちの一つである。

木という記号が、そこに自然があることを示している。

数と意味の関係は、人の場合と同じである。

第一回で、人数が増えるほど一人が小さくなると書いた。

木も同じで、数が増えるほど一本の意味が薄くなる。

そして、その関係は、絵の種類を問わない。

版画でも、刺繍でも、油彩でも同じである。

数えることは、いちばん単純な読み方である。

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