名画の楽しみ方

二挺で、一件と数える——対の拳銃と三通りの番号

換算の数字が、合わない一件

いま見た一件の寸法の欄に、傷がある。

銃身の長さが、英寸とセンチで書かれている。

ところが、その二つが対応していない。

英寸の値をセンチに直すと、書かれた数字の半分にもならない。

どちらかが誤りである。

写真の比率から見れば、センチの値のほうが近い。

しかし、それは推測である。

館は、両方をそのまま残している。

前の回の記事でも、換算の合わない例を見た。

二つの単位を併記する記録では、こういう傷が出やすい。

一方を直しても、他方が残る。

九件を並べたから、この一件だけ比率が違うと気づけた。

対の長銃も、同じ形で数える

九件のうち一件だけ、拳銃ではない。

長い銃が二挺で、一件になっている。

品名の欄には、車輪式の銃一対とある。

番号は、二つを読点で並べる形だ。

寸法の欄は、各110.2センチと書く。

拳銃の対と、まったく同じ書き方である。

大きさが二倍以上違っても、記録の形は変わらない。

同じ形式で書くから、並べて比べられる。

前の回の記事で、同じ話を何度か書いてきた。

形式の共通性が、比較を可能にしている。

車輪式銃一対
カスパル・ナイライター《車輪式銃一対》1670年から1680年ごろ。館の記録では、鋼、銀、胡桃。各全長110.2センチ、各銃身の長さ81.4センチ、口径13.8ミリ。番号は50.203.1と.2。メトロポリタン美術館蔵。カスパル・ナイライター《車輪式銃一対》メトロポリタン美術館蔵

長い銃が二挺、上下に並ぶ。

上の一挺は左を向き、下の一挺は右を向く。

銃床は褐色の木で、床尾が下へ張り出す。

その面に、銀の象嵌が入る。

葉の形が、まばらに散る。

機関部は明るく、車輪の覆いが円い。

引き金の護りが、細く曲がる。

銃身は長く、まっすぐ伸びる。

銃身の中ほどに、細い金具が二か所ある。

二挺の装飾は、ほぼ揃っている。

しかし、床尾の木目だけが違って見える。

白黒の写真が、ここにもある

九件のうち一件は、公開画像が白黒である。

1904年の受入で、写真も古い。

二挺が上下に並べて撮られている。

銃床は黒く、つやが強い。

握りの先が球状に膨らむ。

銃身は長く、暗い。

機関部だけが明るく写る。

技法の欄には、金と真珠層とある。

しかし、白黒では色が分からない。

金の輝きも、貝の光も、灰色になる。

記録と画像が、たがいを補い合っている。

車輪式拳銃一対
フランソワ・デュ・クロ銃工、トマ・ピコー彫金《車輪式拳銃一対》1640年ごろ。館の記録では、鋼、金、真鍮、木、銀、真珠層。一挺は全長58.7センチ、銃身の長さ39.4センチ、口径13.2ミリ。番号は04.3.192と.193。メトロポリタン美術館蔵。フランソワ・デュ・クロ《車輪式拳銃一対》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真である。

拳銃が二挺、上下に置かれる。

上の一挺は右を向き、下の一挺も右を向く。

銃床は黒く、光を強く反射する。

握りの先は、丸い球で終わる。

球の表面にも、装飾が見える。

機関部は明るい灰色で、彫りが深い。

車輪の覆いが、円く張り出す。

銃身は細く、まっすぐ長い。

銃身の根もとに、飾りが集まる。

背景は白く、影が薄い。

一件に、何人が関わったか

九件の作者の欄には、延べ十五の名がある。

一人だけの件が三つ、二人の件が六つ。

役割は七種類ある。

銃工、銃身を打つ人、機関を作る人、銃床を作る人。

彫りを入れる人、意匠を担う人、そして金具を作る人。

前の回の記事で見た顔ぶれと、半ば重なる。

対の銃を作るのに、少なくとも数人が関わる。

そして、それを二組作る。

記録に残るのは、そのうち一人か二人だ。

さらに、箱を作った人がいる。

内張りの布を裁った人がいる。

付属品を作った人がいる。

十四点で一件とされる例では、その数はさらに増える。

作者の欄の名の数と、実際の人数は、まるで釣り合わない。

銃床の形が、握り方を示す

九件の写真を並べて、握りの形を比べてみる。

先が球状に膨らむものが、四件ある。

丸くふくらむものが、三件。

そして、ほぼ膨らまないものが二件。

球状のものは、いずれも古い。

十六世紀から十七世紀前半である。

膨らまないものは、十九世紀に近い。

つまり、時代とともに握りの形が変わっている。

球は、手のひらの下で止まりを作る。

反動で銃が滑らないようにするためだろう。

館の記録は、形の説明を書かない。

品名と寸法と材料だけである。

しかし、写真を並べれば形の変化は見える。

記録の欄が書かないことを、画像が補っている。

数え方が、揃わないということ

最後に、番号の三通りの書き方に戻ってみたい。

なぜ揃わないのか。

受入の年を見ると、手がかりがある。

読点で並べる形は、1904年と1947年と1950年。

小文字を付ける形は、1913年。

複合の形は、1928年。

年によって、書き方が違う。

つまり、そのときの担当者の方式である。

館は、あとから統一していない。

統一すれば、探しやすくはなる。

そのかわり、いつ付けられた番号かが分からなくなる。

番号は、その品の受入の記録でもある。

書き方の違いまで含めて、記録である。

だから、揃わないまま残っている。

最後に、九件の受入の年をまとめておく。

1904年が二件、1913年が三件、1928年が二件。

1947年と1950年が一件ずつである。

半世紀のあいだに、対の銃が九件集まった。

そのうち三件は、同じ寄贈者から来ている。

残る六件は、いずれも基金による購入である。

集める側も、買う側も、対の品を選んでいる。

揃っていることに、値打ちが認められていた。

崩れた対より、揃った対が高く売れる。

だから、揃ったまま動いてきた。

出所の行は、その事情を書かない。

書かれるのは、寄贈者の名と年だけである。

それでも、九件すべてが対であることが残っている。

何が残ったかを見れば、何が価値とされたかが分かる。

九件を閉じて、番号の書き方に一度だけ戻る。

読点で並べるか、小文字を付けるか。

どちらでも、二挺が一件であることは変わらない。

変わらないのに、書き方だけが揺れている。

その揺れは、館の百年ぶんの時間である。

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