作品を知る

雨の線を引いた画面は、二点——呂文英・ピサロ・ターナーほか九点

嵐の絵には、遭難がつきまとう

数えた結果から、一つのことが言えそうである。

嵐の絵には、たいてい人の被害が描かれる。

九点のうち三点で、船が傾くか沈んでいる。

一点では、水死した身内を家族が見つけている。

一点では、雨のなかを人が前かがみで歩く。

つまり、嵐は災いとして描かれる。

これは当然に思えるが、そうとも限らない。

天気そのものを主題にすることもできる。

ターナーの一点が、それに近い。

三つの天候が同時に描かれ、人はほとんど見えない。

赤い小さな塊があるだけである。

館の記録も、その塊が何かを書いていない。

天気が主で、人が従になっている。

九点のなかで、この配分は例外だった。

残る六点では、人か船か村が画面の中心にある。

天気は、それを襲うものとして描かれる。

雨の絵は、縦、嵐の絵は、横

判型を並べておきたい。

雨を主題にした二点は、いずれも縦長である。

しかも、極端に細長い。

一点は170.5×103.4センチ、もう一点は131.8×44.2センチ。

どちらも掛幅である。

嵐を主題にした四点は、いずれも横長だった。

50.8×67.6センチ、66×94センチ、73.8×113センチ、92.2×123センチ。

四点とも、幅が高さの一.三倍以上ある。

この分かれ方には、理由がありそうである。

雨は、上から下へ落ちる。

その動きを見せるには、縦の画面が向く。

斜めの線を長く引ける。

嵐は、横へ吹く。

風と波は、水平に走る。

その動きを見せるには、横の画面が向く。

つまり、天気の向きが画面の向きを決めている。

もっとも、形式の事情もある。

掛幅は必ず縦長で、油彩は横長が多い。

東アジアの二点が雨、ヨーロッパの四点が嵐という分かれ方でもある。

だから、天気の向きだけで決まっているとは言えない。

言えるのは、九点でそう分かれていたという事実である。

雨は、斜めに降る

雨の線を引いた二点で、線の角度を見たい。

どちらも、右上から左下へ流れている。

つまり、風は右から左へ吹いている。

そして木も、同じ方向へたわんでいる。

線と木の傾きが、そろっている。

これは当たり前だが、絵としては重要である。

雨の線だけを引いても、風の強さは伝わらない。

木や、人の衣や、笠が同じ方向へ傾くことで伝わる。

九点のうち、木がたわんでいるのは四点だった。

いずれも、雨か嵐の画面である。

そして、人の姿勢が傾いているのは三点。

前かがみ、身をすくめる、笠を押さえる。

前に人の姿勢を扱った回でも、前かがみは働く姿だった。

ここでは、天気に抗う姿である。

同じ姿勢が、違う理由で現れている。

記録は、天気を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、天気の欄はない。

書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。

天気は、題にしか出てこない。

そして題には、はっきり書かれる。

雨の効果、嵐、風雨、吹雪と雪崩と雷雨。

九点のうち七点の題に、天気の語がある。

つまり、天気は主題として扱われている。

これは、前に扱った空や雲と同じである。

十九世紀に、天気そのものが絵の主題になった。

今回の九点でも、五点が十九世紀以降の作である。

ただし、東アジアの二点は十五世紀と十六世紀だった。

そちらでは、雨はもっと早くから主題になっている。

雨中を行く人、風雨の村。

いずれも、天気が場面を作っている。

同じ主題が、地域によって別の時期に現れる。

その差は、九点を並べただけでも見える。

そして、二点の東アジアの絵はどちらも掛幅だった。

一点は二メートル八十、一点は一メートル三十。

壁に掛けて、上から下まで目で辿る形式である。

その形式に、上から落ちる雨がよく合う。

斜めの線を、画面の端から端まで引ける。

横長の画面では、線が短くなって効かない。

形式と主題が、うまく噛み合っている。

もっとも、掛幅は雨のために作られた形式ではない。

もとからある形式に、雨が後から入ってきた。

入ってみたら、都合がよかったということだろう。

前に階段や廊下でも、同じことを見た。

形式が先にあり、主題が後から入る。

そして入りやすい主題と、入りにくい主題がある。

雨は、縦長の画面に入りやすい主題だった。

嵐は、横長の画面に入りやすい主題だった。

九点は、その二つに分かれて並んでいる。

分かれ目にあるのが、ターナーの一点である。

横長の画面に、三つの天候が同時に描かれている。

吹雪も、雪崩も、雷雨も、向きが違う。

雪崩は下へ落ち、雷雨は横へ流れ、吹雪は渦を巻く。

その全部を一枚に入れると、渦になる。

方向が定まらないので、画面の中央が白い塊になる。

天気の向きが決まらないと、構図も決まらない。

そのことを、この一点は逆に示している。

そして館の記録は、その三つの語を題に並べたままにしている。

一つに絞っていない。

絞れば分かりやすくなるが、画面と合わなくなる。

画面には、たしかに三つとも入っている。

だから題も三つ並ぶ。

記録の題は、そういう不便さを引き受けている。

前に、四人の聖人の名を並べた長い題を見た。

あれも同じである。

画面に入っているものを、そのまま列挙する。

短くまとめるのは、後の人の仕事になる。

当社の日本語題も、その列挙を引き継いでいる。

引き継ぐと、題が長くなる。

だが、短くすると情報が落ちる。

落とすかどうかは、その都度の判断になる。

今回は、落とさずに写した。

三つの天候が同時に描かれた画面は珍しい。

その珍しさが、題からも分かるようにしておきたかった。

九点のうち、天候を二つ以上並べた題は、この一点だけである。

残る六点の題は、天候が一つずつだった。

雨か、嵐か、そのどちらかである。

実際の天気は、たいてい混ざっている。

雨が降り、風が吹き、雲が動く。

それを一語で呼ぶのは、便宜にすぎない。

その便宜を破ったのが、三つ並べた題である。

画面のほうも、その通りに混ざっている。

渦を巻く白い塊のなかで、何が何だか分からない。

分からないことを、題が三語で説明している。

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