波の下に、三十人がいる——葛飾北斎《神奈川沖浪裏》
視線が、通る道
もうひとつ、線の話をしたい。
大波の頂点から、飛沫が右下へ垂れている。その先に、中央の舟がある。
舟の列は左下から右上へ並び、視線を右下の波へ導く。
そして右下の波の稜線をたどると、また中央の富士へ戻ってくる。
視線が画面の中で循環する構造になっている。どこかで止まって外へ出る、という作りではない。
見ていて飽きにくいのは、この循環のためだと考えたい。
水平線は、どこにあるか
もうひとつ、気づきにくい仕掛けがある。
この絵には、水平線がほとんど見えない。
ふつう海の絵なら、空と海を分ける横一線が画面のどこかにある。それが遠さの基準になる。
ここでは、大波と第二の波が画面を横切ってしまい、水平線は中央のわずかな隙間にしか現れない。
その隙間に富士がある。
つまり富士は、唯一の「遠さの基準」として置かれている。あれが無ければ、この画面は上下も奥行きも分からない模様になってしまう。
小さいのに、構造上は不可欠である。
見ている位置
では、私たちはどこからこの光景を見ているのか。
答えは、海の上である。しかも、波の谷の高さから見ている。
岸から見ているのではない。船の高さ、あるいは水面すれすれの位置に視点がある。
だから大波が見上げるほど高く、富士が低く沈む。
陸から海を眺める絵ではなく、海の中にいる絵である。この視点の選択が、この一枚の緊張の大半を作っている。
そして、この視点は実際には存在しにくい。
波の谷にいる人間は、絵を描いていられない。舟にしがみついている。
つまりこれは、想像で組み立てられた視点である。写生ではない。
風景画がしばしば「あり得ない位置」から描かれることは、西洋でも同じだった。滝の落ち口の高さに視点を置いたチャーチの《ナイアガラ》を別のコラムで扱っている。
見えるはずのない位置から見せる。それが効く場合がある、ということだろう。
青——輸入された色
色について書いておきたい。
この絵で使われている濃い青は、ベロ藍と呼ばれた顔料である。ヨーロッパで合成されたプルシアンブルーが、長崎経由で日本に入ってきた。
それまで日本の版画で青といえば、植物性の露草や藍だった。これらは色が淡く、しかも光に弱い。
ベロ藍は違う。濃く、鮮やかで、褪せにくい。
輸入品なので当初は高価だったが、1820年代の終わりごろから国内でも安く手に入るようになったとされる。
〈冨嶽三十六景〉が企画されたのは、ちょうどその時期である。
新しい顔料が安くなったから、青を主役にした風景版画の企画が成立した——という順序で考えると、この シリーズ の成り立ちが見えやすい。
同じ事情は広重にも当てはまる。彼の水と空の青も、同じ顔料である。詳しくは別のコラムで扱っている。

青の実験がもっとも徹底しているのが、この一枚である。
漁師が岩の上に立ち、網を打っている。糸が放射状に伸び、その線が波と重なる。
奥に富士。空と海の境はほとんどない。
そして色は、藍だけである。赤も黄も使われていない。
こうした藍一色の摺りを藍摺という。新しい顔料の性能を見せるための、企画としての性格が強い。
同じ図柄の、別の一枚
当サイトには、同じ図柄の別の摺りがある。

並べると、別の絵に見える。
こちらでは空の上端に朱の帯が入り、下へ向かって白へ抜ける。漁師の着物には赤が差してある。
富士は青灰で描かれ、頂に白い雪が残る。手前の波の白も、藍摺のものより明るい。
版木は基本的に同じである。違うのは、どの色版を使い、どんな絵具で摺ったかだ。
浮世絵に「これが正解」という一枚が無い理由は、ここにある。同じ作品の、状態と仕様の違う個体が並行して存在している。
どちらが「本来の姿」かも、簡単には決められない。
藍摺のほうが先に出て、あとから色を足した版が作られたのか。あるいはその逆か。制作順を確定する記録は残っていない。
企画としては、藍摺を売りにした時期があったことは分かっている。新しい顔料そのものが商品価値を持っていたからだ。
ただし、それが特定の一枚の制作順を決める根拠にはならない。ここは留保しておきたい。
なぜ青が「新しかった」のか
顔料の話をもう少し続ける。
日本の伝統的な青は、露草の花から採る青と、藍染めの藍である。どちらも有機物なので、光に当たると分解して褪せる。
古い浮世絵の空が緑がかって見えることがあるのは、青が抜けて黄が残るためである。
プルシアンブルーは合成された無機顔料で、この点が根本的に違う。二百年経っても、濃い青のまま残る。
いま私たちが《神奈川沖浪裏》を見て「鮮やかだ」と感じるのは、絵師の腕だけの問題ではない。顔料が生き残っているからでもある。
同時代の他の版画が褪せているぶん、この シリーズ はいっそう強く見える。
技術の進歩が、二百年後の見え方まで決めてしまった例である。