糸の仕事は、うつむいた顔でできている——梁楷・北斎・ゴヤほか九点
蚕から布までを十四場面で描いた巻物から、砂漠に立てた織り機、レース編みの手元、そして編み物にたとえられた筆まで。糸の仕事の九点を数えると、顔を伏せた人ばかりで、染める場面と縫い上げる場面だけが欠けていた。

蚕から布まで、十四の場面がある
横に長い絹の巻物である。
屋根だけの建物の中に、人が何人も働いている。
籠を運ぶ人、盆の上をのぞき込む人、糸を繰る人。
その隣の場面では、女が機に向かっている。
さらに進むと、湯気の立つ桶と、火にかけた鍋がある。
一つの屋根の下に、いくつもの作業が並べられている。
人はみな小さく、顔は簡単な線で描かれている。
道具のほうが、よほど丁寧に描き分けられている。

館の記録では、この巻物は三段に分かれている。
そして、絹を作るまでの十四の工程が描かれているという。
蚕を育てるところから、絹の布を織るところまでである。
南宋のころ、絹の産業の中心は長江の下流に移っていた。
北は戦乱が続いていたためだ、と記録は書く。
この巻の場面は、1145年ごろ杭州で構想された図に従うという。
耕作と機織りを描いた図の、最初の記録された例である。
ただしこの巻では、いくつもの場面が一つの屋根の下にまとめられている。
つまり、順番に見せる図を、一枚の広い場所に置き直した。
作者については、記録は慎重である。
梁楷の作とされるが、それは伝えられてきた帰属である、とある。
梁楷は、1201年から1204年ごろに宮廷の画院にいた画家だという。
その杭州は、当時から今日まで絹織りの中心地である。
さて、糸の仕事は工程が多い。
繭を煮て、糸を繰り、撚り、染め、織り、裁ち、縫う。
そのどれが絵になり、どれがならなかったのか。
九点を並べて、数えてみたい。
なお、この巻には後の人の書き込みと印が付いている。
跋文が三つ、印が七つ。
いずれも、20世紀の中国の収集家のものだと記録は書く。
工程を描いた古い巻物に、持ち主の跡が七つ重なっている。
絵が渡り歩くたびに、押される印が増えていく。
糸の巻物が、そうやって別の意味の記録にもなっている。
機の骨組みを、正面から描く
二点目は、小さな摺物である。

画面の右半分を、木の枠が占めている。
太い柱と横木、そこから下がる糸と重り。
高機と呼ばれる、大きな織り機である。
その手前に、女が二人と、幼い子がいる。
一人は機の前に腰を下ろし、もう一人は帯を締め直している。
足元には、長い織りかけの布が流れる。
左上には、細かい字の書き入れがある。
館の記録の分類は、女と働く、の二語である。
摺物は、私家版の版画である。
句や歌を添えて、仲間内に配られた。
つまりこの機織り場は、注文主の趣味で刷られた紙である。
働く場所が、贈り物の紙の主題になっている。
そして絵の力点は、明らかに機のほうにある。
人は三人、機は一台。
だが画面の面積では、機が半分を取っている。
道具の骨組みを、正面から描き起こす。
九点のなかで、いちばん機械らしい機械の絵である。
紙は13.7×18.7センチ。
手のひらに載る紙に、大きな機の骨組みが収められている。
摺物は、色をよく使い、地に雲母を撒くこともあった。
この一枚も、線が細く、色は淡い。
配る相手が決まっている紙だから、手間をかけられる。
大量に売る錦絵とは、作りの前提が違う。
この紙は、20世紀の収集家がまとめた一群から館へ入った。
織り機を、地面に立てる
三点目は、屋外の織り機である。

乾いた土の上に、二本の柱が立っている。
柱の間に横木が渡され、そこから縦糸が張られている。
糸の面は、白く、まっすぐ下へ落ちている。
その前に、女が一人座っている。
紺の裾を広げ、赤と黒の模様を織り進めている。
織り上がった部分は下半分で、上はまだ白い糸のままである。
足元には、毛糸の玉と、色を入れた皿が置かれている。
背後には、青い空と、大きな雲と、赤い岩山が見える。
遠くには、小さな人影と、家畜らしい姿もある。
館の記録は、作者と題と年と技法と寸法だけの短いものである。
だから、この織り手が誰かは分からない。
分かるのは、機が屋根の下になくてもよいということである。
北斎の機は、部屋の中で木組みに囲まれていた。
こちらの機は、柱二本と横木だけで、空の下に立つ。
同じ織るという仕事が、土地によって別の形の道具になる。
そして織り手の姿勢も違う。
一方は板の間に腰を下ろし、一方は地面に座る。
道具が変われば、体の使い方も変わる。
そして、この織り手は仕事の途中で正面を向いていない。
顔は織り面のほうへ傾いている。
道具がその人の仕事を示すという回で数えたとおり、道具は人の姿勢まで決める。
縦糸の張り方一つで、座り方も、腕の上げ方も決まってしまう。
織られた絵が、壁を覆う
四点目は、織り上がったものである。