雨の線を引いた画面は、二点——呂文英・ピサロ・ターナーほか九点

四点目は、いちばん有名な画家の作である。
92.2×123センチ。
画面のほぼ全体が、白と灰色の渦である。
中央に、明るい塊がある。
その周りを、暗い雲が巻いている。
雲は下へ向かって流れ落ちる。
右下の隅に、赤と橙の小さな塊がある。
火か、人の衣らしい。
左下には、岩の稜線がわずかに見える。
館の記録の題には、三つの語が並ぶ。
吹雪、雪崩、そして雷雨である。
一枚の画面に、三つの天候が入っている。
つまり、これは特定の天気の絵ではない。
天候そのものの絵である。

嵐の前と、嵐の後
嵐が来る前を描いた一点がある。
油彩で、額なしで73.8×113センチ。
横長の画面である。
画面の下半分に、なだらかな土地が広がる。
草は緑と黄土色で、細かく塗られる。
左のほうに、小さな人影と家畜がいる。
右には、細い木が立つ。
その葉が、風で片側へ流れている。
奥には、低い山が霞む。
画面の上半分は、空である。
雲は白と灰色で、大きく盛り上がる。
その右のほうが、暗くなっている。
館の記録の題によれば、嵐が近づいている場面である。
つまり、まだ降っていない。
館の記録によれば、署名は二度書かれている。
一つは消されていて、その上にもう一つある。
なぜ書き直したかは、記録にない。

語の外れ、二点
残る二点は、雨も嵐も描かれていない。
一点目は、素描帖の一葉である。
紙は12.1×19.7センチ。
黒鉛だけで、ごく薄く描かれている。
画面の中ほどに、水平の線が引かれる。
その上下に、短い線が散る。
書き込みも少し見える。
館の記録の題によれば、秋の霜に覆われた川と大地である。
つまり、雨ではなく霜である。
ではなぜ集まったのか。
英語の題にある「大地」の語のなかに、雨と同じ綴りが入っている。
前の回でも、同じ種類の一致が何度かあった。
広い、炭素、島。
いずれも、別の語のなかに探している語が入っていた。
この帖からは、これで十一枚目になる。

記録に、疑わしい印と、消された署名
今回の九点には、来歴の怪しい記述が三つあった。
一つは、偽の印である。
日本の掛幅に、有名な画僧の印が押されている。
館は、それを偽と明記している。
権威のある名を借りて、価値を上げようとしたのだろう。
二つ目は、模写と贋作の記述である。
嵐の油彩を描いた画家について、館はこう書く。
他人の様式で模写や贋作も作った、と。
つまり、この画家自身が贋作を作っていた。
その人の作品が、いま館にある。
三つ目は、消された署名である。
嵐が近づく油彩の右下に、署名が二度書かれている。
一つは消され、その上にもう一つある。
なぜ書き直したかは、記録にない。
画家自身が直したのか、後の人が加えたのか。
三つとも、作品の名前にかかわる話である。
前に山を扱った回でも、偽の署名があった。
署名と印は、作品のなかで最も書き換えられやすい部分である。
館は、その痕跡を丁寧に記録している。
記録しておけば、後の人が判断できるからだろう。
数え直す
九点を並べ直したい。
雨か嵐が描かれているのは、七点。
そのうち、雨の線が引かれているのは二点。
波が砕けているのは、三点。
雲が渦を巻いているのは、四点である。
人が描かれているのは、六点。
そのうち、雨や波に打たれている人がいるのは四点だった。
空の暗さで、天気を示す
雨と嵐の七点で、空の明るさを見たい。
暗い空が、五点。
明るい部分が残る空が、二点である。
そして、暗い五点のうち四点で、空に切れ目がある。
雲の隙間から、光が漏れる。
その光が、画面のなかで最も明るい部分になる。
つまり嵐の絵では、暗さのなかに一点の明るさを置く。
そうしないと、画面が真っ暗になってしまう。
前に洞窟を扱った回でも、同じ構造を見た。
暗い面のなかの、明るい一点。
嵐の空では、その一点が雲の切れ目である。
光の漏れ方は、点ごとに違う。
黄色い帯として横に伸びるのが、二点。
白い塊として上のほうにあるのが、一点。
金色に空を染めるのが、一点。
いずれも、画面の中央から外れた位置にある。
真ん中に置くと、画面が止まってしまうからだろう。
前に海を扱った回でも、同じ話を書いた。
見せたいものを、真ん中から少しずらす。
九点でも、その配置がおおむね守られていた。