数ミリの彫刻——セント=ゴーデンズの浮き彫り
問い——なぜ、描いたように見えるのか
ここで問いを立てたい。
なぜセント=ゴーデンズの肖像レリーフは、彫刻なのに絵に見えるのか。
厚みを削っていけば、ふつう形は貧しくなる。
影が浅くなり、顔は平板になるはずである。
ところが彼のレリーフは、浅いのに深い。
数ミリの起伏が、確かな頭の丸みと空気を感じさせる。
答えの糸口は、すでに述べた経歴にある。
彼の出発点は、カメオ職人だった。
数ミリの層で形を出す訓練を、彫刻家になる前に終えていた。
深く彫れないなら、影で彫ればいい。
輪郭の線を強く、面の傾きを繊細に。
そういう手の癖が、体に入っていた。
浅浮彫は彼にとって制約ではなく、母語だったのである。
パリとローマで学んだのは、その母語を大きく語る方法だった。
作品を並べて確かめよう。
三つの横顔が、一枚に並ぶ

径15.2センチの円形メダルである。
建築家マッキムとスタンフォード・ホワイト、そして彫刻家本人。
三人の横顔が、同じ向きに重なるように並ぶ。
冒頭の板と同じ1878年、パリ時代の交友から生まれた品である。
三人はこの時期、仕事をともにした仲間だった。
大きな記念碑の台座を建築家が設計し、彫刻家が像をつくる。
そういう協働の間柄である。
このメダルは、仲間内の記念品としてつくられた。
手のひらに載る大きさが、その親密さを物語る。
公共の記念碑ではなく、友情の記念。
浅浮彫は、こういう私的な用途とよくなじんだ。
鋳造すれば、同じメダルを三人がそれぞれ持てる。
版のある彫刻は、贈り物にも向いていたのである。
子どもの横顔が、浮かんでいる

横長のプレートである。縦34.3センチ、横42.9センチ。
長い髪の子どもの横顔が、広い面にぽつんと浮かぶ。
モデルは、彫刻家と親しかった文筆家の家の子と伝えられる。
当時は、幼い子の髪を長く伸ばす習慣があった。
起伏はやはり浅い。頬の丸みは、ごくわずかな傾斜で示される。
まわりの余白が広くとられ、銘文が面を引き締める。
余白と文字の配置は、一枚の版画のように整えられている。
子どもの肖像は、じっと動かないでいてくれない。
長い時間の写生ではなく、素早い把握が要る。
浅浮彫の速い仕事は、この主題にも向いていた。
銘文の帯が、批評家を囲む

縦51.8センチ、横19.7センチ。細長い縦型のプレートである。
モデルは美術批評家として知られたヴァン・レンセラー夫人。
同時代の美術と建築について健筆をふるった書き手である。
この彫刻家の良き理解者でもあったと伝えられる。
横顔の肖像を、銘文の帯と植物の文様が囲む。
文字は説明ではない。画面を構成する装飾の一部である。
肖像と文字と文様が、一枚の面の上で組み合わされる。
これは彫刻の発想というより、工芸や版画の発想に近い。
細長い判型そのものが、書物の頁を思わせる。
文字とともに生きた人を、文字とともに刻む。
批評家への肖像として、これほどふさわしい形式もない。
横顔と文字は、コインの形式である
横顔の肖像に、銘文を添える。
この組み合わせには、長い系譜がある。
古代のコインとカメオである。
コインの表には支配者の横顔が刻まれ、名と称号が縁を回った。
手の中の金属に、肖像と文字が同居する形式である。
その形式は権力の顔としての貨幣で述べた。
カメオもまた、横顔の肖像を刻む古代以来の細工である。
セント=ゴーデンズは、この小さな形式を等身の肖像へ拡大した。
カメオ職人の技術と、古典の教養が、ここで合流する。
そして晩年、彼は本物の貨幣も手がけた。
アメリカの二十ドル金貨の図案である。
表には、たいまつを掲げて歩む自由の女神を刻んだ。
この金貨は、アメリカで最も美しい貨幣と評されてきた。
十三歳でカメオを彫り始めた浮き彫りの人が、最後にコインへ戻った。
系譜は一周したのである。
同じ作家が、二つの判型になる

径45.4センチの円形レリーフ。木の額に収まる。
この円形の画面もまた、コインとカメオの末裔である。
モデルは『宝島』の作家スティーヴンソンである。
アメリカ滞在中の作家と会って、原型をつくったと伝えられる。
肺を病んでいた作家は、寝床に身を起こして筆を執る。
枕にもたれ、書き物を続ける姿が、そのまま浮き彫りになった。
寝具のしわも、浅い起伏で省略なく刻まれている。
病床という私的な場面を、記念の形式に写した肖像である。

こちらは同じ主題の大判である。高さ89.5センチ。
長方形の画面が、円形の木枠に収められている。
所蔵館の記録によれば、原型はどちらも1887〜88年。
鋳造は片方が1898年、もう片方が1910年である。
作家は一八九四年に南太平洋の島で世を去った。
だがレリーフは、その後も判型を変えて鋳造され続けた。
同じ原型から、違う大きさ、違う形の版が生まれていく。
彫刻は「一点もの」ではない。版のある芸術である。
だから記録には「モデル制作年」と「鋳造年」が分けて書かれる。
手にする一枚は、原型の年ではなく鋳造の年の産物である。
詳しくは彫刻の制作年は二つあるで述べた。