美術史・技法

糸の仕事は、うつむいた顔でできている——梁楷・北斎・ゴヤほか九点

饗宴 中央部分(アルテミシア物語より)
アントワーヌ・カロンの下絵による《饗宴 中央部分(アルテミシア物語より)》1607年から30年。館の記録では、羊毛と絹、綴織。189.7×402.1センチ。番号は1890.10。シカゴ美術館蔵。アントワーヌ・カロン《饗宴 中央部分(アルテミシア物語より)》シカゴ美術館蔵

横に四メートルある、大きな織物である。

中央に、天蓋のある建物が立つ。

その下で、人々が卓を囲んでいる。

上には楽人の姿があり、下には器を運ぶ人が並ぶ。

四隅と縁は、太い飾り枠で囲まれている。

色は、青と赤と金茶に落ち着いている。

館の記録では、パリの工房で織られた綴織である。

下絵を描いたのは、16世紀のフランスの画家カロンだという。

古代の女王アルテミシアの物語を、連作にしたものの一枚である。

この一点は、その饗宴の場面の中央部分にあたる。

つまり、もっと横に長い一枚から切り出されている。

材料は、羊毛と絹である。

ここまでの三点は、糸を作り、糸を織る仕事を描いていた。

この一点は、描かれた絵そのものが糸でできている。

絵の主題ではなく、絵の材質が糸なのである。

一本ずつ横糸を通して、人の顔も、卓の脚も作る。

四メートルの画面を、そうやって埋め尽くす。

館の記録は、織った工房の名までは特定していない。

分かるのは、パリの郊外にあった製作所で織られたということだけである。

下絵を描いた人の名は残り、織った人の名は残らない。

布は動きを描くための道具だと数えた回があった。

あちらでは、布は描かれる側だった。

こちらでは、布が描く側に回っている。

189.7×402.1センチという寸法も、絵としては桁が違う。

九点のなかで、いちばん大きいのはこの一点である。

壁を覆うために作られた絵は、糸でできていた。

編む手は、うつむいている

五点目は、レースを編む女である。

レース編みの女
ベルンハルト・カイル《レース編みの女》1665年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。71.8×97.2センチ。番号は1971.115.2。メトロポリタン美術館蔵。ベルンハルト・カイル《レース編みの女》メトロポリタン美術館蔵

暗い部屋である。

女が一人、床に近い低いところに座っている。

膝には、丸い枕のような台がのっている。

台には、細い棒が扇のように何本も挿してある。

レースを編むための、糸巻きの棒である。

女は身をかがめ、その一本に手を伸ばしている。

顔は伏せられ、目は手元だけを見ている。

右手には、椅子に登った猫がいる。

猫は、こちらを見ている。

館の記録の分類は、女、猫、針仕事の三語である。

働く人は下を向き、猫だけが顔を上げている。

この構図は、九点のいくつかにも共通していた。

糸の仕事は、目を近くに縛りつける。

だから絵の中の顔は、いつも伏せられる。

台の上の棒は、数えれば十本を超える。

一本ずつに糸が巻かれ、順に持ち替えて編んでいく。

手元を見誤れば、模様が崩れる。

画面は71.8×97.2センチと、横に長い。

働く人の絵にしては、堂々とした大きさである。

この絵は、1971年に美術商の遺贈で館へ入った。

編み物は、肖像画にも入り込む

六点目は、肖像画である。

編み物をするサラ・クック・アーノルドと思われる女性
アメリカ、19世紀(作者不詳)《編み物をするサラ・クック・アーノルドと思われる女性》1830年ごろ。館の記録では、油彩・板。89.6×58センチ。番号は1955.11.6。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《編み物をするサラ・クック・アーノルドと思われる女性》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

黒い服の女性が、こちらを向いて座っている。

襟には、白い水玉の大きな布が広げられている。

髪は高く結い上げられ、耳のあたりで巻かれている。

首には細い鎖が下がる。

そして手元では、細い針が二本、糸をかけている。

編みかけのものは、まだ小さい。

背景は、赤茶の一色である。

館の記録の題には、と思われる、という語が入っている。

サラ・クック・アーノルドという名も、確定していない。

作者の欄に至っては、アメリカ、19世紀、とあるだけである。

描いた人の名も、描かれた人の名も、はっきりしない。

それでも、手元の編み針だけは、はっきり描かれている。

肖像画で人が手に持つものは、その人を説明する道具である。

本を持てば学識、剣を持てば身分。

ここで選ばれたのは、編み針だった。

九点のうち、こちらを向いて糸を扱う人は、この一点だけである。

布に文字を縫った手本布の回でも見たとおり、針の仕事は教えの一部でもあった。

編む手を持つ肖像は、勤勉さの肖像でもある。

板は89.6×58センチ。

板に描かれた肖像は、家の壁に長く掛けられてきた。

この一枚も、収集家夫妻の寄贈で美術館へ入っている。

紡ぐという語には、裏がある

七点目は、版画である。

細く紡ぐ(第四十四図)
フランシスコ・デ・ゴヤ《細く紡ぐ(第四十四図)》1799年。館の記録では、セピア色で摺ったエッチング、アクアチント、ドライポイント、エングレーヴィング。画面は19.1×13センチ。版の跡は21.8×15.3センチ。番号は2014.15。クリーヴランド美術館蔵。フランシスコ・デ・ゴヤ《細く紡ぐ(第四十四図)》クリーヴランド美術館蔵

薄い茶色一色で摺られている。

手前に、若い女が座っている。

手には糸巻きの棒があり、細い糸が伸びている。

その後ろに、老いた女が二人。

顔は骨ばり、歯がのぞいている。

さらに奥の暗がりには、いくつもの小さな顔が浮かぶ。

赤子らしい姿も、そこに混ざっている。

館の記録では、これは連作《ロス・カプリチョス》の一枚である。

題の言葉は、気まぐれ、あるいは芸術の空想と訳される。

そしてこの紙は、出版前に試しに摺られた珍しい一枚だという。

版から早い時期に摺られたので、淡い調子がよく残っている。

のちの摺りでは失われた階調だと記録は書く。

手前の女の白い肌と白い上着のあいだの、わずかな調子の違い。

記録は、そこを見るように言う。

そして題の意味について、記録はこう書く。

紡ぐという語は、当時、性を売る仕事の遠回しな言い方だった。

画家の批評は、おそらくそこに向けられているという。

豆知識の欄には、連作の題はどれも意図して謎めかせてある、とある。

糸を紡ぐ手は、ここでは別の意味を負わされている。

道具と仕事の絵が、そのまま社会への批評になる。

版画は摺られて広まるから、批評の絵に向いていた。

紙の余白には、鉛筆の書き込みが残る。

画商の在庫番号だと記録は読む。

批評のための紙が、やがて商品として番号を振られる。

版の下の余白には、図の番号と題も彫り込まれている。

四十四という数字が、右上の隅にある。

連作の中の位置まで、版に刻まれているわけである。