美術史・技法

糸の仕事は、うつむいた顔でできている——梁楷・北斎・ゴヤほか九点

蚕から布までを十四場面で描いた巻物から、砂漠に立てた織り機、レース編みの手元、そして編み物にたとえられた筆まで。糸の仕事の九点を数えると、顔を伏せた人ばかりで、染める場面と縫い上げる場面だけが欠けていた。

蚕織図
梁楷《蚕織図》クリーヴランド美術館蔵

蚕から布まで、十四の場面がある

横に長い絹の巻物である。

屋根だけの建物の中に、人が何人も働いている。

籠を運ぶ人、盆の上をのぞき込む人、糸を繰る人。

その隣の場面では、女が機に向かっている。

さらに進むと、湯気の立つ桶と、火にかけた鍋がある。

一つの屋根の下に、いくつもの作業が並べられている。

人はみな小さく、顔は簡単な線で描かれている。

道具のほうが、よほど丁寧に描き分けられている。

蚕織図
梁楷《蚕織図》1200年代の初め。館の記録では、巻子、絹に墨と彩色。第一段は26.7×98.6センチ。番号は1977.5。クリーヴランド美術館蔵。梁楷《蚕織図》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、この巻物は三段に分かれている。

そして、絹を作るまでの十四の工程が描かれているという。

蚕を育てるところから、絹の布を織るところまでである。

南宋のころ、絹の産業の中心は長江の下流に移っていた。

北は戦乱が続いていたためだ、と記録は書く。

この巻の場面は、1145年ごろ杭州で構想された図に従うという。

耕作と機織りを描いた図の、最初の記録された例である。

ただしこの巻では、いくつもの場面が一つの屋根の下にまとめられている。

つまり、順番に見せる図を、一枚の広い場所に置き直した。

作者については、記録は慎重である。

梁楷の作とされるが、それは伝えられてきた帰属である、とある。

梁楷は、1201年から1204年ごろに宮廷の画院にいた画家だという。

その杭州は、当時から今日まで絹織りの中心地である。

さて、糸の仕事は工程が多い。

繭を煮て、糸を繰り、撚り、染め、織り、裁ち、縫う。

そのどれが絵になり、どれがならなかったのか。

九点を並べて、数えてみたい。

なお、この巻には後の人の書き込みと印が付いている。

跋文が三つ、印が七つ。

いずれも、20世紀の中国の収集家のものだと記録は書く。

工程を描いた古い巻物に、持ち主の跡が七つ重なっている。

絵が渡り歩くたびに、押される印が増えていく。

糸の巻物が、そうやって別の意味の記録にもなっている。

機の骨組みを、正面から描く

二点目は、小さな摺物である。

機織場
葛飾北斎《機織場》1802年ごろ。館の記録では、摺物、紙に木版、墨と彩色。13.7×18.7センチ。番号はJP2575。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《機織場》メトロポリタン美術館蔵

画面の右半分を、木の枠が占めている。

太い柱と横木、そこから下がる糸と重り。

高機と呼ばれる、大きな織り機である。

その手前に、女が二人と、幼い子がいる。

一人は機の前に腰を下ろし、もう一人は帯を締め直している。

足元には、長い織りかけの布が流れる。

左上には、細かい字の書き入れがある。

館の記録の分類は、女と働く、の二語である。

摺物は、私家版の版画である。

句や歌を添えて、仲間内に配られた。

つまりこの機織り場は、注文主の趣味で刷られた紙である。

働く場所が、贈り物の紙の主題になっている。

そして絵の力点は、明らかに機のほうにある。

人は三人、機は一台。

だが画面の面積では、機が半分を取っている。

道具の骨組みを、正面から描き起こす。

九点のなかで、いちばん機械らしい機械の絵である。

紙は13.7×18.7センチ。

手のひらに載る紙に、大きな機の骨組みが収められている。

摺物は、色をよく使い、地に雲母を撒くこともあった。

この一枚も、線が細く、色は淡い。

配る相手が決まっている紙だから、手間をかけられる。

大量に売る錦絵とは、作りの前提が違う。

この紙は、20世紀の収集家がまとめた一群から館へ入った。

織り機を、地面に立てる

三点目は、屋外の織り機である。

ナバホの織り手
カール・ムーン《ナバホの織り手》1937年から43年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。76.3×61センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。カール・ムーン《ナバホの織り手》スミソニアン協会蔵

乾いた土の上に、二本の柱が立っている。

柱の間に横木が渡され、そこから縦糸が張られている。

糸の面は、白く、まっすぐ下へ落ちている。

その前に、女が一人座っている。

紺の裾を広げ、赤と黒の模様を織り進めている。

織り上がった部分は下半分で、上はまだ白い糸のままである。

足元には、毛糸の玉と、色を入れた皿が置かれている。

背後には、青い空と、大きな雲と、赤い岩山が見える。

遠くには、小さな人影と、家畜らしい姿もある。

館の記録は、作者と題と年と技法と寸法だけの短いものである。

だから、この織り手が誰かは分からない。

分かるのは、機が屋根の下になくてもよいということである。

北斎の機は、部屋の中で木組みに囲まれていた。

こちらの機は、柱二本と横木だけで、空の下に立つ。

同じ織るという仕事が、土地によって別の形の道具になる。

そして織り手の姿勢も違う。

一方は板の間に腰を下ろし、一方は地面に座る。

道具が変われば、体の使い方も変わる。

そして、この織り手は仕事の途中で正面を向いていない。

顔は織り面のほうへ傾いている。

道具がその人の仕事を示すという回で数えたとおり、道具は人の姿勢まで決める。

縦糸の張り方一つで、座り方も、腕の上げ方も決まってしまう。

織られた絵が、壁を覆う

四点目は、織り上がったものである。