美術史・技法

画面に、詩を書く——呉春《猫と歌》と董其昌ほか九点

六人の歌人という、揃い

古い歌人を六人ひと組で扱う型がある。

九点のうち二点が、その型に属する。

一点は、その揃いの中の一枚だ。

もう一点は、題に揃いの名は入らない。

しかし、同じ考え方で作られている。

六人ぶん作れば、六枚の揃いになる。

買う人は、集めたくなる。

前の回で、揃い物の話をした。

歌人の名を割り当てるやり方も、その一つである。

古い歌を、当世の姿に置き換える

九点のうち二点は、一枚摺の版画である。

どちらも、題に昔の歌人の名が入る。

そして、その人の歌が画面の上に刷られる。

ところが、描かれているのは当世の人物だ。

つまり、古い歌を今の姿で描いている。

見立て、と呼ばれる方法である。

前の回で見たもじりと、考え方が近い。

元の歌を知っていれば、二重に楽しめる。

館の題は、歌人の名だけを書く。

遍昭僧正の歌
鈴木春信《遍昭僧正の歌》1766年ごろ。館の記録では、木版画、紙に墨と彩色。縦26.8センチ、横20.8センチ。番号は、日本の版画を示す記号に1636を付けたものである。メトロポリタン美術館蔵。鈴木春信《遍昭僧正の歌》メトロポリタン美術館蔵

縦長の版画である。

右に、若い女性が立つ。

明るい色の着物を着る。

背に、大きな籠を負う。

その左手前に、もう一人がしゃがむ。

台の前で、道具を使う。

台の上に、細い棒が立つ。

その下に、小さな器が置かれる。

背後の左に、暗い戸口がある。

右奥は、緑の地面である。

画面の上に、歌が二行入る。

素性法師の歌
鈴木春信《素性法師の歌》1767年から1768年ごろ。館の記録では、木版画、紙に墨と彩色、空摺を用いる。縦27.6センチ、横20.3センチ。中判。番号は、日本の版画を示す記号に2441を付けたものである。メトロポリタン美術館蔵。鈴木春信《素性法師の歌》メトロポリタン美術館蔵

縦長の版画である。

中央に、二人の女性が立つ。

どちらも、細かい模様の着物を着る。

一人が、大きな傘を差しかける。

もう一人は、傘の下に立つ。

足もとに、白い草履が見える。

右に、赤い柱が立つ。

その根もとに、黒い桶が置かれる。

左下に、小さな松と石がある。

奥に、低い建物が見える。

画面の上に、歌が数行入る。

見えない技を、記録が拾う

空摺は、写真ではほとんど写らない。

凹凸だけだから、光の当たり方で消える。

現物を斜めから見れば、分かる。

正面から見れば、分からない。

つまり、実物を手にした人しか気づかない。

館の技法の欄が、それを書き留める。

書いておかなければ、伝わらない。

前の回で、記録が見えないものを書く話をした。

同じ働きが、ここでも起きている。

空摺という、色のない摺り

いま見た一点の技法の欄には、空摺とある。

絵具を付けずに、版で紙を押す。

すると、紙に凹凸だけが残る。

色は付かない。

光を当てると、模様が浮かぶ。

着物の白い部分などに使われる。

つまり、見えにくい装飾である。

館は、それを技法の欄に書く。

見えにくいものほど、記録に頼ることになる。

摺り物の紙の、大きさ

九点の版画の寸法を見ておく。

一点は縦26.8センチ、横20.8センチ。

一点は縦27.6センチ、横20.3センチ。

館の記録には、中判という語も添えられる。

決まった紙の大きさの名である。

この判型は、紙を効率よく使うために決まった。

前の回で、判型の話をした。

歌を刷るには、上に余白が要る。

だから、縦長の判型が選ばれる。

紙の大きさが、書ける歌の長さを決める。

歌が、画面のどこに来るか

九点の詩の位置を、まとめておく。

画面の上部が、五点。

余白の右上が、二点。

器の側面が、一点。

石の面が、一点。

つまり、多くは上に置かれる。

上から下へ読む書き方だから、自然である。

そして、絵は下にある。

見る人は、まず歌を読み、それから絵を見る。

あるいは、絵を見てから歌に戻る。

文字が、絵と同じ大きさになるとき

九点の中で、文字がいちばん大きいのは掛軸の一点だ。

四文字ほどが、画面の幅いっぱいに書かれる。

これは、もはや添え物ではない。

文字そのものが、見るものになっている。

前の回まで、西洋の絵の文字を見てきた。

いずれも小さく、隅にあった。

こちらでは、文字が主役になりうる。

同じ画面の中で、書と絵が対等である。

誰が、その歌を読んだのか

狂歌の本は、大量に作られた。

つまり、読む人が多かったということだ。

滑稽な歌を作り、集まって披露する。

そういう集まりが、町にいくつもあった。

絵入りの本は、その集まりの記念でもある。

自分の歌が本に載る。

だから、買う人がいる。

九点のうち二点は、そういう本である。

館は、部門の欄に絵入り本と書く。

絵と本の、どちらでもある。

記録が、詩を写さないこと

館の欄は、詩の内容を写さない。

題に詩という語を入れるだけである。

前の回まで見てきた欄とは、扱いが違う。

西洋の絵の短い銘記は、全文が写された。

こちらの詩は、長い。

一つの掛軸に、何十行も入る。

全部を写せば、欄が埋まってしまう。

だから、題で示すだけにする。

読みたい人は、現物に当たることになる。

詩を読むための、時間

詩が書かれた作品は、見るのに時間がかかる。

まず、文字を読む。

崩した字なら、読むのに苦労する。

読めたら、意味を考える。

それから、絵を見る。

そして、両方の関係を考える。

つまり、何段階もの作業がいる。

前の回で、四十八行を書き写した絵を見た。

同じことが、こちらでも起きている。

長く向き合うための作品である。

長さが、記録の形を変える

同じ書かれた文字でも、長さで扱いが変わる。

数語なら、そのまま写せる。

数十行なら、写せない。

そこで、題や説明で示す。

つまり、記録の形は中身の量で決まる。

前の回で、行数を斜線で示す例を見た。

こちらは、行数すら書かない。

分量が多すぎて、要約するしかない。

要約は、判断である。

判断が入るところに、記録の限界がある。

RELATEDあわせて読みたい

美術史・技法の記事一覧